殉国七士廟・・・何度目になるのだろう

 

   大事なこと伝え続けたい。


   今日も何処かで語っています。


使命感や正義感では、続かない
  もちろん、好き嫌いではやってられない。

 どうしようもなく湧き上がる思い。

   それが、宇宙(そら)の約束なんだろう。

   出会いも、別れも約束なのでしょう。



  加瀬英明先生が作ってくださった映画

「プライド」を観て、殉国七士を学ぶ。


   東條英機という人が、

 どれほど汚名を被りながらも陛下をお守りしたのか、

 知ることが愛の始まりです。



 仲間たちとともに成長してゆく。

   志を同じくして。

  これが新しい「家族」


「家族」も人間が創り上げた概念です。


  夫婦という「家族」のカタチも時代とともに変わってゆくものなのでしょう。

 

結婚して20年、30年続いている夫婦がいますが、この人たちがどうして長く続いているのかというと、結婚してから「愛情以外の別の概念」をつくり上げることができたからだと思うのです。

 

 愛情を永遠のものだと勘違いして、その愛情だけに寄りかかっていると、結婚生活は破綻をきたすのでしょう。

 結婚だけではありません、人間関係すべてにおいて、そう言えるのではないでしょうか。

 

「いつまでもこの人を愛し続けよう」と思っても、「いつまでもこの人から愛され続けるだろう」と信じていても、愛情は、「終わってしまう」ようです。

  これは、愛ではなく偏愛だからです。

 

 

結婚すると、普通は「ゴールイン」といわれますが、じつは結婚した瞬間から、「執行猶予(しっこうゆうよ)」がはじまるのかも知れません。

 

この執行猶予中に、「愛情以上の価値観=尊敬」をつくり上げることが「結婚生活」という学びなのでしょう。

 

では、どうすれば相手を尊敬できるようになるのでしょうか。

 

それは「常に相手のよい面を見つけること」です。

 

目の前の夫、目の前の妻を、自分の思い通りにつくり変えようとするのではなくて、「相手はこういう個性があって、自分とは違うものを持っているんだ」と、丸ごと全部受け入れる(感謝する)。

 

そして、相手のすばらしいところ、社会のよいところ、宇宙の楽しさを、自分の中で見出す訓練ができるようになると、あれこれと批判、論評をしなくなり、お互いを認め合うことができるようになります。


  何でもあり。

   倫理や正義感を振りかざすとき、

   相手は去ります。

 だって、ちがうのですから。

 

同じ言葉を他人から言われたときは、怒らないで踏み止まることができるのに、同じ言葉を妻(夫)から言われると、すぐに腹を立てる夫(妻)がいます。

 

外では踏み止まれるのに、家では踏み止まれない(正確に言うと「踏み止まらない」)のは、「幼児性」があるからです。


  これが「子どもの影」です。

思い通りにしたい。

思い通りにならないと拗ねる。

怒りで相手をコントロールする。

   では、

結婚は、何のために存在するのか。

 

「幼児性を克服するため」

 

家庭というものは、自分の思いを通す場所でも、甘える場所でも、ストレスを発散させる場所でもありません。

家庭は「幼児性を削って大人になる作業をする場所」として存在していると考えてみましょう。

 

結婚をして、わがままが言える相手ができた状態になったとき、いかに踏み止まって相手を受け入れるか。

 

それを問われているのが「結婚の本質」のようです。


  いいえ、結婚という概念だけではありません。

  大好きな人とずっと一緒にいるための法則です。

  結婚を恋愛、友情と読み換えても同じです。


我が家では、結婚して42年

出会って60年のすごいパートナーがいます。

未だに「子ども」の私ですが、感謝しています。


  やがて、必ず終わるこの世の旅路です。

 笑ってこの世を去れるよう、絶えず心を見張り、意識的に在りたいものです。

  死は、恐れ忌むべきものではなく、新しい旅の始まりなのだと腑に落ちてから、いよいよ今この瞬間がしあわせでなりません。

  過去は生ゴミ

  未来は不安の海

 いま、ここで

   いつも喜んでいよう

   絶えず祈っていよう

   すべてに感謝しよう。


「神風の会」伊勢での禊ぎ行こうよ。

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