先日、プロフィールの記事を書いた時に、脳動脈瘤のことについて少し触れました。
当時(2013年)の手記がありますので、ご紹介します。
手記なので「ですます」の文体ではないです。あと長~文ですっ
【今日は死ねない】
「今日はワタシ、死ねないんだ。」
いつだったか、もう10年くらい前だと思う。
三十路をとっくに超えた女ばかりで居酒屋で飲んでいた時にA子がボソリと言った。
「あ~!ワタシも!」
続いてB子が同調する。
私、「?」
そしてA子が、
「だって今日部屋の中最悪だもん。」
続いてB子、
「そうそう、私の部屋もぐっちゃぐちゃ!」
二人「きゃはははは!!」
・・なるほど、そういうことか。
幸か不幸か私は片づけが好きで、外出する時は家の中を片づけないとどうにも気持ち悪いタイプ。
帰ってきた時に散らかっているとうんざりするからだ。
基本は面倒くさがりの性格。だからこそ片づけを終わらせてから出かけたいのだ。
片づけをしっかりしてから外出する。それは一見、良いことのように聞こえるかもしれないけど、実はそうでもない。
片づけに気を取られ、身支度がおろそかになって決まらない髪やメイクで後悔することもしばし。
時間に追われるやら、気忙しないやらで疲れ果てる。お出かけ、本末転倒。
そして彼女たちの話を聞いて思った。
(そういえば別な理由で私も今日は死ねない・・・・・)
死んだら多分病院に運ばれる。そして多分着替えさせられる。
今日のブラジャーとパンツ、お揃いじゃない。しかもくたびれている。
あと爪や髪や肌、お世辞にもキレイとは言えない。手入れの悪さがはっきりわかる。
こんな酷い状態で生き恥ならぬ死に恥を晒したくない。
(いつ何があっても恥ずかしくないように・・・・・)
よく、「オンナは急に泊まれない」なんて交通安全の標語をもじったフレーズがあるけど、そういう方面に向くのではなくて、今日死ねる死ねないの基準になるのがなんとも悲しいところではある。
とりあえず、どこにポイントを置くかは人によるが、これって一種の「終活」だよな。
当時はそんな言葉なかったけど。
そんな思いをぼんやりと頭の片隅に持ち続けて数年後、それを地で行く出来事がわが身に起こった。
【未破裂脳動脈瘤】
私の頭の中の血管にはコブができているらしい。
場所は左目の奥のほうらしい。
今は未破裂で、破裂するかもしれない、しないかもしれない、破裂するとしても明日なのか30年後なのかわからないらしい。
破裂した場合の病名は「くも膜下出血」
死亡する確率がとても高い。助かっても後遺症が残るケースも多い。
当時40代前半であまりそういう心配をする年齢でもないはずだが、家系がソレ系なので、ある年の健康診断を人間ドックに変えて脳ドックも受けた。
念のため~なんて軽い気持ちで受けたのがまさかビンゴとは。
2013年初めの出来事。
頭が痛いとか血圧が変とかそういう症状は一切なく、見た目もピンピンしているのに、そんな恐ろしい爆弾のようなものが自分の頭の中にあるとは。
イマイチピンとこない。
ガンの宣告を受けた人は、文字通り「ガーン!」となるらしいが、それほどショックは受けなかった。
人間ドックを受けて通常なら2~3週間後に結果の通知が来るところ、わずか1週間足らずで脳ドックの結果だけが個別でぴら~っと送られてきたので、封を開ける前から良くない知らせだという確信があった。
父方の家系に脳卒中で倒れた親戚が何人かいて、私の父もくも膜下出血で56歳という若さで亡くなっている。私は25歳だった。
親の死。
あれほどのショックというか衝撃というか、一方で実感がわかない、これは現実なの?あの時の気持ちは今でも言い表すことができない。
そして日が経つにつれ、将来訪れる自分の死亡の原因も脳卒中系だろうなぁと漠然と思うようになった。
だからかもしれない。やっぱり、という感覚だったと思う。
とりあえず、放置もしておけないので病院を選び、診察を受けた。どの病院にするか迷った挙句に車で行きやすいところにした。
そして丸一日かけてMRIなどの検査をしてその日のうちに手術日も決定した。
コブが大きかったということと、年齢が若いということがお医者さんの見解だった。
“この病気にしては” “若い” と言われたところがなんとも気に入らない。と密かに思った。
このMRIも通常なら何か月も先に予約をするものなのだが、当日中にしてもらえたということはなかなか深刻な状況だったのかもしれない。
その日、診察の後もう何点か説明を受けるためにロビーで待っていると、私より少し若い主婦と思われる女性が号泣しながら家族に電話をかけていた。
聞く耳を立てていたわけではないが、かなり取り乱して、声も大きかったので耳に入ってきてしまった。深刻な診断をされたようだった。
その後、入院の説明を受けた時、看護師さんが私にこう言った。
「大丈夫ですか?・・・大丈夫そうですね、落ち着いていらっしゃいますものね。」と。
そこで初めて「ああ、ここは死ぬかもしれない疾患を抱えた人がやってくる病院なのだな。」と思った。
手術の方法は「コイル塞栓術」
太ももの太い血管に管を入れてそれを頭にできたコブまで到達させてコイルを埋め込んでいくらしい。
コブを埋めて血が通らないようにすれば破裂の心配がなくなるから。だそうだ。
医学知識がないので説明が間違っていたらゴメン。
