宮崎の朝です。


  とても嬉しい一日でした。


 ずっと講演を聴きに来てくれて、

 ずっと塾のメンバーで、

 ずっと旅も一緒して、

 講演会まで主催してくれて、

 やまとこころのキャンドルが灯った仲間が、

 講師として人の前に立ち、

 ペリリュー島の話をされました。



   今年から

 各地に講師を養成したいと

 密かに

 講座を企画していたのです。


   神さまは、

 見てくださっているのですね。



    イスラエルやパラオのこと

  語り継ぐ仲間を増やしていきます。


   知ることは愛の始まり。


  知ったことは、伝えなくては罪です。



 



  話し方教室ではなく、

 巨きなチカラと

 熱が伝わるコツを伝授します。



   一人ひとり、独自の色彩で。


 宮崎、

今年はしばしば訪ねることになりそうです。




  話しの面白みは、

 余計なことをどれだけたくさんしてきたか、

 自分で一つ一つ検証することにあります。


私は、道草を食ってました。

小学校は三重大学付属で、
学校までバスで行くのですが、
バス停からも30分くらい歩きます。
通学班というのがあって、
同じ方向の生徒が同じバスに乗って通うのです。


 道草を食ってました。

通学路の道端の草をちぎっては食べる子どもでした。

「あかつかくん何やってんの?」

犬が草を食べるのは身体を調子良くするため、と
誰かに聞かされたので、そう答えました。


 数日後、道草を食っていると

「あかつかくん、道の草は犬がおしっこかけてたり、
 汚いから食べたらあかんって言ってあげてと、
 うちのお母さんが言ってたよ」

食べたら汚いからあかん、あかつかくん何してるん!と怒ったのが同じ通学班の女子で、
後の赤塚寛子さんです。


 あるときあかつかくんは、
通学路にある三重大学の弓道場で弓を射るのを見ているうちに動かなくなり、
バスの時間がある通学班は行ってしまいました。

雪の寒い日でしたから、
帰るのがあまりに遅いと探しにいった父は、弓道場のフェンスに顔をつけて立つ息子を発見。

ランドセルに3センチほどの雪が積もっていました。


 大学に進んだ赤塚くんは、
音楽サークルに入り、バンドを組むかたわら、
バイトで渡辺プロダクション、総合企画などに出入りして、山下達郎、ユーミン、竹内まりや、高中正義、RCサクセション・・・
いろんなミュージシャンのコンサートを手伝うようになります。

当時「志摩こうじ」と呼ばれ、
いまでもあの頃の知人は赤塚のことを「志摩ちゃん」と呼びます。

クイーンの武道館コンサートを手伝ったのもその頃のことで、
コンサートを舞台袖で観て、フレディが横を通ったことを自慢する、
ボヘミアンラプソディ赤塚です。


 社会人になって、
四国でゼネコンの営業マンとして走り回るのですが、
それはそれはよく遊びました。

営業といいながら車には納経帳と掛け軸、
88か所お遍路を26歳のときに回り終えました。


 人生は旅
だから、
帰るところがあります。

誕生日から命日まで
そうです、
命日は新しい本当の世界に還る誕生日でもあります。


誰も変えることのできない約束です。

人類の歴史の中で、死ななかった人は一人もいません。


 定められた期間、この世の旅路を歩くのですが、
やはり誰と歩くかは何よりも大切です。

そして、
なりたくない自分になるのは
自分に対する最大の侮辱です。


 折角の人生という旅、
死ぬまでの時間が定められているのなら、
道草を食って、
道幅を広げようよ


素敵な友だちと歩こうよ


さあ、
くたばってしまう前に旅にでよう


 2月8日からのイスラエルツアーも素敵な仲間が集まります。

 今年は5回イスラエルツアーをやるよ。


一緒に道草を食いにいこう。

出会ったことのない自分に逢えるから。


 さて、今日は東京に飛んでYouTubeの収録

  また新しい番組始めます。