今頃は、鹿児島に行っていたのにな〜(これを書いていたのは、12/11結婚記念日から1ヶ月後)
書きたいことがあり過ぎてなかなか書けない💦
色々思いが出てきて、増えてしまう。
夫は、身体の声を無視し続けた結果病気になったと思ってます。
若い時から疲れるとお尻におできができていた。
指輪や金属アレルギーが出るようになった。
お尻におできだけじよなく、背中に巨大粉瘤ができて、日帰り手術した。
背中にドレーンを入れられたのだからただ切って取っただけじゃないのだ。
皮膚炎がどんどん酷くなる。
アトピー素因と言われた。
普通のアトピーの人のようなアトピーではなかった。
いわゆる象肌ではなかった。
乾燥してかゆかったりしてはいたが、白人のような肌。
乾燥して皮が剥けたりした。
皮膚科に通い薬を塗り、
薬がどんどん強くなり、
ステロイドを全身に塗り、ステロイドを飲むようになった。
何年も飲んでいる。
いくら身体に悪い、
副作用があると言っても聴かなかった。
そのせいで血管がボロボロになり大動脈解離になったのだ。
網膜剥離も両目手術している。
これも動くな安めということだったのだ。
コロナにも3度程罹っている。
アレルギー疾患とは、
自分の免疫で自分を傷つける疾患だ。
なので、免疫力を下げる薬を飲んでいた結果。
コロナに罹っているのだ。
これも安めのサインだと私は言ったが、
治ると元の生活に戻るのだ。
仕事も忙しいが、趣味が忙しい。
趣味の範疇を超えている。
バンドをいくつも掛け持ちしてギターをやり、
バンドだけじゃなくセッションもする。
自分がやりたい曲にだけじゃなく、
依頼がある曲をやる。
毎日ギターを練習する日々。
土日は、セッションやライブ、リハーサルと休む日がない。
自分の予定を自分で決められないと私には、理解できないことを言っている。
バンドの予定は、皆に合わせる。
セッションも自分を希望してくれる人に合わせてやる。
仕事も会社の人が勝手に打合せや会議を入れるという。
まずバンド、会社の予定、家族は三の次だ。
自分の希望はない。
そんな生活をしていた結果だ。
入院翌日、手術当日、
先ず会社に連絡し、ざっと説明をした。
まだ何もわからないので当分休む旨と迷惑をかけることへのお詫び、今後のことは、また連絡すると。
夫の友人、バンド仲間にも連絡しないといけないが、私は全くわからない。
夫の携帯を触ってみると、なんとロックがかかってないので、バンド仲間で私も知り合いの人に連絡した。
夫から朝電話が入る、そして相手側私なのでたいそうビックリしてた。
そして、ざっと説明すると余計ビックリ。
でも日曜日ライブの時も、体調が悪そうだったと言っていた。
その時に、出血したのだろう。
音楽関係の人に連絡して欲しいとお願いをした。
なんせ、夫は予定がびっしり詰まっているのだから、ちゃんと連絡しておかないと迷惑をかける。
10時前にナースステーションに娘と行く。
待合室で待たされる。
看護士が呼びに来て、
先生の説明を受けた。
くも膜下出血にも種類があって夫は、大動脈解離と言って、頭の中に出来た瘤が破裂ではなく、裂けて出血しているそうだ。
それも何度も。
頭蓋骨の周りが出血で白くなっている。
このままだと死んでしまうので、裂けている所に金属を詰めないといけないと。
ただ、瘤がこぶのように出来ているならそこを縛って血がいかないようにしたり、コイルを詰めてしまえばよいが、
夫は、血管が裂けているので、そこを止めてしまうと、そこから先に血が行かなくなってしまう。
横に細い血管があるので、そちらに流れるからまだよいがやってみないとわからないと。
リスクをいくつも説明それた。
脳梗塞は、たぶん起きるだろうと。
そのせいで何かしらの障害が出るだろうがやって見ないとわからない。
何もしないと死んでしまうから止めないといけないと。
開頭術ではなく、足の付根からカテーテルで大動脈を伝っていき、頭に金属を詰めると。
夫の今の病状、手術の説明、リスク、術後のことなど、資料を使って沢山説明を受け同意書にサインをする。
手術から1ヶ月近く経ちだいぶ記憶が薄らいでいる。 その時直ぐに記録しておかないといけないな。
手術は、13時からだから待合室で待つよう言われる。
まだ2時間位ある。
実は朝、9:30くらいには、着いていて10時の約束だったが30分くらい待たされたので、その間に諸々キャンセル作業をした。
18日に母の納骨だったので、朝早くから埼玉の実家に車でいかなくてはいけなくて、前日の夜からレンタカーを借りる予約をしていた。
夫の携帯からメールを調べて、
レンタカー会社に電話をすると会社の福利厚生で予約しているからそにらからキャンセルが必要だと言われ、連絡先程を聞いて、そちらに電話をかけてキャンセルした。
前日だったがキャンセルできた。
そして、旅行のキャンセルだ。
救急車で運ばれる時、
夫の心配しながら旅行行けないな〜と考えていた。
コロナなら1ヶ月近くあるから行けるかも?
