ワールドカップ始まりましたね。
うちはニュースで間に合う程度の関心です笑
息子が小二からサッカー教室
小四からスポ少に入りました。
親としてはあまり周りの子と
絡んだり遊んだりしない
と思った息子に遊びながら
友達や周りの関わりが出来ればいいなと
習い事代わりに始めた教室で
まさかスポ少でもやるとは思わずw
やると聞いて非常に焦った記憶があります(^^;)
まあ始まればスポ少の親ですから
送迎は勿論弁当作ったり
応援に行って下働きしたり
当時は現地で豚汁を作ったりしてて
その手伝いが非常に
面倒くさいと思ってた。
5年生になると一緒に入った
幼なじみが大病してしまいほぼ休部
そして途中から入ってきたのが
保育園から仲良しだったY君。
結局この時から中学卒業まで
Y君とずっと一緒に行動した息子。
Y君の親御さんは仕事の都合で
応援に殆ど来られず
いつも私が預かったり送ったりして
遠征に参加していました。
忘れられないのは中学三年生のとき
ある練習試合への参加の朝
Y君達が出発した後
行こうとした私達の前に
Y君のお母さんが来ました。
「Yが練習着の下を置いてった!!!」
ふと見たら物干しに下がってるので
慌てて追いかけてきたようです。
勿論それを受け取り現地で合流目指し
出発した親一同。
私は預かった物を持ち一足先に
子供達のバスへ行き
「Y君ーーー! 練習着!!!」
「あーーーー!!」
マイクロバスの中で慌てて受け取るY君
笑って騒ぐ周りの子供達。
凄い頭がよく
気を遣い優しいY君と
息子は卒業しても会い
震災の前の日まで一緒に過ごしていました。
人数の少ない学年の上に
個性の強いサッカーの上手い子が集中して
おとなしい息子はちょっと押されてた
雰囲気だったけど笑
優しいY君が入ってくれたおかげで
息子も私も楽しくサッカーを
続ける事が出来ました。
息子は高校では陸上部
Y君も遠くの高校でサッカーではない部活
私達のサッカーの歴史は
そこで終わるのですがさらに
震災でその思い出は目には見えなくなり
Y君はお母さんお兄さんおばあちゃんと
鬼籍に入ってしまいました。
でも私の記憶の中で
チームのバックの要として
広いグランドを走る姿を
息子と笑ってた顔を
忘れることはないからね。
親 部員 家族
皆で応援した地区大会の決勝を
あの青空や風と一緒にね。