覚悟の政治に、知恵で応えよ

高市首相が食料品の消費税率を1%へ引き下げる方針を表明すると、案の定というべきか、メディアや識者、一部の野党、そして自民党内からも反対の声が噴出した。

 

批判の焦点は2つに集約される。財源をどう賄うのか、そして2年後に税率を戻すときの「揺り戻し」の増税感をどうするのかである。いずれも、軽い問題ではない。だが、この2つは本当に乗り越えられない壁なのだろうか。

 

まず、財源である。2年間で約10兆円、単年度に均せば約5兆円である。確かに大きい金額だ。しかし、我が国が毎年のように数兆円から、時に数十兆円規模の補正予算を編成してきた事実を思い起こせば、5兆円という数字は、決して捻出できない金額ではない。

 

首相は、まさにその知恵を絞ると述べ、赤字国債には頼らないと明言している。財源は、租税特別措置や補助金の見直し、税外収入で確保するという設計は、財政規律を投げ捨てるものではなく、規律の枠内で減税を成立させようとする試みである。

 

今ここで問われているのは、「財源があるか、ないか」ではない。「財源を生み出す知恵が、あるかないか」である。

財務省が糸を引くという見立て

巷では、反対の大合唱は裏で財務省が糸を引いているのだ、という見方がある。だが、これは今の政権の姿を正しく捉えていない。

 

財務省に政治家として最も強い影響力を持つ麻生副総裁は、「首相として決めたのであれば反対はしない」と述べ、首相の決断を受け入れた。その義弟でもある鈴木幹事長も財務大臣経験者だが、党内の調整をまとめる立場で手続きを前へ進めている。

 

そして、現在の財務大臣は片山さつき氏である。女性で初めて主計局主計官を務め、次官への最短路とされる主計局にあっていずれ初の女性事務次官かとも目された実力派だ。史上初の女性財務相として約20年ぶりに古巣へ戻ったその片山氏が、租税特別措置・補助金の見直しを担当大臣として担い、「責任ある積極財政」を正面から掲げている。

 

役所とは、政治が明確なリーダーシップを示せば、それに従って知恵を出す組織である。本丸の財務省が積極財政の実現へ舵を切っている以上、「財務省が抵抗の黒幕だ」という筋書きは、もはや現実とは合わない。

 

反対論が拠り所とするのは、せいぜい省内の一部やOBに残る不満の声であろう。だが、それを頼みにした主張は、出発点からして筋が悪いのである。

円安への「断固たる措置」が示すもの

折しも7月30日夜、ニューヨーク市場で円が急伸し、一時157円台まで、わずかな時間に5円ほど円高が進んだ。政府・日銀の円買い介入に、米通貨当局のレートチェックが重なった、日米連携の動きである。

 

中東情勢と原油高を背景に、円は約40年ぶりの安値圏に沈んでいたが、当局は、その動揺がこれ以上広がる前に、先手を打って抑え込みにかかったと見て良い。ここで見落としてはならないのは、積極財政に踏み出すその局面で、政権が通貨の信認という最も敏感な急所に、ためらわず手を打ったという事実である。米国と緊密な連携も明らかとなっている。

 

円安は放置しない、しかし財源は国債には頼らないという、攻めと守りの両輪を握るからこそできる差配だ。「規律なき拡張で円が売られる」という反対派の常套句に、政権はステルスな対応で答えてみせた。もっとも、介入の効き目には限りがある。だからこそ、国債に頼らぬ財源規律という一線を、政権は最後まで手放してはならない。

オールドと呼ばれるのは誰か

反対論の中核にあるのは、かつての財政規律至上主義に染まった発想である。「財源が、財源が」と繰り返すばかりで、ではどこからその財源をどう生み出すのか、その知恵を具体的に示せる者は少ない。

 

厳しい言い方になるが、そうした思考の硬直こそが、需要を冷やし、成長の芽を摘み、いわゆる「失われた30年」を長引かせた一因ではなかったか。物価高にあえぐ家計に、今こそ手を差し伸べるべきときに、机上の均衡論を振りかざして立ち止まる、その代償を払ってきたのは、ほかならぬ国民である。

 

政治のフェイズは、明らかに変わった。物価高対策として、「何もするな」と言う者はいない。争われているのは手段であって、目的ではない。

 

にもかかわらず、減税の中身や財源設計という土俵で論じることを避け、推進する側の振る舞いや人格に絡めて、「ばらまきだ」「選挙目当てだ」と論う、理論ではなく人物で反論するその態度こそが、まさに「オールド」の名にふさわしい。

 

