時間は、言葉と仕事の距離を映す
政治の世界では、時間が味方になる政権と、時間が敵になる政権がある。発足直後の期待だけに支えられる政権は、時とともにその期待が剥がれ落ちる。一方、政策や外交の実績を積み上げる政権には、評価の材料が増えていく。時間は、政治家の言葉と実際の仕事の距離を、容赦なくあぶり出す。
永田町で長年政治を見てきた立場から重視したいのは、自らの考えを示し、批判を受けても説明し、決めたことを実行する姿勢である。誤りがあれば修正し、結果に責任を負う。その物差しで見ると、高市政権は今、時間が味方に傾きつつあるように見える。以下は、そうした経験からくる直感と主観も交えた見立てである。
高市政権の発足は、2025年10月21日である。公明党が自民党との連立を離れ、日本維新の会との新たな連立で船出したが、発足時点では衆参ともに安定した多数を持たず、政権基盤には不透明感があった。ところが、2026年2月の衆院選で、自民党316議席、維新36議席となったことで、衆議院での基盤は大きく変わった。これは、自ら道を切り拓いた。
9月17日には、第2次高市改造内閣が発足した。約11か月の間に、政権の維持に苦心する段階から、得た力を何に使うかが問われる段階へ進んだ。高市政権を評価する際には、この出発点からの変化を押さえておく必要がある。
直球の政治が、永田町に問いかけるもの
政治には調整が必要であり、あえて言い切らない知恵が役立つ局面もある。しかし、曖昧さを残すほど、解釈や仲介を担う人の出番は増える。決まらないことが、誰かの存在感を支える。永田町で長く政治を見ていると、こうした構造を意識せざるを得ない場面がある。
高市首相のように、自ら判断の軸を示す政治家は、当然、反発も招く。何を選び、何を引き受けるのかが見える分、国民は評価しやすい。一方で、その明確さへの戸惑いまでが、政策批判の言葉に置き換えられている場面もあるように映る。
裏で根回しを重ね、互いの腹を探り合う政治に慣れた目には、思っていることを直球で伝え、相手の反応を受け止めながら対話を進める姿は、危うく見えるのかもしれない。
永田町に長くいる人ほど、そう感じることもあろう。しかし、同じように長く政治を見てきた立場からすれば、この方がむしろ分かりやすい。
何を考えているかが伝われば、相手も本題に入れる。意見が違えば、その違いを踏まえて話を続ければよい。率直さに伴う危うさは、参謀がしっかり支えればよいのである。
必要な情報をそろえ、譲れない線を整理し、発言の影響を見通す。事前の準備と、その後の詰めこそが、首相を支える参謀の仕事であろう。
政策への不満と、政権への評価は同じではない
支持率は、都合のよい数字だけで語るものではない。9月のJNN調査は62.5%、ANN調査は58.3%、読売調査は59%だった。一方、時事通信の調査では44.1%に下落している。調査時期や方法が異なるため単純比較はできず、低下を軽視することもできない。ただ、これらの数字から、政権の支持基盤が崩れたとまでは言い難い。
しかも、JNN調査では、食料品の消費税を1%にする方針を55%が物価高対策として「効果がない」とし、政府の物価高対策を57%が評価していない。ANN調査でも、不記載問題のあった議員の入閣を56%が問題視した。個別政策や人事への不満が、そのまま政権全体への不支持に結び付いているわけではない。
その背景には、「何をやろうとしている政権なのか」が見えるようになったこともあると考える。7月に決定した日本成長戦略は、17の戦略分野、62の主要な製品・技術を掲げ、2040年度までに370兆円を超える官民投資を期待する構想を示した。実現済みの成果ではないが、国民が検証できる政策の輪郭は、具体化している。
発信の方法も変わった。高市首相は4月7日の会見で、就任以来、できる限り毎日、主にXで情報発信していると説明した。会見や国会答弁、SNSを組み合わせ、首相自身の説明に直接触れられる経路が増えた。今や国民は、首相の一次発信と報道機関の記事を比較できる。
政府の説明に何が欠けているかと同時に、報道が何を選び、何を伝えなかったかも問われる。政策批判が、人格や外見、言葉尻への攻撃に流れれば、批判する側の説得力も弱まる。発信する政府にも、批判する野党や伝えるメディアにも、説明の精度が求められている。
野党再編にも、時間がかかる
内政では、野党の側にも時間の問題がある。衆院選を経て、政権交代を担うはずだった野党の構図は大きく崩れ、一強多弱が鮮明になった。野党そのものが消えたわけではない。しかし、批判を前面に出してきた勢力は、少なくとも衆院では政権を脅かす存在感を失った。ここに、今回の選挙が突き付けた厳しい現実を見る。