なんて考えも過ぎっていた。
もう、行けないからキャンセルするしかない。
メール検察するが、なかなか出てこない。
出てきても、字が小さくて読めないので、娘にやってもらった。
まだキャンセル料かからないと思っていたら8,000円かかるという。
でも仕方ないので、キャンセルした。
自分の仕事は、なかなか動けず、先に進めていないが、
こういう手続きは、冷静にやることがあれこれ浮かび、次々淡々とこなせる。
面倒と思うこともなく動ける。
私動けるじゃん!って思いながら。
本当に、倒れていたのを見た時からずっと冷静に動けている。
冷たいのか?
好きじゃないのか?
そんなことも考える。
朝から何も食べておらず、お腹が空いたので娘とご飯を食べに外に出た。
近くにお蕎麦屋さんがあり、お蕎麦を食べた。
娘は、帰ると言って帰って行った。
娘も冷たい?
待合室に戻ると携帯が鳴った。
看護士さんからでどこにいるかと聞かれた。
待合室と答えるとさっき行ったがいないのでかけたとのこと。
院内にいないといけないらしかった。
12時に手術室に向うのでその時に会えますと言われていたので、
案内してくれるらしい。
エレベーター前に待たされ、
夫がストレッチャーで運ばれてきた。
「納骨式が〜」と言っている。
こんな時でも違うことを心配してる💦
「○○(甥っ子)に頼んだから大丈夫だよ」と安心させる。
「大変なことになっちゃった💦」
とか細い声で言ってる。
「大丈夫だから、頑張ってね」
とそんなことしか言えなかった。
一緒にエレベーターに乗せてもらい、手術室のある階で一緒に降りた。
その間夫の腕を触っていた。
話せるし、今は、どこも麻痺はない。
夫は手術室の方へ行き、私は待合室に案内された。
待合室と言っても部屋ではなく、2階のロビースペースにテーブルを置いただけの所だ。
コロナ禍から変わったのだろう。
横には、食堂だった所があり、そこは閉鎖されている。
ここは、食事をしてよいスペースらしい。ここでお昼を売店とかで買ってきて食べてもよいと説明された。
職員や外来患者が食事をしていた。
そこでずっとひたすら待たされた。
夕方になり誰もいなくなってもポツンと1人待っていた。
18時くらいだろうか看護士がやっと呼びに来た。
もう、病室に戻っているとのことで、また病室の階の待合室で待たされ、少ししたら先生からの説明があると、説明してくれる部屋に連れていかれた。
そこは、凄く狭い。本当に説明だけする部屋だ。
カテーテル術は上手くいったが、2週間経たないと1山越えたとは言えないとのことだった。
その間は、また出血するかもしれないし、脳梗塞が起こるかもしれないし、肺塞栓症になるかもしれないし、出血した人は必ず、血管が収縮するのでそれがどの程度起き、どんな症状が出るかわからないと言われた。
夫に会わせてくれるというので、病室に行った。
病室は、ナースセンターの真ん前で、中が丸見えになっている所だ。
もう、意識があるらしいが、まだ朦朧としている。
身体を触って声をかけた。
話せるし、何処にも麻痺は、なかった。
「元気になるのを信じて待ってるね」と伝えて帰ってきた。
家に着いたのは、20時前だった。
娘に説明をして食事をした。
日が経つとどんどん記憶が薄れるな〜1ヶ月経つとこうなるか〜
1ヶ月の間色々有った。
それを書いていこうと思っているが、有った時にメモ取っておかないとどんどん忘れるな〜。
思い出しながら書いていると違う思いとかも湧いてきてしまうし。
夫が倒れているのを見てからの2日間凄く冷静に対応している自分がいる。
自分事になっていないのか?
夢を見ているようなのか?
焦ってもおかしくはないのに。
そして、大丈夫って思えている自分がいる。夫は、大丈夫。
こんなに死が目の前にあるのに、死ぬとは思えない。
そう思いたくないのか?
危機回避能力か?
癌は、想定していた。
皮膚がこんななら、内蔵もダメージを受けているので、腫瘍ができていてもおかしくはない。
それは、本人にも言っていた。
だが突然こうなるのは、想定していなかった。
交通事故で突然亡くなる人もいるのだから、脳梗塞、くも膜下出血、心筋梗塞、心臓の大動脈解離破裂、肺塞栓症で突然死ぬ人もいるのだ。
なのに、突然亡くなるのは、想定していなかった。
こんなになっても死なないと確信できている自分がいる。
どんな状態になろうと必ず生きると思っている。
なので、死んだらどうしようとかの不安より、生活はどうする?
お金の心配?
薄情なのか夫の心配より今後のことへの心配の方が大きい。
この後も、大変な事が続きましました。
それは、また次に。