奈良カウンセリング 山本精神分析オフィスのブログ

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カウンセリングに関することや、日常のお客様とのふれあいをご紹介させていただいております。

以下の文章は「パーソナリティ障害の診断と治療」から抜き出したものです。ナンシー・マックウィリアムズ著

 

抑圧 Repression

抑圧は精神分析の本質である。無意識過程の基礎である。これはある欲動と結びついた観念や記憶、それに伴った感情も意識から排除して無意識のなかへ押し戻し閉じ込めたりする無意識的な働きである。

抑圧それ自体は病的な働きではない。正常な心のなかにも絶えず働いている。

つまり抑圧の機能は社会生活に適応するのに必要なものである。

人は心が成熟するに伴って合理的な方法で危険な不安を処理することが出来るようになる。

そうなると抑圧する必要が減少するし、抑圧をするのを必然的にゆるめられたりするようになる。

しかし、人が成長しても以前のままに抑圧の働きに必要以上に頼り過ぎた日常生活を営んでいると健全な心の成熟した成人とは言えない。

なぜなら観念や記憶を無意識内に留めたままにしておくだけでなくそれに伴っている感情面も無意識に止めたままになっているので対人関係を築くのに生き生きとした感情表現が出来ず、情緒的な対人交流が不可能になってしまう。

 抑圧には原抑圧(原初的抑圧)と本来の抑圧(固有の抑圧、事後の抑圧)とに考えられています。原抑圧は最初に意識から無意識へと追い出す第一段階であり、無意識の核を形成するものと仮定されています。

 原抑圧は永遠に無意識のままに存在し、その源ははっきりしていない。人生早期の乳児の無力のためであるのか、あるいは種族発生的な要因、人類の祖先以来の経験が遺伝されたものか(人はだれしも爬虫類、例えば蛇やクモに恐怖感を抱くように)という仮説である。

原抑圧が後に本来の抑圧に繋がっていくのであり、幼児期のさまざまな体験と結びついて意識へと上がっていこうとする。そこで意識化する心に不安を感じると自我(無意識的な心)が不安と結びつき危険な観念や記憶を意識化するのを拒絶して、不安を避けようとする。

これが本来の抑圧であり、この時、感情も抑圧している。この一連の働きは無意識的な領域で行われている。

 

 

  退行 Repression

退行それまでに発達した状態やより分化した機能あるいは体制が、それ以前のより低次元の状態や、より未分化な機能ないし体制に逆戻りすることを言う。退行は精神分析によって観察された現象を説明する基本概念の一つである。

(注意)分化とは(発達して)一つのものが、違う働きをもついくつかのものに分かれること。例えば手足の働きの未分化な時の赤ちゃんと手足の働きの分化した歩く幼児と比べてみればよい。

 体制=独立した、さまざまな各部分が一つのまとまった全体を形作っているもの。全体的な仕組み。思考や行動を考えれば理解できます。

子供が年相応に育っていたのに、下に赤ちゃんができたので、その子が以前の赤ちゃんの時のように指しゃぶりをするとか母親のオッパイを欲しがるというような現象をいいます。母親や家族の人は赤ちゃんの方に主に関心が行くので、自分は見捨てられ、見離された感じがして、それを阻止するために赤ちゃんになる(赤ちゃんに同一化)ことで再び母親の関心を取り戻そうという行為をいう。

 

 

  隔離 isolation

人はさまざまな不安や苦痛な状況から感情をその状況の事実から隔離することをいいます。

例えばある患者さんはいじめにあってその出来事を詳しく淡々と話すのを聞いている面接者(私)がそのことは凄く苦痛なことだと感じて“どんな感じをしましたか?”と尋ねたところ“何も感じません、むしろ懐かしい感じがします。”言われたことに凄い異和感を覚えた思い出があります。もう40年近く昔のことですが。

