久しぶりにこのブログを書いている気がします^^;

2009年5月11日。5年前の今日、私は函館の街にいました。5年後もたぶん函館にいるでしょう。

何事も好きになったら一直線で、そのうえ鬼の行動力を発揮する私は、土方歳三が戦死した(1869年、旧暦)140年後の命日にあたるその日、戦没碑に花を供えに行ったのでした。

考えてみれば高校生の時に憧れはじめてもう半分の人生をずっと「尊敬する人は?」「土方歳三」と答えつづけてきました。

そしていつしか「私も35歳の5月11日に箱館で戦死するのだ」と自分にも他人にも言い聞かせるようになっていました。




で、今日が34歳の5月11日なので、あと1年ですね。



考えてみればよく似ているんです。28歳まで学生をしていた私と、29歳まで鬱屈した青春の日々を送っていた土方歳三が。



富農の家の末っ子として実家の薬売りを手伝いながら、幼い頃から憧れた「サムライになる」という夢をもちながら剣術修行に明け暮れていた土方歳三は29歳の時に盟友・近藤勇とともに上京。紆余曲折を経て新選組を結成するも5年間の活動期間の後に大政奉還、戊辰戦争の渦中に。

その中で兄弟のように過ごした近藤・沖田を同時に亡くすも(34歳の5月、私で言うならばちょうど今頃ですね。)関東・東北の各地で明治新政府に抗戦を続け、最後の戦場・箱館五稜郭が降伏する1週間前に華々しい戦死を遂げます。



29歳の旗揚げ。

浪人組織のオルガナイザー。

5年間という活動期間。

身内に対する苛烈な粛清。

刎頚の友と離別。

大敗後の関東転戦。

風貌の変化と戦術スタイルの変化。

”人が変わったようだ”との評。



これはもう「俺も35歳で死ぬな」と思っても仕方ない気がします^^;



「永遠に生きると思って学べ、明日死ぬかのように生きよ」そういう言葉があるそうですが、私は『来年死ぬ』と思って生きています。


近藤・沖田を失ってからの1年間を作家・司馬遼太郎はわざわざ筆を改め「北征編」と名付け、それを「土方歳三の人生の中で、最も華々しく、そして輝いていた時期」と評しています。

私の「北征編」もそうなってくれるといいのですけどね^^;