それにしてもそんなすごいことができるのか。イマドキの医学ってやつは。
開頭手術じゃなくて良かった。ボーズにしなきゃならないからね。
一度丸坊主にはしてみたいと思ってはいたが、それはあくまで自分の意思でするというのが前提で、止むを得ずしなきゃならないというのは嫌だ。
1月24日にドックを受けて、1週間くらいで通知、2月初めに病院受診と精密検査、そして2月19日に入院、入院して一通りの検査を済ませ手術は2月22日だったと思う。
あれよあれよという間に動き出した。
【終活】
さあ大変。手術前にやることやらなくちゃ。
当時私はパートで事務の仕事をしていた。うまくいったとしても1か月近くは休まなくてはならない。
幸いなことに皆さんとても心配してくれて「休むのは気にするな」「また元気になって戻ってきてね」と言ってくれた。いや、今も元気なのだが。
でもこういう言葉は本当にありがたかった。
そして家の中。
普段から片づけはわりとマメにやっているとはいえ、やはりこういう場合は全然違う。
大掃除をもっと徹底的にやっておけば良かったとか、押入れの中の不要品の整理をもっとしておきたかったとか。
いや、なによりも万が一の時のことを考えておかなくては。
コブが破裂前に見つかったとはいえ、手術のリスクはなかなか高いらしい。
まず家のお金関係のこと。例えば住宅ローン、水道光熱費、その他もろもろ毎月いくらをどのように払っているか。
家族は会社員の夫1、大学生の息子1だが、そんなことは誰も知らず、自分しか把握していない。
誰が見てもすぐわかるように書いておかなくては。
書いているうちにあれも書いておかなくては、これも追加しなくては、と結局5回くらい書き直した。やれやれ。
あと何をどこにしまってあるか。いやー、それはもう手が回らない。後で勝手に探してくれ。
それから大事なのは生命保険。これもちゃんとわかるようにしておかないと。このままだと間違いなく気付かないで後の祭りになるだろう。
それから自分の個人的な持ち物。服だの化粧品だの。もともと少ないとはいえ、遺品になっちゃったりしたら処分しづらいだろうからいらないモノはできるだけ処分しておこう。
あとパソコンと携帯。自殺の名所の断崖に「ちょっと待て。ハードディスクは消したのか?」という投身を思い留まらせるための看板が立てられているそうだが、まさにそんな心境。
そんなたいそうな重要事項だの秘密事項だのがないにしても、やはりこういったプライベート的なものがいなくなってから晒されるのは嫌なものだ。
結局ある程度まで整理して消すものは消して残りは放置した。
ヤフオク用の自分名義のネットバンキングは、残高は常時せいぜい数千円~数万円程度だし、生き残った時のことを考えたら知られるのはアレだからナイショのままにした。
万が一の時にはこれらの口座は数年後凍結されて闇に葬られるのだろうなぁ。しゃーないね。
あと写真やビデオテープの整理もしっかりしておきたかった。アウトドア用品も整理しておけば良かった。
やっぱりこういうことも普段からやっておくんだったよなぁ。
なにせ入院が決まってからは2週間ほどしかなくて、やるべきこと、やっておきたいことに追われる毎日だった。
自分でも不思議なくらい冷静だったのが今思い出すとおかしい。
最新の医学の恩恵を受けて手術は無事成功し、以後なんの問題もなく過ごしている。
お医者さんが「一時、頸動脈が収縮してしまいましたが回復して・・」などと言っていたが、それってどうだったのだろう?
けっこう九死に一生を得た状態だったのかな?それじゃあ感謝しないとね。
余談だが、手術そのものは全身麻酔で目が覚めた時はもう終わっていたけど、一番辛かったのが「尿道カテーテル」だった。
尿道に管を通しておしっこを取るヤツ。すんごいヤダ。ちょっとでも動くと尿道に響く。激痛というわけではないが嫌な痛み。
パンパースにしてほしかった。あれだけは二度としたくない。
それともうひとつ余談だが、入院と手術にかかった総費用は200万円くらいだった。
健康保険の高額療養の申請を事前にしたので実際に支払った費用は20万ちょっとくらい。
数か月後に健保から還付金が14万くらい、生命保険の入院給付が10万ちょっとだったか・・。
トータルでみるとほとんどタダであんなすごい手術をしてもらっちゃったわけだ。
欲を言えば生命保険の入院日額をもっと大きくしときゃ良かった。
これから先、もし生命保険的なものに加入しようと思っても条件などがついてハードルがかなり高いと思う。
唯一のメリットは、保険の勧誘などを受けた時に神妙な顔をして「脳の手術を受けたことがあるので難しいと思います・・・・・」と、言えばそれ以上突っ込んでくる人はほとんどいないので断りやすく非常に楽なことだ。
とりあえず気まぐれで受けたドックと病院のおかげで現在にいたるわけだが、あの時に痛感した、身辺整理のあれもやっておけば良かった、これもやるべきだったという気持ちがますます強くなってきた。
ついつい日々の生活に埋もれてしまいがちになることだけど、意識するのとしないのではずいぶん違うのではないかなと。
突然慌てて後悔したくないからね。
この一件があってからはますます「終活」と「片づけ」を関連付けて考えるようになった。
2013年の秋くらいの画像。ウチのリムジン、、だったらいいな(笑) 髪が茶髪。