『7年のアメリカ生活で、そんなに日本語が喋れなくなりますか?私の周りにそんな人はいません』

 

といったようなコメントを頂きました。このような感想のコメントは3件でしたが、おそらく、「いや、そう思いながら私も読んでてん」とか「ちょっと盛ってるかい?」と思ってらっしゃる方、いらっしゃるんじゃないかなぁ、と思います。

 

私のブログは自由に読んでいただき、自由に感想を言っていただいて全く構わない。ただ、いつかどこかのタイミングで書きたいなぁ、と思っていた内容だったので、コメントをくれた方へはこの機会を与えてくださって、感謝。今日は、ちょっと知って欲しいなぁ、という想いを書きたいと思います。

 

7年のアメリカ生活でそんなに日本語崩壊するかい?という質問。

します、我が家は、ガル男はしました。

でもしない人もいます。

数的には、しない人の方が多いでしょう。

 

子どもたちが日本で通う学校は帰国子女受入れ数が非常に多い学校ですが、学年の中に数名つまりたった数%ですが、同じような状況の子はいます。

 

帰国子女やその親が浴びる言葉として、時にしんどくなるのが「●年海外にいて・・・」という言葉だったりします。

 

そりゃ生活していれば1年目よりは3年目の方が語学力はあがるでしょう。でもその先、その子が現地の言語が優位になるのか、両方を保てるのか、もしくは、日本語優位のままか、はその子の性格、年齢、まわりの環境、状況とひと言では説明できない様々な要因でもって、色んなタイプの子が出来上がると思うんです。なので、年数ひとつで括られるのはちょっと危険だなぁ、と。

 

でも往々にして括られてしまうんです。

 

言語以外にも見た目や吸収した文化に関しても、実際、アメリカ在住歴10年の子とアメリカ5年弱のムスメのガル子が比べられ、「あの子は10年もいて日本ぽいのに、5年であんな感じとか、わざとアメリカ出したいだけかよ」とガル子本人どうすることもできない理由で攻められたこともありました。

 
年数じゃない。スペック決められて大量生産された製品じゃないので、5年ならこれ、7年ならここって一括りに出来るハズがないんです。だって「にんげんだもの」

 

あぁ、相田みつをが出てもうた
 
まぁ、ガル男のことについて、少し書くとすれば、シカゴの時は、スタートが全く英語ができない外国人の転校生として学校生活が始まり、その後英語力は追いつき、成績なんかは追い越してもなお、「外国人のガル男」感は抜けなかったとガル男は肌で感じていたようで、友達になりたいと思うヤツのところに入り込めなかったと。オカンには多くは語らなかったものの、ちょっとした差別も受けてきたハズ。
 
中学でネバダに引っ越すことになり、アメリカ人として、対等に友人を作りたい、そういう想いがあるとある日教えてくれたんです。
 
年齢的にも「オレのアイデンティティって」とか考えだす思春期くん。なので、ガル男の想いを知って、オカンは、お弁当は500%アメリカンスタイルで、学校に来るときもオカンはアメリカンな格好にしてくれ、とのオーダーもあり、そらもう、レギンスにブーツはいて、ど貧乳を貧乳くらいには底上げできる秘密兵器‟BURA”を装着し、アイライン濃いめに、いつもより分け目をぐっと左によせて香水ぶわっとかけて向かいましたわ。
 
帰国する時、ガル男が「ネバダは友達が作りやすかった」と言っていました。
 
ガル男にとって、大事なのは、学校での仲間や立ち位置や心地よさ。そこにめがけて進んでいったので、日本語は室伏選手に頼んで、鉄球に乗っけてえらい遠くまでとばさはったんですわ。
 
このハンマー投げスタイルが、ガル男という子が思う、その子の感覚でのその土地で心地よく生きる、やりたかった生き方だったんだとオカンは思い、それに付き合い、出来上がったのが
日本語ワイワイパニック
 
だから、このブログに書いている「ガル男ストーリー」は本当なんです。
 
その個人が抱えて思ってることや、どう生活していたのかって聞くまで分からないでしょ?だから年数ひとつで括るのは、無理なんです。
 
そしてこんな英語に対する逆パターンもあるんです。
「4、5年アメリカにいたのに、英検準一とれないの?」
 
この言葉よ~く聞きます。これには親子とも苦しみます。アメリカ生活=英語ペラペラ神話は根強く、「4、5年もいたら英検準一くらい余裕っしょ感」がエグイ。結局取れずに帰る子もいっぱいいる。ここも一緒、年数ちゃうんですわ。その1人ひとりにストーリーがあるんです。
 
それにおんなじ年数、学校で学んで全員同じ立派な成績取れるなら、全員東大ですやんか。そう考えると簡単なのに、どうも違う要素が加わると、年数ひとくくり説が飛び出してくるという・・・。
 
それぞれがそれぞれのストーリーを持って生きてるんですから、色んなタイプがいていいんじゃないんですかね。数値や資格で測られると劣ってる、優れてる、失敗、成功という見方になることもあるかもしれないですが、比べるものとして見るのではなく、それぞれがその人の『個』として、『その人』として周りは受け入れたらいいんじゃないのかと。
 
ということで、今後もガル男はガル男のストーリーで、「破壊力抜群!日本語ワイワイパニック」続きます。
成長をお楽しみに~。

 

 

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えらい長いのを読んでもろて、おおきにでした

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