これはある経験や観念の情緒的側面を認知的側面から引き離されるということであある。情緒の隔離は大事なこともある、外科医が患者を手術するのに患者の身体的苦痛や患者の肉体を切開するのに嫌悪感を覚えたらうまく手術できないだろう。隔離の場合、体験の情緒的意味は切り離されているが、意識された体験全てが取り除かれてはいないからである。

 

 

    否認 denial

否認の防衛の対象になるのは外界にあるもの、外界からくるものである。それが自分に気がつくと、不快な感じを受けたり、不安、恐怖を感じたりする外的な対象、その他諸々の嫌悪感を覚えるものを無かったものとする心の働きで理屈に合わない確信が体験として残っている状態をいう。この否認を使っている患者さんと面接していると、ああこれが否認という防衛だなと感じることがあります。当然患者さんにとって大変つらいことだと思えることでも些細なことのように話します。隔離の場合は感情と切り離した事柄を淡々と話すのに反して、否認の場合はごく簡単にさも些細な事柄のように話しそのことが何の問題もないような態度で面接を続けるという態度をとる。                     

 

 

 

    合理化 rationalization

ある出来事がおきたあとでそのことについて自分を弁護したり、言い訳したりして自分の欲求や感情を正当化する。例えば、イソップ寓話『狐とブドウ』にあるように「酸っぱいブドウの合理化」や何か悪いことが起きたとき、それはそんなに悪くないのだと判断する場合、『甘いレモンの合理化』がある。このような心の作用が行なえる人は知性的で創造力あって合理化をするのが上手だと考えられます。一般に健常者の反応様式にも見られます。しかしこの合理化することの問題点はあまりに何でも合理化してしまうと自己弁護や言い訳を使用することになって対人関係に支障をきたしてしまう。

 また子供を殴る親や学校の先生の中には『子供のためを思って』と言って自分の心の中に抑え込んでいる怒りを発散している大人もいる。

 

 

   知性化 intellectualization

知性化は感情を知性から隔離する方法である。隔離を使う人は『何も感じない』と言うだろうがそれは感情と観念と切り離しているからであり、一方、知性化は相手に自分が感情がないかのような印象を与えながら感情について話します、患者さんが自分の苦痛な出来事を話しているときに淡々と話すことに面接者(私)が“そのときどんなかんじがしましたか?”と尋ねると“そうですね、腹が立っていたんでしょうね”と他人事のように話される、傍観者の立場で話される。心で感じるという“感情洞察”ができない。彼らは感情を知性でコントロール出来ていることに優越感を持っている、しかし知性化を使いすぎると人の気持ちに共感できないで対人関係を損なっていることに気づかないでいる。  

 

 

 

   反動形成 reaction  formation

人はあることをより脅威的にないようにするために、反対側へと感情を移動させることが出来る。反動形成の定義は、否定的な感情を肯定的な感情に転換すること、逆に肯定的な感情を否定的な感情に転換させることをいう。憎しみを愛情に、妬みを親しみに、憧れを蔑みに変えることである。このような対人関係が現れるのは3歳か4歳児のころからと思われる。年上の兄姉は、赤ちゃんが生まれて、今まで独り占めしていた親からの愛情を赤ちゃんに奪われて赤ちゃんに憎しみや嫉妬を意識的にも無意識的にも愛情へと変化させることがよく見られるものである。このように自分の感情を処理できる程の心の強さを持っている。

しかし反面、その情緒的傾向からその過剰さや偽りが感じられる。そのような時、それを反動形成といえる。その感情表現が少し過剰なので見分けやすい。 

 例えば、赤ちゃんを非常にきつく抱きしめたり、乱暴に大きく揺すつたりするなどである。また他方で反動形成は感情の両価性を無意識のうちに否認するために働いているとも感じられる。人は無意識のうちに愛しているひとを憎むことがあるし、感謝している人に対して怒りを感じることもある。人の感情状態は一つに還元されるものではない。ある人が誰かに愛を感じているが本当は憎しみを感じているのだと解釈しているが、精神分析的に解釈すれば、愛を感じてもいるし、また一方で無意識のうちに憎しみも感じているのではと解釈されるぐらいに受けとめられている。

