1999年の前に1992年辺りのお話を少し🤏しますねほっこり








1992年 私、12歳。東京代々木第二体育。






私の目の前で、姉が史上最年少の世界チャンピオンになった瞬間でしたニコ






姉が表彰台に登り、メダルとティアラをもらった姿を見て





私も世界チャンピオンになりたい。





と、思った瞬間でもありました





それから7年後




1999年 私、19歳。ブルガリア🇧🇬ソフィア。

(スウェーデンだった!笑)




初めて世界チャンピオンになりました。





練習相手でもなく、親について試合を見に来たでもなく、生まれて初めて私が主役になった日です。




いつも姉や兄の後ろにいて、おまけで、脇役専門だった私は、今でも主人が私をメインにやってくれるような時は、本当に気配を消してしまうほどメインに馴染めず、どうしても後ろに隠れてしまいます。笑






それでも自分の力で主役になれたこの日は、本当に嬉しくて、最高の一日でしたおねがいキラキラ






試合の翌日、選手団は日本へと帰国しました。






1999年9月14日




成田空港へ着くと、迎えの人たちの中に姉の姿がありました。




この後は選手はみんなレスリング協会へと行く予定でした。






なんでいるのかな?







姉は特に話すこともなく、私を乗せた車はどこかへと動き出しました。







着いたのは、東京慈恵医大の裏口のような所でした。







車が停車する場所に、兄の徳郁がいました。






あ、ノリだ。





車を降りると、ノリは右腕で私の肩を抱き抱えて、反対の手で自分の顔を覆いながら泣いてました。





少し歩くと、






そこにはもう、笑う事も喧嘩をする事もない母の体がありました。







私が飛行機に乗ってる間に、この世から旅立ってしまったそうです。






とにかくその時思ったのは、






金メダルを母に持たせたい。でした、、






私は勢いよく、母の体を覆っていたシーツをはがしました。







そこには、私の想像とは違う母の体があり、メダルを持てる状態ではありませんでした。






今振り返ると、私の中で、目に飛び込んできたこの母の姿が一番ショックでした。








2018年9月14日






私はグアムへの乗り換えのため、






また、成田空港にいました。





あの日と同じか…





大丈夫。大丈夫。




大丈夫。と、何度も自分に言い聞かせて、





赤ちゃんだった三男を連れて、シカゴのオヘア空港からの便で来た私は、乗り換えでグアム行きの飛行機へと向かいました。