わが師、糸川英夫博士に言われた言葉で、ずっと心に残っているものに
「新聞で、信じていいのは日付だけ」
というのがあります。
所詮、どんな記事であろうとニュースは誰かの想いが入ってしまっているということです。
つまり、事実ではない。
本当のことってどこにあるの?って感じですね。
だから、糸川先生の私への最後の言葉、
「自分で考えなさい」
この教えは、先生から頂いた宝もの。
さまざまな「噂話」が広がる時こそ、何も語らない人の無言の中に真実を見ることもあります。
いつも糸川博士は、
「カメラをひきなさい」と仰いました。
クローズアップしすぎて見えなくなってしまうものも、離れてみればよく見えるものです。
自分を発見したければ、周りを見たらいい。
目の前に見えているもの全てが「自分の鏡」だから。
自分の中に隠しているものが、相手のなかに見出せたり、出来事の中に現れたりするのです。
自分の中にあるものしか見えないのです。
人間とは、見たいものを見て
聞きたいことを聞く生き物。
例えば、「○○さんって、目立ちたがりよね~」という女性がいたとしたら、目立ちたいのは彼女のほうです。
「自分の思い」というサングラスをかけて、人は世界を見ています。
そのサングラスをはずして、真の世界を体験するためには、まず、自分がサングラスをかけていることに気付くこと。
意識的に生きるのです。
常に、毎秒。
苦しみ、痛み、悩み・・・感じるそれらの違和感こそが、真実に近づく大事なメッセージ。
ふと立ち止まって内側を観察しよう。
そして、目を覚ますのです。
そこから本当の人生が始まるのだから。
苦しみのほとんどが
「私について」考えているということ。
これまで全国各地で講演会を数えきれないほどさせていただいてきました。
二時間ほどの話ですが、その中に「本当のこと」が流れる瞬間があります。(少し前まで5時間ノンストップという会もありました)
あ、くる!
そんな予感のすぐあと
言葉に乗って流れてゆく何か
そして、場の空気が変わる。
それは、聖書や日本の歴史や神話の物語にあるというよりも、それに乗って届く何かであり、言葉では表せないものです。
情報ではないのです。
説明でもないのです。
あえて言語化するなら「いのち」でしょうか。
私は、「本当のこと」が流れる水路としてくださいと祈り続けてきました。
今なお祈り続けています。
この世に、生まれる前から知っていた何か大切な「素・もと」を思い出し、つながりたいという願いが常にあります。
それこそが何より大切だと思うのです。
この世を如何に生きるか、以前の問いです。
神さまからのメッセージなのです。
それは、いまこの瞬間に在ること。
過去ではなく、未来でもなく。
昨日突然届いたメッセージ。
「神は「今この瞬間」の他には何も与えるものがない
そこで、
サタンは、遥かに多くのことで誘惑する。
どちらを選択するかだけだ」
目を覚ましていよう!
サタンは、光の子の姿でやってくるから・・・