(兵庫県神戸市須磨区 須磨寺)
【原 文】
東須磨・西須磨・浜須磨と三所にわかれて、あながちに何わざするともみえず。
「藻塩たれつつ」など、歌にもきこえ侍るも、いまはかかるわざするなども見えず。
きすごといふうをを網して真砂の上にほしちらしけるを、からすの飛来(とびきた)りてつかみ去ル。
是をにくみて弓をもておどすぞ、海士(あま)のわざとも見えず。
若(もし)古戦場の名残をとどめて、かかる事をなすにやと、いとど罪ふかく、猶(なお)むかしの恋しきままに、てつかひが峯にのぼらんとする。
【意 訳】
東須磨・西須磨・浜須磨と三箇所に分かれて、とりわけ何か家業をやっているとも見えない。
〈藻塩たれつつ…〉などと、昔の和歌にも詠まれているが、今は塩の作っている様子も見ることがない。
鱚という魚を網で獲り、白砂の上に干し広げているのを、烏がやって来てつかんで飛び去っていく。
これを憎んで弓で脅そうとするのは漁師のわざとも見えない。
もしかしたらここは源平の古戦場なので、その名残でこんなことをするのだろうかと、たいそう罪深く思われる。
やはり昔の恋しさに任せて、鉄拐が峯に上ろうとする。
【補 注】
〇「藻塩たれつつ」…海藻を海水で煮込んで塩を生産することをさす。〈わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答えへよ〉(在原行平)
〇かかるわざ…塩を生産すること。海藻に塩水をかけて燃やし、できた灰を蒸留して塩を生成した。〈来ぬ人を松帆の浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ〉(藤原定家)
〇きすご…きす。鱚。
〇網して…網で捕って。
〇古戦場…源平合戦、一の谷古戦場。
〇猶…やはり。
〇てつがひが峯…鉄拐(てつかい)が峯。一の谷の北にある山。