もちろん、政策の欠陥を指摘し、説明責任を求める批判は不可欠である。代案がなければ批判できないという話でもない。ただ、「高市だから問題だ」という結論が先に立てば、批判する側の判断の軸も問われる。何をすれば評価するのかが見えない批判は、繰り返すほど説得力を失う。
批判一辺倒の政治が行き詰まるのは、自分たちの主張の正しさを証明することが目的になり、国民が何を求めているのかを見失うからである。暮らしの不安にどう答え、どの政策を実現するのか。その問いに向き合わず、支持されない理由まで有権者や発信の仕方に求めていては、信頼は戻らない。反省すべきは、伝え方だけなのかということである。
参院には、野党の議席と影響力が残っている。ただ、それが将来の支持まで保証するわけではない。批判中心の姿勢を改めず、国民の求める政策と実行力を示せなければ、参院でも生き残りは厳しくなるのではないか。次の選挙結果を断定するつもりはないが、衆院で突き付けられた問いから、参院だけが免れるとは思えない。
だからこそ、野党再編も簡単には進むまい。党名や顔ぶれを変え、議員を集め直すだけでは、失った信頼は取り戻せない。政策の軸をそろえ、候補者を育て、地域の組織を立て直すには時間がかかる。その間、高市政権には政策を実行し、成果を積み上げる余地が生まれる。この意味でも、今は時間が高市首相に有利に働いていると見る。
あのトランプ大統領から、電話が入る
外交では、この政権を侮れないと感じる材料が、さらに具体的に見える。発足から1年にも満たない政権が、トランプ大統領と、懇談を含め対面で4回、電話で5回、計9回の対話を重ねている。これは、9月26日までの公表記録を数えたものである。
注目すべきは、回数に加え、そのタイミングである。重要な局面では、米側からも電話が入る。昨年11月25日の電話会談は、トランプ大統領の申し出で実施された。今年5月15日には、訪中を終えた直後のトランプ大統領が、帰国途中のエアフォースワンの機上から電話をかけ、米中会談の内容を説明している。
それも、あのトランプ大統領からである。高市首相の外交姿勢をいくら批判しようとも、この事実は変わらない。米国自身の戦略や思惑があることも当然であろう。しかし、それを踏まえても、重要な局面で直接説明を受け、日本の考えを伝える関係を築いていることには、外交上の重みがある。
今回も、9月22日の日米首脳会談で、AI、半導体、重要鉱物での協力や、中国をめぐる諸課題を協議し、国際刑事裁判所(ICC)についても率直なやり取りを行った。26日の電話会談では、トランプ大統領から米中会談の説明を受け、再び対中政策をめぐって意見を交わした。
評価したいのは、この事前と事後の積み重ねである。会談回数をそのまま外交の得点にするつもりはない。しかし、日本の要望がすべて通ったかという問題と、日本の意思を直接伝えられる関係を確保しているかという問題は、分けて考える必要がある。後者を過小評価していては、高市外交の実像を見誤る。
手強いという評価の根底にあるもの
では、トランプ大統領は高市政権の何を見ているのだろうか。9月22日の会談冒頭では、高市首相の「数字」を常に見ていると述べた上で、日本の産業や国の状況が良くなっていると評価した。3月の会談でも、衆院選での大勝を繰り返し取り上げている。経済と政治的な強さに関心を寄せていることは、発言からも読み取れる。
これらの発言から、評価の根底には、日本の経済・産業の力と、選挙で裏付けられた政権基盤の強さがあると見る。協力する価値があり、約束を実行する政治的な力もある。その条件が、高市首相自身への評価につながっているのではないか。
その文脈で耳に残るのが、日本側への「手強く、賢い」という言葉である。会談記録では、同席者を含む日本側に向けた表現であり、高市首相個人だけへの評言とは言い切れない。それでも、首相を支える交渉チームを含め、相手として侮れないと認めた言葉として受け止めることはできる。
経済力と政権基盤を背に、自分の考えを忌憚なく伝え、必要な場面では異論も述べる。そうした高市政権の姿が「手強い」という評価と重なって見える。儀礼的な称賛も含まれるであろうが、あのトランプ大統領から、協力相手としての価値と、交渉相手としての手強さを認められる。これは、かなり高い評価ではないだろうか。
関係を保ちながら、異論も伝える
