自分がやりたいことよりも、人が自分にやらせたいと思うものにこそ運がある。
つくづくそう思う。
どこかに、本当の自分がいて、特別なことが起きて、特別な人生の扉を開けるのではないかと思っている人も多いようです。
その扉はどこにあるのでしょうか。
でもそんな扉、探さなくても大丈夫でしょう。
それはいつも自分のすぐそばにあるから。
私は、小さいころから人前に出るのが大嫌いで、ましてやしゃべるなんてあり得ないことでした。
自分が人の前に出るなんて、想像しただけで気が遠くなりそうです。
しかし、なぜか大学時代にバンドを組み、ギターを弾き、歌を歌い、MCをし、人に何かを伝えることの喜びを感じ始めます。
就職したゼネコンでも、営業に配属されて、また人の前に出ることを命じられてしまいます。
私がなにより嫌いなことは、人前に出て話すことです。
ところが、話すのが嫌いな私がいつの間にか、話すことによって喜ばれる体験を繰り返します。
喜ばれると嬉しいものです。
嬉しいことをやりつづけるとき、そこには努力もなく、楽しいからやってしまっている私があります。
だからきっとこれが天命だ、と思えるようになってきました。
それは、頭で考えるのではなく、実際に行動しているうちにたどり着けたように思えます。
建築の仕事もずっと自分には向いていないと思ってきました。
だから、いつか建築の仕事をやめて、なにか違うことで生活したいと思っていました。
どこの誰ともちがう社長でしたが、30年間会社を持ちこたえてきました。
私の会社よりもずっと大きな会社の社長・・・後継者たちの会社はバタバタ倒れているというのに。
苦手な営業だからこそ、だれにも負けない独自性だけを追求してきたように思えます。
「前例がないからやってみよう!」
と糸川英夫博士の口癖を心に刻んで走って参りました。
運とは、他人が運ぶ私の命。
逃げ出さないで、受けとめたいと思っています。
承るのです。
泣いても笑っても、この世の時間には限りがありますから。
彼のひとも、生ゴミ食べてないで、自分を許せたらいいなあ。
しがみついてる子どもの影を抱きしめて。
出逢いはツキ、
ツキが続くと運になります。
自分の強みを生かすこと、まず一番に考えてゆきましょう。
それこそが、神様とのおやくそくを果たすことなのですから。
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