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セデックバレビハインドシーン公開!


 十二年の時を経て、二万人を越えるスタッフ、役者を動員して撮影されたセデック・バレは
1月28日を持ってようやくビハインドシーンの公開にこぎ着けました。

 セデック・バレは企画の段階から様々な困難に見舞われました、多くの人がこんな壮大な
映画が台湾で撮れるはずがないと思い、結果資金難に見舞われたりしましたが、ジョン・ウー
をエグゼクティブプロデューサーに迎え台湾、中国、日本、韓国のスタッフと共に悪条件にも
めげずただひたすら信念を持って長い道のりを共に歩んできました。

 そして彼らと共に6億元に至制作費、十ヶ月の撮影期間ともに台湾の映画史を大きく塗り
替えてきました、そしてこれからも新たな歴史を築いていきます。

ビハインドシーン試写会!

 新年初のビッグニュースです!
先日セデック・バレの編集を担当している台北影業にて配給会社の立ち会いのもと、
ビハインドシーンの試写会が行われました!
$賽德克巴莱 セデックバレ-behind


 台北影業のスタッフの先導によりぞくぞくと関係者が入場して行きます。
今回製作した物は30秒ほどの短いバージョンでしたが、皆期待と緊張が
隠せないようでそわそわしていました。上映前に監督は「海角七号を製作
していた時は編集もテストも全部独りでとても孤独だったけど、セデック・
バレはこんなに大きなプロジェクトになってビハインドシーンの試写にも
こんなに沢山の人が来てくれるし、なんか逆に落ち着かないよ」と嬉しさが
隠せない様子で言いました。

 試写室の光が落とされ周りが暗くなると同時に静寂が訪れ、皆が息を潜め
スクリーンに目を移すとカウントダウンが始まりました。ナレーションと
共にゆっくりと画面に引き込まれて行きます。そしてあっという間に30秒が
過ぎ試写室には拍手の音が響いていました。会場に居た皆のリクエストで
再生ボタンを押し再び一時の感動を味わっていました。

このビハインドシーンが劇場で公開されるとセデック・バレもいよいよ正式な
公開へ向けてのカウントダウンが始まります!

撮影を振り返って9月4日

250日の撮影、数々の困難や難題を乗り越え9月4日夜10時。セデック・バレは無事に
クランクアップを迎えることができました。CG素材撮影用にブルーバックになっていた
スタジオ内で大声で「殺青了!」(クランクアップの意)と叫びました。

賽德克巴莱 セデックバレ-1

とは言うものの現場の雰囲気はどこかおかしな感じですシャンパンを空けるわけでもなし、
なにかイベントがあるわけでもなく。実はこの数時間前にセキュリティー担当の魏(ウェイ)
さんがイノシシに手を噛まれ病院に搬送されていたからなのでした。辺には血が流れ、
病院に運ばれた後は神経が切れていた為にすぐに手術の開始です。山深く森の奥底で
数百人の安全を確保してくれた彼が最終日にこのような状況になるとはだれも思いも
しなかったことでしょう...。無事を祈りつつもクランクアップのセレモニーは翌日の
打ち上げに回すことにしました。

賽德克巴莱 セデックバレ-2

全てのスタッフが十ヶ月の戦いを乗り切ったこの日の夜企画部は翌日の打ち上げの準備に
追われていました。そしてエグゼクティブディレクターの黄さんとプロデューサーの陳さん
はスタジオで撮影を振り返りながら時に冗談を言ったりしていましたがしばらくするとまた
沈黙が流れます。そしてしばらくしてから黄さんは協力してくれた友人一人一人に電話を掛けて
「無事撮影が終わりました」と報告していきました。
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9月5日早朝 
台北市内からスタジオに向かう途中車のフロントガラスに雨が容赦なく吹き付けます。
皆が今日の打ち上げに不安を感じる中企画部の誰かが「お願いだから晴れて下さい!
雨じゃなければなんでも良いから!」と空に向かって祈ります。幸いにも皆の声が天に
届いたのか午後は晴天になりました。十ヶ月間戦い抜いたスタッフはリラックスした
様子で公学校へと集まってきました。スチルカメラの小五(シャオウー)は公学校の
中心に円を描き360度の集合写真を撮るべく準備を進めて行きます。
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昨晩手術を終えた魏さんも写真撮影に向かおうとしますがお医者さんから絶対安静を
言いつけられて居たため二人で押し問答が始まります。最終的に魏さんの「この映画は
十ヶ月も撮影したんだ、ようやくクランクアップして全てが終わったこの時に何があっても
俺は現場に行かなければ行けないんだ!」との言葉に先生も頑な態度に熱意に押され数時間
だけ外出する事を許可しました。制作部の車に乗って現場に現れた魏さんに皆が大きな声で
エールを送ります。そしてこの十ヶ月を共にした仲間が大きな輪になって肩を並べここに
台湾映画史に刻む一ページが完成しました。
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続いてメディアが霧社街に続々と入ってきます。そして原住民の役者陣による出草の踊りに
よって記者会見の幕が落とされました。そして原住民役者陣がお手製のカメラとマイクを手に
「巴萊電台」(バレTV)として記者陣に混じります。監督にインタビューをしながら歌を
歌ったりして場を盛り上げますこの十ヶ月、混沌とした撮影の中常に予期せぬ出来事があり、
喜びがありどれもが良い結果へと導いてくれました。そしてそれはこれからも続くことでしょう。




