ガイドスピリッツからのトランスレーター天陽からのメッセージ -4ページ目

真理の断りを外す学び

   8章 霊的真理の中では見えない真理

 

私は、霊的真理を日常の生活の学びに必要なことと認識していましたが、この認識が実は間違っているのではないかと最近感じるようになりました。

 

色々な人が存在するように、また人の価値観も数多に存在する事になると思います。

もし霊的真理が一つしか存在しない物と仮定した場合数多の数価値観には当てはまらない事になると思います。

 

それには霊的真理の中に人の価値観もしくは固定概念と言った内容は存在していない事になるのです。

 

固定概念の中に霊的真理を当てはめようとすると、全く理解する事が困難な内容に変化する事になるのです。

 

霊的真理は魂の輝きのきっかけになる学びと私は最近強く思うようになりました。

人としての生活の中で魂の輝きはふとした気づきでも存在するように、霊的真理の学びは、日常の生活に取り組む事が出来れば非常に素晴らしい事と思いますが、この何気ない気付きに感謝をする事で後から霊的真理の学びが行われていく事になるのと思います。

 

人の価値観の中で存在する学びは人としての学びになり、その中に霊的真理の学びからの観点で見てしまうと、実は霊的真理の学び自体が間違った観点に変化する事になるのですね。

 

それでは、正しい学びとは一体どの様な学びになるのでしょうか。

その答えは次章に記載さていただきます。

 

真理の断りを外す学び

   7章 真理の本質は目に見える事象

では、真理の本質になります。

実は霊的真理は現実に目に目視出来る学びになります。

 

中には何か神秘的な世界観をお持ちの方も非常に多いと思いますが実は全てが目視出来る学びになるのです。

 

前章で記載した因果の法則の内容になりますが、実直に考え答えを出した人は少しずつ問題を解決に進む事になりますが、その考えている事に、この考える過程に真理の学びを行うことになります、しかし、そこでの真理の本質を知ることは難しい事です。

 

此処での学びの成果は、あくまでも、お助けマンというギフトが送られる事になります。そのギフトに感謝の学びが存在し、そこに感謝を学べば魂が輝くことになるのです、魂が輝いた結果問題は解決の道に進む事に繋がることになったという事になりますね。

 

やはり、何事も良い成功は結果後からついてくる事になる因果の法則になりますね。

 

では、後者の方は、現状は確実に進展もなく停滞状態になる事になると思います、ひどい状況になれば後退と言う状況になると思います。

 

現状もがくが何も解決の道が見えないと言う事になります。まさしく問題のループに突入していきます。

 

この問題のループが学び直しになるのですが、なら学べばいいのではと思いの方もおられると思いますが、ここでは、この問題のループが必要という事が大切なことになります。

 

霊的真理は自ら学びの気づきが必要なことになります、そして、全ての人に平等に学びの場は設けられているのです。

 

極論から言うと失敗の経験も置かれることもあるのです。

ですが、失敗の学びが今後に生かされることになる事も多々あります。

 

いかに魂が輝くことになるかが、霊的真理の本質になります。

真理の学びはあくまでも、魂が輝く学びのきっかけでしかないのです。

魂が輝く人は非常に強いパワーをもって、人を引き付けるものを確実に身につけています。

 

成功の一つの道はその道の成功者の話を聞くことも一つであるのはこの様な事ではないでしょうか、ですが、人の価値観も簡単に捨てることは難しい事と私は思います。

 

私自身がそうであるように、霊的真理を前提においては人間感情を無視した学びが非常に多く感じます。

 

真理価値観が強くなれば人間価値観が見えなくなる、これも、学びの矛盾になると思います。

 

で次に真理価値観の中では見えない事を次章で書いていきたいと思います。

 

真理の断りを外す学び

  1. 6章 人々語る真理の本質

霊的真理の法則は非常に奥が深く捉え方一つの違いで大きく変化す非常に難しいものですと、今まで私はこの様な表現で書いてきましたが、ここに大きな間違いが存在してきました。

 

簡単に書く事は非常に難しいですが、あえて一言に、まとめようとすれば十人十色と言う言葉ではないかと私は思います。

 

例えば因果の法則を例として上げていきます。

 

因果とは、原因がありその結果この様な状況になる、因果応報と同じ内容になります。

ですが、因果の法則が働いていたとしても、一人一人状況は確実に違う事になり、また認識の価値観も違う事になります。

 

実直に考え試験に内観し何に感謝もしくは改を行えばよいか考える人、また、自身はなんの間違いもないと他人に問題があると考える人。

上記の二つの内容でも、因果の法則は大きく違った認識になる事になります。

 

この様な状況が起これば、語る言葉ではなく行動が言葉に変わり、色々は人に伝えていくことになるのです。

 

この様な状況が長い年月を重ね認識の違いを生んできたのではないかと私は感がるようになりまた。

 

霊的真理は精神論でもあると私は考えています。あえて言葉で認識するようになれば、十人十色で言葉の認識の違いも生まれてくる事になります。

 

では真理の本質はどの様な事になるのでしょうか、その内容は次章での登場になります。