まとまらないままに | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

なんというか、一番こわいのは、良識のある一般人というか。

関東大震災の時に、多くの在日の方々がむごい殺され方をした。
その加害者は、普通の、良識のある方々だった。

読みたくなかったけど、当時何がなされたかを読んだ。その生々しい記録に何晩も悪夢を見るほど。

フツーの人が平気でああいうことができる。
何故できたかというと、恐れからだ。
恐怖からだ。


人を善良だと思わない方がいい。
そもそも人は性善説か性悪説かみたいな話を、若い頃にした記憶があるけど、そもそも人はサバイバルな存在だ。
つまり、どうやったら生き残れるか。
それが人間の基本的な欲求。
生き残れなければ、性善も、性悪もないのだから。
人は平気で悪魔になれる。

魂の方は、善悪もサバイバルもないけれども、そっちはただ観察しているだけなのだから、また、別の話で。

人間って本当に自分のことしか考えられないし、人の痛みなどわからないし、恐怖やサバイバルにとらわれている時には、本当に何でもやらかしてしまう。

そこから出るためには、他者の気持ちになってみることが必要になる。
だが、感情移入しっぱなしもダメなのだ。
いったん感情移入して自分とは異なる立場の人の気持ちがわかったら、再び自分にもどり、多様な人々の視点を理解した上で客観的な中立的な視点から見る。
それが大事だ。

そのような視点を得るためのアプローチやメソッドや、自分の恐れを手放すための方法論がいまではいっぱいある。
その点では、関東大震災の頃よりずっと人は多様性に開かれてきていると思うのだが。

しかし、ヘイトスピーチなどを見るにつけ、それらが多くの人にまだ共有されていないような気がして仕方ない。
まだやってないこと、届いてない相手がいっぱいあるということかもしれない。

人が人を理解する、理解し合うための叡智がこんなにあるのに共有されてないのは何故だろう。

もっと一般化した形で、誰にでも手がのばせるような料金とわかりやすさで、そのようなアプローチを伝えられないか。

市民運動派は、もうアンチとか、反安倍政権とか言ってる場合じゃないんだよ。
アンチとか、何かが起こった後の対症療法ではなく、もっと一歩進んだ、人の可能性から何かを始めなければ。

そもそも、ヘイトスピーチの初期に、これはみんなで取り組まなきゃいかんだろうと言ったのに、多くの市民活動家やファシリテーターはその問題に関わることから逃げた。
そして何年もの間、ああやって在日の人達がなぶられるのを放置した。
それは、関東大震災当時とマインドレベルでは余り変わってないんじゃないか。
見て見ぬふりをするという…。
だったら自分に何ができるか。
アンチでもオルタナティヴでもなく。
人の可能性にフォーカスすることで…。

ふー。

何か急に書きたくなって、まとまらないまま書いてみた。