 

 

 

  打消し denial

打ち消しは精神の万能的な発達によるものと考えられる。打消しの防衛機制には、その原始的な源をほのめかすような魔術的な性質がある。防衛的な打消しに没頭している人が、それが自分の観察自我に見えてくるので、その迷信的な行動の意味を悟るようになることも多い。ある感情―通常、罪悪感や恥ずかしさ―を、それを魔術的に消し去ってくれるはずの態度や行動を持って帳消しにしようとする努力である。日常的な例をあげると、前日の癇癪を爆発させたことを償うつもりで、おみやげを持って帰宅する配偶者などである。もしその動機を意識化しているのなら用語上は打ち消しと呼べないが、打ち消しをしている人が自分の恥ずかしさや罪悪感に気づいておらず、それゆえ昨日の償いをしたいという自分の願望を意識化できないでいる場合、打ち消しだということになる。

多くの宗教的儀式には打ち消しの側面がある。たとえ思考の中でだけ犯した罪であっても、これを償おうとする努力は、普遍的にみられる人間の衝動であるかもしれない。子どもが死を認知的に理解できるようになる年齢では、打消しの要素を持った魔術的な儀式が数多く見られる。母親にひどいことが起きないよう,歩道の割れ目を踏まないでよけようとする子どもに見られるようなゲームは、母親の死を願う無意識の願望の打ち消しと精神分析的には理解できる。死の概念がより成熟した意味を担うようになる以前では、こうした願望入りいっそう強い恐怖をつくり出すのである。こういう行動に自分の敵意感情は危険だというひそかな信念があらわれていることから、万能的ファンタジーの存在がわかる。すなわち、思考が行為と等しいのである。私の患者のひとりは、かつて私に花をくれることが時々あった。彼女は非常に混乱した状態にあったし、私が受け取らなくて、そうした贈り物をくれる彼女の性癖を分析しょうものなら、自分の気前のよい衝動が根本的に拒絶されたと受け取るだろうと思われたので、長いこと私はこの行動のもつ意味を彼女と探求する試みをしないままでいた。しかしついに彼女は、面接で私に対して怒りを抱いた次の回にいつも花束を持ってくる傾向があったと自分自身で理解できた。「花束は本当はあなたのお墓への献花だったと思います。」とにっこり笑って彼女は言った。

 自分の過去の罪や間違いや失敗に対して強い自責の念を持っている人々は、たとえそれが現実あり誇張されたものであれ、あるいは思考の中でのみ犯したものでそのひとあれ、生涯にわたって打ち消しをすることがある。

 過去に犯した罪を償うという無意識的意味を持つ行為が、個人の自尊心を維持するおもな方法となっている場合、その人のパーソナリティは 強迫的であると見なされる。

 

ナンシー・マック・ウイリアムズパーソナリティ障害の診断と治療から

 

 

自己自身への向け変え

人はある否定的な感情や態度をその相手に向けないでその感情を自分に向け換えることである。人が自分の生活の安定のため他人の好意に頼らねばならない場合それを受け入れてくれる人が自分よりも上の立場にいてその人に批判的な感情を持っていると、その人に抱いている批判的感情を自分に向け換えることをいう。

例えば、両親が不仲で毎日いさかいの絶えない家庭の子どもであるなら、もし自分がもっと親の期待に添えるような子供ならば親の不仲はなくなるのではと考え自分に批判感情を持つことがよくあることである。自分に批判感情を持つのは不快ではあるが、この状態を変えていく力が子供の自分にはないというのであれば、実際の脅威を意識するよりもまだ自分に批判感情を向ける方が情緒的には安定するのである。

