出かける予定を取り止め、
家から一歩も出ず、
水素風呂に入り、
水素ガスを吸引して、
ホルミシスでラジウムを浴びていると、
カラダがほぐれてくる。
カラダがほぐれてきた後、
ココロがほぐれてくるのがわかる。
自分がどれだけ疲れていたか。
自分がどんなに疲れていたか。
これを了解するのが容易ではない。
普通、「疲れた」と言うと余計に疲れるから、
思わないように、言葉にしないよう努める。
そうしてまた疲れを溜め込んで、ダウンする。
疲れた、と思う気持ちを麻痺させるため、
夜な夜な酒を飲む。
「家では酒を飲みません」
と、言う人があるが、
帰り着かなくてもいい、その場で酔い潰れることの出来る家飲みは、飲めるだけ飲む。
全国からお酒を送ってくださる方々のおかげで、酒屋ができるほど酒はある。
思考を飛ばすためのガソリンみたいなものだから、
飲んでは考え、考えては飲む。
時に記憶は飛ぶ。
自分がどんなに疲れていたか。
ようやく了解したのは、イスラエル出発の前日
2/1 昨日のことだ。
なんにもしたくない。
なにも喋りたくない。
なにもしないで死ぬのを待ちたい。
あぁ、やっぱりなんにもしたくない。
久方ぶりに心底そう思った。
42歳のとき、「伝える者になる」と決めた。
以来24年、本名で実名で人前に立ち続け、
話し続け、
書き続けてきた。
長いときは、休憩なしで5時間
立ち続け、腹から叫んでた。
跳ね返らないところから石を投げる連中に、
腹が立った日もある。
多い年には、年間100回の講演をした。
イスラエルへもツアーやりながら。
「立ち仕事ですか?」と医者に言われ、
鼠径ヘルニアになって手術もしたが、
翌日には小樽の寿司屋で講演して、皆と酒を飲んでた。
言葉が神であり
言葉がいのちであることを知った。
絶望の底にあるとき
死の淵にあるとき
それを救うことができるのは、
医療でも宗教でもなく、
言葉なんだ。
救うといっても、私は救世主ではない。
まだこの世の人間である限り、
共にいて、共感して、そばにいることしかできない。
言葉しながら。
この世の人間関係は、
みんな枠にはめられ、
友だちはこうあるべき、
親子はこうだ、
夫婦はかくあるべし、とカタチが決められる。
だれもがカタチにハマっていく。
それが自分だと信じ込む。
でも、
その向こう
ある領域を超えて
まだ誰も知らない世界を垣間見ることを私は夢見る。
何故なら
僕は、僕が何故ここにいるのかわからない。
どこにいくのか知らない。
誰も知らないのに
知っているそぶり。
真理に近づく対話
不可能ではないと信じる。
だけど
容易ではない。
すぐ社会的存在としての地の性格が
顔を出してくる。
悪態をつく
虚勢をはる
ときにハッと気づくのだけれど、また戻る。
そのときにはその言葉が必要で、
またあるときには同じ言葉が刃物になる。
そのときにふさわしい言葉。
いかなる縁で出会ったにせよ、
その相手のことだけを考えて発する言葉、
そんなもの不可能だ、
いや、だからこそやってみたい。
だから、私は名刺に「講演家」と書いた。
ラクダを針の穴に通すような仕事だ。
水に文字を書くような作業さ。
言葉のチカラ!と、全身全霊で語っても
聞いた人は何も覚えていないし、
実行もしない。
それでも
石に刻む思いで語る。
歌い続けるロックンローラーのように
胸の奥の方で、燃える熱、キュンとなる切なさ、
儚さを知る永遠からの呼びかけを届けたい。
41回目のイスラエル
ガリラヤ湖で叫ぶよ、
アシュレイー! と。
行ってきます!
疲れた足は、歩いて治すんだ。
私の永遠のヒロイン
大切なソウルメイト。
彼女の歌をエルサレムで聴きながら。