宮川豊和監督が作ってくれた映画「アシュレイ!」
いよいよ本日エルサレムで
上映会が開催される。
アジアの東ヤマトとアジアの西ユダヤが手を繋ぎ、
世界が平安に導かれる。
そんな
糸川英夫博士の預言が成就することを夢見て、
38年間45回目のイスラエルに来ています。
腹心の友、かっこちゃんが旅の中にあって
メルマガを書いてくれました。
(引用ここから)
「砂漠に緑を育て、井戸を掘り、新しい国を自分たちの手で作っていくこと。
その一番大変な役割を、ボク自身がみんなと同じ『平らか』な一人の人間として、
現場で担わなければならないんだ」
70歳近かったベン=グリオンさんは、キブツの古い平屋の小屋に住み、毎日、若い人たちに混ざって、泥んこになりながら羊の世話をしたり、固い砂漠の土を耕したり
しました。
世界の偉い人たちが彼に会いに来ると、元首相のベン=グリオンさんは、作業着のまま、小さなスプーンでみんなにお茶を配って「ようこそ」と笑っていたそうです。
キブツにいた小さな女の子が、毎日、背広を着た立派な人が会いにくるので
「ねえ、おじさんって、本当は誰?」とびっくりした、なんていう可愛らしいエピソードもあるほどです。
ベン=グリオンさんが目指したものは、ただの強い国ではありませんでした。
「砂漠を、美しいバラのように開花させること」
それは、どんなに理不尽で厳しい環境であっても、誰もが自分の役割を一生懸命に担い、命を輝かせて生きるという、とても優しくて力強い祈りそのものでした。
そうそう、赤塚さんは、ここでもおもしろいことを言われました。
「男のロマンは、女の不満」
思わずみんなで笑ってしまいましたが、奥さんのポーラさんは、生涯、ベン=グリオンさんを心から尊敬し、愛し合っていらっしゃいました。
ベン=グリオンさんのお墓は、彼が愛したネゲヴ砂漠の、壮大な峡谷を見下ろす美しい丘の上にあります。大統領のような立派な記念碑ではなく、奥さんのポーラさんと並んで、砂漠の風の中にしんと佇む、とても素朴なお墓です。
前にお墓にお参りしたとき、赤塚さんがそっと、こんなお話を教えてくださいました。
「もう時効だと思うけどね、ベン=グリオンさんを心から愛された僕の師である糸川(英夫)先生のお骨を、ベン=グリオンさんとポーラさんのお墓のあいだに、そっと埋めさせてもらったんだよ。だから僕はここへ来ると、糸川先生のお墓もお参りすることになるんだよね」
何千年も前にアブラハムたちが掘った井戸のロマン。
数十年前、この砂漠を愛して
土を耕したベン=グリオンさんの命の温もり。
そして、そこへ繋がった日本の糸川先生の想い。
それらが全部ひとつの大きな愛の中でつながって、今のイスラエルの景色になっているのだなあと、胸が熱くなりました。
そして赤塚さんは、この「国」というものについて、さらに深いお話を続けてくださいました。
2023年10月7日、イスラエル南部のキブツ近くで開催されていた音楽フェスティバルが、ハマスによる大規模な奇襲攻撃を受け、多くの若者たちが人質としてガザ地区へと連れ去られてしまいました。
「レイム音楽祭虐殺事件」とも呼ばれる、民間人を狙った本当に凄惨で悲しい出来事です。
イスラエルという国は、最後の一人の人質が帰ってくるまで、決してあきらめない国なのだそうです。
赤塚さんが言われました。
「僕のイスラエルの友人が、こう言ったんや。
『おまえ(日本人)はどうしてそんな怖い国に住めるんだ。自分の大切な女の子が違う国にさらわれて、両親が返してほしいとどんなにどんなに願っても、国が命がけの行動を起こせないような国(日本)に。イスラエルの国民はみんな知っているよ。
自分が何かあったときには、必ず国が自分を守ってくれる。何をしてでも守ってくれる。
それこそが、国というものじゃないか』と。
僕はね、どちらの国が正しいとか悪いとか、そういうことを言いたいわけじゃないんです。
現地のことをよく知らない人が、ただテレビやニュースだけを見て、誰が悪いと責め立てるのは違うのじゃないかな。
国って何だろう、命って何だろうということを、みんなにただ考えて欲しいんです」
赤塚さんのお話を聞きながら、わたしは静かに砂漠の風を感じていました。
わたしはやっぱり、どちら側が「絶対に正しい」ということではなく、知らないからといって誰かを簡単に責めるのでもなく、
「本当は誰もがいつも大きな愛の中にいて、
いいふうに向かっている」
ということを信じたいです。
