2026年度予算案は、3月13日に衆議院本会議で可決され、16日から参議院での審議がスタートした。憲法第60条の規定により、参議院が30日以内に議決しなければ衆議院の議決が国会の議決となるため、本予算は最長でも4月11日には自動的に成立する。
そのため、参議院での審議は元々時間的な制約がある。その中で存在感を示すためには、鋭い質問で論点を洗い出すことに集中すべきなのだが、時間が足りないことを言い訳に、野党は年度内の予算成立を阻むことが目的化しているような交渉を続けている。
参議院の野党第1党である立憲民主党の斎藤参院国対委員長は、魔法の杖でもない限り現実的には年度内成立は難しいと述べ、暫定予算の編成を迫り、暫定予算の審議にも時間をかけろとまで言っている。
こうした一連の経緯を見て思うのは、野党がこだわっているのは議論の中身ではなく、議論の時間であるということだ。この日程闘争は、予算の成立に大きな意味をなさず、国民生活にとってはマイナスでしかない。
2月8日の衆議院総選挙で、自民党は316議席という歴史的大勝を収め、与党は衆議院の定数の4分の3を超える圧倒的多数の議席を得た。この選挙結果は、高市政権が掲げる「強い経済」路線に対する国民の明確な支持表明にほかならない。
民主主義では、直近の選挙結果が最も重い結果である。参議院は良識の府として独自の役割を担っているが、その存在意義は衆議院の暴走を抑制するチェック機能にある。しかし、その機能を働かすことなく時間を浪費するのであれば、それは妨害と変わらぬ行為だ。
衆議院での審議時間を不十分だと批判する人もいるが、本当に不十分だったかはよく精査した方が良い。時間だけで見れば、野党議員には相当な配慮をしているはずだ。時間が足りないと与党を批判する野党は、自身が無能であることを認めているようなものである。
野党の戦略は、「まず暫定予算を編成させ、その審議を行い、そのうえで2026年度本予算の審議時間を十分に確保する」というものである。一見すると筋が通っているように見えるが、冷静に考えると、この戦略は国民生活を人質に取った日程闘争以外の何ものでもない。
暫定予算とは、本予算が成立するまでのつなぎにすぎない。年金や公務員給与など最低限の経費を計上するものであり、新規事業は盛り込めない。そのため、暫定予算の期間が長引けば、新年度に予定されていた政策の執行が遅れるのは明白である。
さらに、暫定予算を編成すれば、審議自体にも国会のリソースが割かれる。暫定予算の審議に時間を費やせば、その分だけ本予算の審議時間は圧迫される。野党は「審議時間が足りない」と言いながら、自らその時間を減らす選択をしていることにもなる。
また、現在の国際情勢は予算審議の遅延を悠長に受け入れられるような状況にはない。ウクライナやガザに加え、中東情勢までが緊迫化しており、世界中に混乱が広がっている。こうした局面で、予算の執行に空白が生じることのリスクは計り知れない。
2026年度予算が早期に成立すれば、当面のエネルギー価格の高騰対策に対しても機動的に対応できる。暫定予算では、そのような新規の緊急対策を打つことは極めて困難であり、不測の事態に備えるためにも、フルスペックの予算を一日も早く成立させる必要がある。
野党は、「衆議院を解散したから審議時間が足りなくなった」とも批判する。確かに、解散の判断が予算審議の日程を圧迫したことは事実である。しかし、その解散を経て行われた総選挙で国民が下した審判は、高市政権に対する圧倒的な支持である。
野党の審議時間が足りないとの主張を受け、自民党は土日に予算委員会を開くことも提案した。年度内成立に向けて休日返上で審議しようという姿勢であるが、野党は前例がないとの理由で、現時点ではこの提案を受け入れてはいない。
この提案を野党が受け入れたら、国民の目には「与野党が一丸となって、年度内の予算成立に向けて全力を尽くしている」と映るはずだ。特に、日々の生活で土日も関係なく働いている人たちにとって、国会議員が休日返上で議論する姿は好印象を与えるだろう。
逆に、「週末は審議しない」「暫定予算を先に審議しろ」という野党の姿勢は、国民生活よりも政局を優先しているように見えてしまう。審議時間の確保という名目の裏に、高市政権に年度内成立の手柄を与えたくないという政治的思惑も透けて見える。
予算審議で問われるべきは、過去最大の予算の使い道が国民生活の向上に資するかどうかである。防衛費の増額は適切か、社会保障費の抑制策は妥当か、教育無償化の財源は持続可能かなど、本来こうした骨太の議論が行われて然るべき場なのである。
ところが、実際の参議院の予算委員会では、予算案の中身とは直接関係のない質問があまりにも多く散見される。スキャンダルの追及が不要だとは言わないが、このようなことを繰り返されては、限られた時間の中で予算案を真剣に議論しようという熱意は伝わってこない。
予算案の本質から外れた質疑に時間を費やすことは、国民から見れば「時間がないと言いながら、何に時間を使っているのか」という不信感につながる。これが繰り返されれば、「参議院は本当に必要なのか」という不要論が勢いを増すのは避けられない。
参議院が「良識の府」としての存在意義を示すためには、予算案の中身に踏み込んだ実質的な質疑を真剣に行い、自分たちの存在意義を示すことが重要である。時間ではなく中身で勝負する姿こそが野党の最大の武器であり、参議院の存在価値そのものである。
高市首相による通常国会冒頭の衆議院解散は、確かに異例の判断であった。この事態に野党が反発するのは理解できなくはない。しかし、解散は行われ、選挙は終わり、国民の審判は下された。この現実を前提とした国会運営を組み立てるのが、建設的な姿である。
例年通りの審議時間にこだわることは、すでに変わってしまった前提条件を無視することにほかならない。過去にも衆議院選挙の影響で本予算の成立が遅れ、暫定予算が組まれたことはある。しかし、今回は首相の年度内成立という強い意志が、すでに示されている。
これは国会の「新常態(ニューノーマル)」でもある。高市政権が示した新しい政治のテンポに是々非々で挑み、予算審議では与野党が知恵を出し合って迅速に予算を成立させるという柔軟性を見せることが、野党が国民から信頼を回復するための近道にもなる。
予算成立の遅れが影響を及ぼすのは、永田町の政治家ではなく、全国の自治体や企業、国民一人一人である。このシンプルな事実を、改めて認識すべきだ。暫定予算の審議に時間を割くよりも、本予算の早期成立に全力を注ぐ方が、国民生活にとってプラスなのは明白だ。
もちろん、参議院での審議を軽視してよいとは言わない。しかし、丁寧な議論とは時間をかけることではない。限られた時間の中で、いかに核心を突いた質疑を行い、国民に分かりやすく論点を提示できるかが、参議院の真価であり野党の力量が問われる局面でもある。
永田町の古い慣習にしがみつき、審議時間だけに血道を上げる姿は、変化する時代に対応しているとは言い難い。新しい政治の流れを前向きに受け止め、中身で勝負する野党に生まれ変わるべきである。そのことを思い出すのに、これ以上時間をかける必要はない。
