娘は広汎性発達障害で IQ75のグレーゾーン
コミュニケーション能力が極端に低い・・・
指先も不器用で力が入らない・・ペットボトルのふたも開けるのが苦手。鉛筆を握る指先がふにゃふにゃして筆圧が弱く、薄い色の字しか、書けない。
運動能力も極端に低い・・・股関節に問題があるのではないかと学校の先生に指摘されたが問題はなかった
だから体育祭や文化祭ってなものには娘にとって
まさに地獄のような・・針のむしろにいるような・・
消えてしまいたいくらい・・辛い行事だった・・・
娘は、未だに心に大きくトラウマを抱えていた
「何をしても自分はだめな人間なんだって
ずっとおもってきたよ。
どんなにいい先生でも私のことは、理解してもらえない。
体育祭で全員で走るリレーは私のせいで負けたって・・
失敗の天才だねって皮肉も言われ・・責め続けられた・・
私が入るチームのメンバーは露骨に私の存在を嫌がった、仕舞いには 私の存在は無視されるようになっていった。中学の時は男子達からばい菌扱いされ、合唱コンクールの時は近くに並ぶはずの男子達が気の弱い男子達と場所を変わっていた。体育祭の時は男女でフォークダンスするのに私と手をつながなくていい場所に男子達が交代していた・・・。友達が出来ない、
クラスメイトと、話すときには何を話していいのか、
わからなくなってしまって・・・
すごく、緊張して・・・体が硬直して・・・なにもいえなくて
とうとう、中3の時には教室に入ることが
出来なくなっていけなくなった。
登校拒否で中学の勉強がわからなくなってママが学校の代わりに塾に行かせてくれた。
そんな経験をしている私が
今のクラスで迷惑になってないか
私がここにいていいのかなって思うの・・・」
いじめとは・・・そのときばかりではなく、
決して癒えない爪痕を残すものだと痛感した
発達障害とは・・・本人が意図してない出来事に対処出来ず、
苦しむものなんだ。コミュニケーションの大切さを改めて思う
小中高・・・と母娘で悩んできた友達関係について
いつから雰囲気が悪くなるのか、思い起こして考えてみた
パターンその一
あるクラスメイトの女子が悩みを話していた・・・娘は同調出来ず、周りの空気を読むことが出来なかった。なんの話か、集中力もきれて空想していると
ふと楽しいフレーズを思い出してしまった。
シーンと静まりかえっている女子達の輪の中で
ふと思い出したフレーズを言ってみた。場に合わないフレーズに
またもやシーンと気まずい雰囲気になって
「何、あいつ?」
冷ややかな視線・・・
みんなの苦しみの先の怒りの矛先が全部、娘に注ぐことになってしまう・・・
パターンその二
気持ちのスイッチの切り替えが苦手なので
いきなり「ここに行こう。これやってみよう。」と誘われても
「行かない、出来ない、食べない」
全て否定の言葉が先に出てしまう・・・
でも、みんなの様子をみて
自分も行ってみよう、やってみよう。食べてみようと、
気持ちが切り替わって実行すると・・・・
「行かないって言ったじゃん。」「やらないって言ったのに・・・」
私達と一緒じゃ嫌なの・・・?・・とみんなの気持ちを逆なでしてしまう
あいつ・・ヘンな子、ひねくれ者、勝手なやつ・・・なんか・・おかしいよね
だんだん、周りから外れてひとりぼっちになっていた
他にもあるかもしれないが、母親の私が疎遠になってしまった子供達や娘の話を総合して
わかったパターンがこの二つであった。
原因がわかれば、それに対処していったらいいよね
この二点については私も口うるさく言ってきたが
なかなか・・・・性格ではなくて特性・特徴的なものなので
一筋縄ではうまくいかない様子・・・
つまづきながら、傷つきながらも毎年くるしんできた・・・結果
広汎性の特徴の友達が出来ない・・・に対して
高校生では友達が一人出来た
進学先の状況では正直・・・
友達は難しい状況であった・・・
娘の夢はSE(システムエンジニア)なのでゆめを叶えてあげたい
こんなそんなで私達家族の戦いは始まった