地政学リスクが変えた企業の立地判断

日本企業のグローバル化は、いま大きな転換点を迎えている。かつては、グローバル化と言えば、安い労働力、巨大な市場、低い生産コストを求め、中国を中心とする海外生産網を拡大する動きを指すものであった。

 

とりわけ2010年代前半は、日本企業は、円高、高い法人税、電力不足、経済連携協定の遅れ、労働市場の硬直性、環境規制という「六重苦」に直面し、国内に工場を置き続ける合理性を見出しにくかった。

 

そのため、製造業の多くの企業が、海外生産を加速させ、国内の工場立地件数は大きく減少してしまった。日本の製造業は、世界で稼ぐために海外へ出たと言われるが、このようなやむにやまれぬ事情もあった。

 

しかし、現在その前提は完全に崩れている。円高は円安へ変わり、経済連携協定が広がり、法人税率もかつてより低下した。一方で、中国などの進出先国では、労務費が上昇し、現地企業も力をつけた。コストで有利だった場所が、安定的な生産拠点ではなくなった。

 

さらに、米中対立、ロシアによるウクライナ侵攻、中東情勢の緊迫、米国関税、コロナ禍で露呈した物流途絶リスク、人権・環境問題の強化が重なり、世界経済は、安く作ればよいという時代から、止まらず、奪われず、脅されない供給網をどう構築するかへ移行した。

経産省の報告書が示す問題意識

経産省が2026年6月26日に公表した「グローバル環境変化を踏まえた我が国の立地環境整備のあり方等に関する検討会」の最終報告書では、この変化を正面から捉えている。報告書の問題意識は、極めて明快である。

 

日本は、技術革新力や労働効率性では他国と遜色がないにもかかわらず、国内投資が不足し、潜在成長率が低迷してきた。そのような状況を踏まえ、高市政権では「責任ある積極財政」の下で、危機管理投資と成長投資による官民協調の国内投資を促進し、雇用、所得、生産性を引き上げる必要があるとの立場をとっている。

 

報告書では、第1に日本企業によるグローバルサプライチェーン見直しの実態確認、第2に日本の立地環境を事業コスト、人材、建設、サプライヤー、土地・インフラなどの観点から国際比較、第3に国内投資を加速するための具体的な対応の整理が必要であるとしている。

 

感情的な「脱中国論」や「国内回帰」を唱えているのではなく、企業が投資先を選ぶ現実の条件に即して、日本の立地競争力をどう高めるかを検討すべきとのことである。この報告書に興味のある方は、リンクを貼っておくので参照いただきたい。

特定国依存の危うさ

実際、日本企業の動きには変化が出ている。国内の製造業企業では、大企業の約7割、中小企業の約3割が、グローバルサプライチェーンの見直しを予定または検討しており、大企業の一部は海外生産拠点の移転も決定または検討している。移転先としては、日本国内、ベトナム、インドなどが挙がっている。

 

特に、中国の拠点に関しては、現地生産コストの増加、地政学リスク、サプライチェーン効率化などを背景に、他国への移転を検討する傾向が強まっている。中国は依然として巨大市場であり、完全に切り離す対象ではないが、無条件に「中国に置けばよい」と考えられる時代は、すでに終わりつつある。

 

象徴的なのが、レアアースをめぐる問題である。中国がレアアースや関連品目の輸出管理を強めたことは、日本企業にとって重大な警告となった。国内の企業同士の取引でも、最上流の鉱物、素材、部材が特定国に依存していれば、サプライチェーン全体は脆弱となる。

 

医薬品の原料、半導体材料、磁石、重要鉱物、精密部材などは、完成品メーカーだけでなく、素材、加工、部品、装置、物流まで遡って点検しなければならない。

 

これからのサプライチェーン戦略では、「一次取引先が国内かどうか」ではなく、「最上流まで見たときに、どこに急所があるか」ということが問われることになる。

成長戦略と国内投資の新たな接続

見直しを進める上では、政府の成長戦略との接続も重要となる。成長戦略では、17の戦略分野で2040年度までに官民あわせて370兆円超の投資を呼び込み、投資が最大限誘発されるケースで名目GDPが1100兆円規模に近づくとの試算を示している。

 

AI・半導体、造船、量子、デジタル・サイバーセキュリティ、フードテック、マテリアル、港湾ロジスティクス、合成バイオ、航空・宇宙、防災・国土強靱化、創薬・先端医療、フュージョンエネルギー、資源・エネルギー安全保障・GX、防衛産業、情報通信、海洋、コンテンツなど17の戦略分野で、2040年度までに官民で370兆円超の投資を呼び込む予定である。

 

これは、単なる産業振興策ではなく、安全保障、経済安全保障、地域政策、技術覇権、エネルギー政策を一体化した、国家的な供給力強化策である。

 