子どものころには自分がしっかりしておれば両親は自分を愛してくれ、守ってくれるということを信じ込むのは幼い子供にとっては適応的であったが成人してもまだこの様式であるならば何らかの不快な環境に対して、その状況を改善する努力をせず自分を非難することで対応するならば絶えず苦痛をもたらすことになる。何か問題が生じるとその問題は第三者から見て明らかに他人に責任があるにもかかわらず自分の責任にするほうを好む。

抑うつ性パーソナリティやある種の性格マゾヒズム性の人によく見られる。

 

 

置き換え replace

 感情や欲動やこだわりや行動の向かう対象を、元の本来のものから別のものへと移すことである。方向を変えるのは、元の方向のままでは何らかの理由で不安がわき上がるからである。例えば、会社で上司に叱られた社員そのむしゃくしゃした気持ちを帰宅して奥さんに当たり散らすのが置き換えの典型である。

 性感帯もまた置き換えられる。性的フエチェシュは性的な興味の方向を人間の性器から、足や靴など、無意識のうちに性に関連している別の領域に移動させていることをいう。

例えば、男性ならば彼の成長の過程で無意識のうちに女性の性器に危機感を持ったならば別の対象に置き換える、足や靴などのように。そうすることで不安感情もまた置き換えられるのである。

著しい不安感情を他の領域に置き換え恐怖現象を象徴的に示す対象へ置き換えるならばその人は不安障害の恐怖症といえる。例えばクモ恐怖症の人の治療法としてそれに関連した対人関係で成育歴を通して探索するのである。精神医学は対人関係であるのである。

 

 

 

   同一化 identification

同一化は一般には神経症的な反応様式ではない。一般に人々は、他の人や、他の人のある側面に同一化する能力を健全なものとして持っている。防衛的反応としてではなくて。しかし、また多くの同一化は不安や悲嘆や恥などの苦痛な感情を回避したい欲求や、あるいは脅かされている自尊心を回復する必要性にさらされていると感じたりしている。また神経症的な同一化として「攻撃者への同一化」がある。健全な同一化は、尊敬している人物のようになりたいという願望に動機づけられたものであるが、防衛的(神経症的)同一化は自動的ではあるが、力を持っている人から受ける脅威を解決したいという防衛的動機から生じているという。(前者は「お母さんは心が広いし元気が出るように慰めてくれる。私もあんなお母さんみたいになりたい。」であり、後者は「私が反抗しているときのお母さんのお仕置きは恐ろしい。もし私がお母さんになることが出来たら、私の外じゃなくて私の中にあのお母さんの力がある子になる」である。一般に愛されている対象にも、恐れられている対象にも、その両方の要素が含まれている。精神分析で使用している場合一部は無意識的であるが、意図的に他者のようになることを意味する成熟した水準を示している。この能力は、他者をなるごと吸収してしまうような類の、最も幼児期早期の取入れの形式から始まり、他者の特徴選んで身の帯びるような、より微妙で識別性をもった主体的自発的な過程にまでに至り自然な流れとして発展する。同一化の潜在的能力は生涯を通じて発展して変わっていき、心理的成長や変化の情緒的基礎となると考えられる。

 

 

  行動化 action

はじめ、行動化は、患者の行動が患者自身が持っているとは気づいていていないか、あるいはあまりにも不安でとりわけ分析家の前では意識できないような分析家への感情を、具体的に表現しているような場合である。今では、「行動化」はより広く使われるようになり、内的に禁じられた感情や願望に結びついた不安や、かなりの動揺を招く恐怖や、ファンタジーや、記憶に関連した不安を抑えようとする無意識の欲求に駆られた行動を示すようになった。恐怖に満ちたシナリオを実演することによって、無意識のうちに人は受動から能動へと変わり、演じられているドラマがいかに悲惨であっても、無力さや弱さの感覚を主体的で力を持った経験へと変化する。行動化という用語は、より正しくは、患者が治療の中で、まだ安心して言葉のできるほどではない転移的態度をあらわしていると思われる、なんらかの行動をいう。