起きている出来事の背景には、わたしたちには測り知れないサムシング・グレートの深い意味があり、誰もが最善のために、それぞれの過酷な役割さえも担いながら
生きている。
砂漠に吹く風は、厳しくもあり、けれどどこまでも平らかに、わたしたちを包み込んでくれているようでした。
ベン・グリオンさんのお墓に到着しました。
ここにはいつもエイベックという鹿がいます。
エイベックというレコード会社のマークにもなった、ツノがホーンの形をしているあの動物です。
今回もちいさな赤ちゃんを連れたエイベックに会えました。
緑の豊かな公園の中にお墓がありました。
みんなでイスラエル国歌ハティクバを歌い、そのあと君が代を歌いました。
ツアーのお友達の一人は
「僕はこんなに力強く君が代を歌ったことがなかった。だから自分でも驚いたんだよ」と。
「ずっとずっと旅に参加してから、涙が止まらないんだ」とも。
私も胸がいっぱいになりました。
そのあと、ホテルで食事をいただきました。
イスラエルに来ると驚くのは豊富な野菜と
そのおいしさです。
イスラエルは食料の自給率は100%に近いと聞いています。
イスラエルは砂漠の地に、点滴のように水を地面に与えて、木を生やし、お花を咲かせ、野菜を育てているのです。
それから、ベン・グリオンさんの家に行きました。
そこは、本当に小さくて、驚くほど質素で、つつましい場所です。
でも、彼が生きていたときの息吹が、そのままそこに残っているのです。
赤塚さんのお話で、ベン=グリオンさんは亡くなるとき、いつものようにベッドの横でスリッパを脱いで、明日着るための洋服をちゃんと用意して眠りについたのだそうです。
そして、そのまま起きることなく、静かに大宇宙の元へと旅立たれたのだと教えていただきました。
国の偉大な英雄だった人が、最期の瞬間まで、飾ることも威張ることもなく、一人の人間としての丁寧でつつましい日常を愛して生きていたこと。
その脱ぎ捨てられたスリッパの姿に、なんだか胸がぎゅっと切なく、愛おしくなりました。
たくさんの本が天井まで並んでいる彼の書斎を眺めているとき、その中にたった一冊、日本のブリタニカの地図事典のような、日本の本がぽつんと並んでいるのがわかりました。
これも赤塚さんが見つけてみてと前に言ってくださっていた本です。
ベン=グリオンさんは、実は東洋の哲学や日本の精神性にも、深い関心を持っていたと言われています。
「日本という国は、どうしてあんなに美しく、お互いを思いやる心を大切にしながら発展しているのだろう」
と、この砂漠の真ん中の小さな机で、日本の事典を
開きながら、遠い国に住むボクたちの先人に想いを馳せてくれていたのかもしれません。
大東亜戦争が終わって、一番最初に日本と友達になろうと言ってくれたのも、ベン・グリオンさんだったそうです。
キブツには、ベン・グリオンさんが逆立ちしている
像があります。
おうちの前に着くと、なんと、ベン=グリオンさんが頭を地面につけて、真っ直ぐ足を空に突き上げている「逆立ちの像」がちょこんと立っていました。
実は彼、ひどい腰痛に悩まされていたときに、主治医から「毎日砂浜で逆立ちをしなさい」と言われて、それを大真面目に守って、毎朝SP(警備員)の人が見守るなか、短パン一丁でひっくり返って体を整えていたのだそうです。
どんなに頭がクラクラするような理不尽で厳しい現実があっても、
「ボクは大地にしっかりと頭を据えて、ひっくり返るような前向きさで生きていくよ」
という、
彼の飾らない、
おちゃめで力強い生き方がそのまま形になったような、本当に可愛らしい像でした。
周りの人たちは最初、国のリーダーが砂浜でひっくり返っているのを見てびっくりしたそうですが、やがてその姿は、イスラエルの人たちにとって
「若々しいエネルギー」や
「どんな困難でもひっくり返す楽観主義(前向きさ)」
のシンボルとして、ものすごく愛されるようになりました。
おうちの中に入ってみると、本当に小さくて、驚くほど質素で、つつましい場所でした。
でも、彼が生きていたときの息吹が、そのままそこに残っているのです。
(引用ここまで)
夜遅く第二陣13名がエルサレムに到着。
今イスラエルは、明け方の4時です。
あと3時間ほどすると、
今日のスケジュールが始まります。
嘆きの壁、黄金のドーム・・・エルサレムの神殿の跡を歩いたあと、午後14時からヤマトとユダヤの人々が一堂に会し「アシュレイ!」上映会です。
新しい始まりに胸の鼓動が高鳴ります。
日本の時間で20時
ブログ読者のみなさんもアジアの西の果てに
想いを馳せてくださると、とても嬉しいです。