その具体的なシナリオは、3段階に分かれる。第1に、17分野ごとに官民投資ロードマップを作り、研究開発、実証、量産、海外展開、人材育成、標準化、政府調達を一体で設計する。第2に、単年度予算や補正予算に依存せず、複数年度にわたる投資枠を設け、企業が長期の投資判断をしやすい予見可能性を確保する。その上で、第3に、地域未来戦略と結びつけ、各地に産業クラスターを形成するとしている。

 

地域未来戦略の意義は、クラスターの形成にある。熊本の半導体や北海道の次世代半導体、瀬戸内や九州の造船・蓄電池、北陸の素材・精密加工、東北の医療・防災、関西の創薬・バイオ、北海道・東北・九州の再エネ・GXなど、地域の強みで国家戦略分野に接続する。

 

このクラスターに、道路、港湾、空港、鉄道、工業用水、電力、都市ガス、データセンター、再エネ、廃熱利用施設、大学、高専、専門高校を組み合わせれば、単なる工場誘致ではなく、研究開発から量産、人材供給、物流、生活基盤まで備えた産業生態系が形成される。これが、報告書で述べている「立地環境整備」の中核である。

 

もっとも、日本国内に生産拠点を戻せば、全てが解決するわけではない。国内では、建設費が高騰し、建設期間が長期化している。産業用地は不足し、製造業が集積し都市部にも近い人気地域ほど、市街化調整区域などの制約で用地確保が難しい。

 

半導体やデータセンターのような電力多消費産業では、電力コストや送電網も大きな制約となる。サプライヤーも、長年の海外移転によって国内生産能力が細っている。さらに、人手不足は製造業だけでなく、建設業、物流業、サービス業にも及んでおり、国内投資のボトルネックになっている。

 

そのため、国内回帰は懐古的な「工場を日本に戻す」ではなく、次世代型の立地戦略でなければならない。ロボット、AI、自動化、省人化を前提にした工場設計、デジタル化を妨げない標準化、産学官連携による人材育成、サプライヤーの設備更新、重要部材の内製化、複数企業による共同投資、価格転嫁と取引適正化、産業用地の用途変更の迅速化、送電網と電源の整備、エッセンシャルサービスの維持まで含めて考える必要がある。

 

企業が「戻りたいが戻れない」状態を解消するには、補助金だけでは足りない。土地、水、電力、人、物流、研究開発、金融、行政手続を一体で動かす政策パッケージも必要である。

 

この文脈で見れば、円安も単なる輸入物価上昇要因ではない。もちろん、円安は資源・食料価格を押し上げ、家計や中小企業に負担をもたらす。しかし、長期的に円安傾向が続くなら、海外生産と国内生産のコスト差は以前ほど大きくはなくなる。

 

加えて、米国関税や地政学リスクを加味すれば、従来の人件費だけを基準とする立地判断は成り立たない。関税、為替、物流、政治リスク、技術流出、輸出管理、人権規制、環境規制、電力、災害リスクを総合的に評価したうえで、日本国内または信頼できる同志国に拠点を置くことが、企業価値を守る選択肢になりつつある。

脱中国ではなく、中国依存の最適化

もちろん、これは中国から完全に撤退せよという単純な話ではない。中国市場で販売する製品を、中国で作る合理性は残る。中国企業との競争や協業も続くだろう。しかし、日本や米欧、東南アジア、インドなどに供給する製品まで、中国一極に依存する必要はない。

 

むしろ重要なのは、製品ごと、部材ごと、顧客ごとに、どの機能を中国に置き、どの機能を日本に戻し、どの機能を他国に分散するかを精密に設計することである。これは脱中国ではなく、中国依存の最適化であり、経済安全保障を組み込んだグローバル化である。

新たなグローバル化

これからの日本企業に求められるのは、低コストを追うだけのグローバル化ではなく、リスクを読み、供給網を守り、技術を守り、国内の稼ぐ力を高めながら、世界市場で稼ぐ新しいグローバル化である。

 

政府の成長戦略が掲げる370兆円超の官民投資、複数年度の投資枠、地域未来戦略による産業のクラスター形成は、その受け皿として期待できるが、成否を分けるのは予算規模そのものではなく、企業が本当に投資したくなる立地環境を整えられるか、サプライチェーンの急所を見抜けるか、地方の産業基盤を全国的な成長力へ転換できるかである。

 

日本企業のグローバル化は、これで終わるのではない。この先は、中国中心、低コスト中心の段階から、日本を中核に据え、同志国と連携し、地域クラスターを育てる段階へ進化させることができるかが重要となる。

 

この転換を、防衛的な国内回帰にとどめるのか、それとも日本経済を再び成長軌道に乗せる攻めの産業戦略に変えるのかで、日本の未来も変わる。これからの動きが重要である。