新しい局面には、新しい発想で臨むしかない。古い物差しをいつまでも手放せない者が、変化に踏み出す者を、旧弊と嗤う倒錯は、そろそろ終わりにすべきである。

支持率「若高老低」が暴くもの

世論調査の数字は、時に意図せぬ真実を映し出す。高市内閣の支持率に現れた「若高老低」が、その典型である。日本経済新聞の調査では、29歳以下で7割台、70歳以上で4割台と、両者の差は最大で30ポイントに達した。歴代政権では見られない異例の開きである。

 

そして、日経はその一因を、世代によって政治の情報を得る手段が、SNSか、テレビ・新聞かという形で違う点に求めている。同じ政権を見ていながら、どこから情報を受け取るかで、評価がここまで裂ける。これは、水面下で何かが起きていることの証左ではないか。

 

よく聞くのは、「若者は新聞もテレビも見ず、ネットの偏った情報に踊らされている」という物言いである。だが、事実は真逆だろう。日々、玉石混交の情報の海を泳ぎ、複数の情報源を突き合わせて真偽を見極める若い世代こそ、実は最も鍛えられた読み手だ。

 

一方、朝夕の紙面と決まった時間のニュースに判断を委ねれば、その偏った語り口に、知らぬ間に染め上げられていく。そして今、その主要メディアは、ここまでやるかと思えるほどの「高市下ろし」に傾いているように見えてならない。

 

連日の粗探しと揚げ足取り、政策の中身ではなく印象で政権を削っていくのが常態化している。若い世代がそれを鵜呑みにしないのは、リテラシーの敗北ではなく、勝利である。

 

そのため、消費税も油断はならない。減税を「ばらまき」「財政破綻への道」と繰り返し刷り込む報道が続けば、その語りに最も浸された層から、減税不信の世論が醸成されていく。

 

若い世代が負担軽減を素直に歓迎する一方で、つくられた不安に足をすくわれる層が生まれるという、年代で割れる世論は、突き詰めれば、情報環境で割れる世論のことだ。

 

現に、支持率はこのところ下落に転じ、調査によっては政権発足後の最低水準を記録している。何もしなければ、つくられた空気に押し切られる。潮目は、甘くない。

突然の熊本地震

7月28日午後、熊本県で最大震度7、マグニチュード7.1の地震が発生した。県中央部を震源とし、津波注意報も出された。7月31日時点で、災害との関連を調査中の方を含め35人もの尊い命が失われ、1万人近くが避難を強いられている。

 

倒壊した建物の下では、今なお救助を待つ人がいる。時間との闘いが続いている。まずは、亡くなられた方々に深く哀悼の意を表するとともに、被災された全ての皆さまに、心よりお見舞いを申し上げたい。

 

その上で、政府の初動は素直に評価したい。地震発生の直後に政府は官邸対策室を設置、直ちに総理指示を発出し、2時間後には非常災害対策本部を立ち上げ、3時間半後にはすでに会議を行なっている。

 

自衛隊は、発災直後から航空機で情報収集にあたり、隊員態勢は3日目には約5,000名規模へと拡大した。食料や水、段ボールベッド、連日の猛暑をにらんだクーラーまで、避難所へのプッシュ型支援が各省庁を挙げて進んでいる。

 

高市首相は、「ニーズを踏まえ、政府一丸となって取り組む」と述べ、迅速に支援体制を整えている。阪神・淡路大震災で初動の遅れが厳しく問われて以来、東日本、2016年の熊本、能登と、我が国は幾度もの惨禍を経て、災害対応の仕組みを鍛え直してきた。

 

求められる前に必需品を送り込むプッシュ型の発想も、避難環境への細やかな目配りも、その積み重ねの産物である。単に速いだけではない。過去の教訓が血肉となった、きめ細かな対応となっている。したがって、高市政権だから早いというつもりはない。

 

しかし、この対応もまた、内閣の指示に直結している。災害は、統治の力量を最も過酷なかたちで映し出す。ここで判断を誤り、被災地の痛みに鈍い姿をさらせば、下降してきた支持はその坂をさらに転げ落ちるだろう。だが、被災地に寄り添う姿勢を最後まで貫き通せるなら、下げ止まらずにいた支持も、底を打ち、反転していくはずである。

2つの試練に立ち向かえるか?

いま、政権の前には、2つの試練が同時に置かれている。ひとつは、約束した減税を、規律を保ちながら実行に移すことであり、2年後の揺り戻しに備えて切れ目ない接続を用意し、財源も年末に向けて工程表として固める詰めを、最後までやり切れるかである。もうひとつは、災害に打ちひしがれた人々の傍らに、立ち続けることである。

 

この2つは結局、同じ一点に行き着く。決めたことを、語ったことを、現場で果たしきれるかである。差し伸べた手を引っ込めることなく、国民に安心を届けきる覚悟があるかどうかで、政権の評価が定まる。正念場は、これからである。