空間について考えるのは
もうやめよう。
そんなことについて考えを
巡らせたところで
どこにもたどり着けない。
神経を無意識にすり減らすだけだ。
何かもっと具体的な目で見え、
手で触ることのできる物事について
考えなくてはいけない。
(騎士団長殺し 村上春樹)
優しい環境にいるときには
人は無限の可能性を
感じられるものだが
「結局のところ」
スタート地点から1歩も
出ていない
人が「本当に」決意するのは
世界が突然ひっくり返って
しまいそうになったり
この世界と断絶しそうになる
もう二度と元の世界には
戻れないかもしれないと
気づく、感じる時に初めて
自分の本心に気づく
地球の裏側までの情報が
「リアルタイムで」
手に届くようになったこと
の最大の弊害は自分が目で
見て触れて、確認しても
いないのに、あたかも
それが現実に起こっている
と言うような確信があること
なぜそれが言い切れる?
孤独を考える
自分自身にベクトルが
向いている人は
本当の孤独とは言えない
その矢印を他者のほうに
向けた時初めて
真の意味での孤独
は存在し得るのだと思う
不信について考える
人を本当の意味で信じる
と言うのは難しいことだ
それは琵琶湖の逆バンジー
にチャレンジする際に
無人の中をコッソリと入り
一切誰にも安全性を確認せずに
盲目的に空中に
身を任せることに等しい
(例えがひどいね!)
不信を抱えたまま
生きていく人生と
言うのは辛いものだが
中途半端に人を信じて
裏切られる体験を繰り返す
と言うのも同じ位辛い
確信はその人生に何度
起こるかわからない
ギリギリのところを
体験しないと確信に
近いものは持てない
今周りの人がなんとなく感覚的に
今起こっているこの世界の
成り行きを「他人事のように」
語ってしまうのは
その機会が一生失われようと
していることを「本能的には」
察知しているからかもしれない