日米間で扱いにくい問題を、首脳間で議論していることも大切である。高市首相は、ICCを支持する日本の立場を伝え、今後も日米外相間で意思疎通を続けることを確認した。円安をめぐっても、トランプ氏の懸念に対し、一般論として円の過小評価は問題だと応じた。関係を保ちながら、言いにくい問題を議題に載せる姿勢を評価したい。
国連総会の演説でも、法の支配に基づく国際秩序への貢献を掲げ、ロシアによるウクライナ侵略を明確に問題視した。こうした原則を、相手との距離によって使い分けず、友好国にも伝えていく。ここに、日本外交の信頼を育てる余地があると考える。
はっきりものを言う政治にはリスクがある。しかし、判断の軸が見えれば、相手も日本の行動を予測しやすくなる。それが交渉と信頼の土台になり得る。高市外交は、そこを意識しているように見える。強い言葉だけでなく、その後の対話が続いているかを見るべきである。
中国にも、圧力を続ける損得がある
一方で、米中関係は、日本の期待だけで動くものではない。今回の米中首脳会談でも、米国政府は通商・投資の枠組みやAI分野の対話などの合意を発表した。米中は競争しながら、必要な取引も進める。その中で、日本が自国の立場を織り込ませるには、首脳間の意思疎通を絶やさないことが必要になる。
中国との関係でも、時間の働き方は一方向ではない。中国は3月30日、台湾訪問などを理由に古屋圭司衆院議員への制裁を発表した。しかし、こうした圧力が、いつも日本の譲歩につながるとは限らない。むしろ、日本国内の警戒感や、同盟国・友好国との連携を強める方向に働く可能性もある。
永田町で長く政治を見てきた立場からすれば、中国側も、いつまでも日本に圧力をかけ続けることが得策なのか、考え直す局面に入りつつあるように思える。圧力をかけても政権は崩れず、日米の意思疎通も続くのであれば、同じやり方を繰り返す利益は小さくなる。
そのため、中国側も対話へと軸足を移すきっかけを探り始めているものと推察する。中国の方針転換を確認した話ではないが、様々な方面に探りを入れた感触である。高市首相のぶれない姿勢が、中国の対応を変え始めていると言って良いだろう。これはあくまでも、現時点での見立てであるが。
強い言葉を投げた側ほど、引き際には面子が要る。そう考えれば、今回の米中首脳会談は、中国が面子を保ちながら日本との対話を始める、一つのきっかけになり得る。日本に譲歩したという形を取らず、米中間の対話を地域の安定につなげるという説明であれば、日本と話す余地もつくれる。
高市首相の手強さには、中国側も手を焼いていると思われる。それが、あの荒唐無稽な日本批判にもなる。一方で、高市首相は、国内の政治基盤を固め、米大統領との対話を重ねながら、自分の考えを率直に述べている。
その姿を見て、圧力だけで動かそうとするより、腰を据えて話す方が中国にとっても利益になると考え始めたと見る方が自然ではないだろうか。
相手にそう計算させることも、外交の力である。中国もまた、圧力を続ける利益と対話に転じる利益を、計算せざるを得なくなっていると見る。報道機関やネット空間の無責任な言説には、惑わされない方が良い。
得た時間を、何に変えるのか
もっとも、時間が自動的に日本や高市政権の味方になるわけではない。日中の緊張が長期化すれば、日本企業や観光、サプライチェーンにも負担が及び得る。感情的な応酬を避け、法と抑止を軸に主張を通しながら、対話で緊張を管理する。その持久力も問われている。
国内政治も同じである。成長戦略が投資や所得の増加につながるか。物価高対策が家計に届くか。政策を発表してから効果が表れるまでの時間を、実行と説明でつなげる必要がある。野党の再建が遅れても、それだけで、政権の仕事が評価されるわけではない。看板だけで終われば、明確に約束した分だけ、責任も厳しく問われる。
時間が暴くのは、政権の失敗だけではない。批判する側の中身でもある。当初の懸念は当たったのか。改善した点を認めているか。自分たちなら何を実現するのか。実行が積み重なるほど、批判する側にもこの問いが重くなる。いつまでも相手の失点待ちでは、政治の主導権は戻らない。その姿勢を変えない限り、野党には厳しい時代が続くのではないだろうか。
高市外交、侮りがたし。これが、今の率直な見立てである。そして、国内政治でも、考えを示し、実行し、その結果を引き受ける姿勢には、時間を味方につける力があると感じている。ここで得た時間を、国益と暮らしの改善にどう変えていくか。これからは、その成果が一段と問われる。
時間は、誰に味方するのか。これは、実績を積み上げ、必要な修正を重ねる者に味方すると考える。高市政権には、その可能性がある。永田町で長く政治を見てきた者として、今、この政権に期待を持つ理由は、まさにそこにある。