トレーラーの録音


監督は最近トレーラーのナレーションを録音する為に適した声の原住民の役者を探していました。
先日セデック語指導兼顧問の郭(ゴウ)先生が台北に来ていたのでひとまず役者さんに正確な
セデック語の発音をしてもらう為にオフィスにて参考用に音声の録音をしました。
賽德克巴莱 セデックバレ-録音1
そしてこの日、主要キャストの一人阿豊(アフォン)によりナレーションが吹き込まれました。
セデック族は2008年までタイヤル族として区別されていましたがお互いの言語には大きな差が
あります。タイヤル族の彼にとってセデック語の台詞は日本人が英語でナレーションを読むのと同じ
ような感覚です。普通の日本人が聞いたらどっちも分かりませんが台湾人にとっても容易では
ありません。今回の映画の撮影の時と同じように郭先生と携帯電話でやり取りをしながら一週間ほど
台詞の練習をしてきました。監督も忙しい合間を縫って現場に掛けつけ指導をします。
気持ちを画面の流れに合わせてたり、語気に気をつけたり。

最大の難関はなんと言ってもタイトルを読み上げる最後の部分!
一言でこの映画を表す力強さを表現しなくてはなりません。阿豊は映像が伝えようとする言葉を
表現しようと何度も何度も繰り返し録音をつづけましたが、エンジニアの杜(ドゥ)さんのアドバイス
のおかげで監督の満足するものが出来上がりました。

賽德克巴莱 セデックバレ-録音2


録音後杜さんがすぐにミックスを仕上げてくれエフェクトを足す事に寄って
さらにトレーラーはさらに重みを増しました。
あとは色の調節と最後の処理をすれば出来上がりです!

撮影を振り返って8月29日

助監督の怡靜(イージン)は目を赤くしながらこの日で上がった橋を眺めて
「本当にできたんだね!」と言いました
賽德克巴莱 セデックバレ

監督は前日の早朝現場に来た際に吊り橋をみながら悩んでいました。
果たしてどのように取るのが良いのだろうか?
200人以上の役者陣を一つの画面にどのようにはめ込んで行くのか?

この日の午後空撮用のヘリコプターが山を越え吊り橋のある山に差し掛かり始めたとき監督の頭の中
でだんだんとはっきりとしたイメージが湧いてきました。橋が落ちた後怡靜は「やっとクランクアップ
だね、本当に終わったんだ!」と言いました。撮影はまだ残っていましたが彼女の中ではラスボスを
倒したような気持ちだったようです。監督はその様子を見ながら「そうだな、もうすぐクランクアップ
だし残りは心配することないよ」笑いながら答えました。


この日の空撮は午前中は灼熱の太陽に身を委ね、午後は豪雨を耐えしのぐという
大きな天気の変化のもと「取りきれないはず」のカットを奇跡的に取り終える事ができたのでした。
特に最後に橋が落ちるシーンは日が沈みかけ本当に最後の1カットしか撮れないという状況の中、
そして橋の復旧も不可能なぎりぎりの状態でしたその時撮影チーム全体には言いようの無い緊張感が
漂っていました。このシーン一つにクランクアップの日程や空撮の費用など重大な影響を及ぼすこの
シーンもチームワークに寄ってなんとか成功しました。
賽德克巴莱 セデックバレ


雨でずぶぬれになったこの日の午後大空には2度も大きな虹が現れました。
原住民の役者たちはその光景を眺めながら口をそろえて「あとはあの橋を越えるだけだな」と
言いました。雨でぬかるんだ状況でしたが3.5トンの機材車に橋野ワイヤーが絡み谷底に落ちそうに
なりましたがワイヤーが切れたおかげで幸いにも車両にも人にも影響はありませんでした。

この日の夜一部のスタッフはCG撮影のため現場に残り夜中の2時ごろまで撮影をしていました。

賽德克巴莱 セデックバレ

監督はCEO?

年明け早々ですが企画部の人たちは次々に倒れて行きました。
例年より寒さが厳しい台湾では多くの人が風邪を引いています。

日本と違って台湾には通常室内に暖房がありません。
日本だと会社についたらまずコートを脱いで...っとなりますが
台湾ではダウンジャケットを来たまま仕事をしている人もざらです。
30分ぐらいして体が温まってきたらコートを脱いで仕事をする。
そんな人たちばっかりです。

年が明けて最近セッデク・バレの企画部には新しいスタッフが入ってきました。
個々の企画が現実味を帯び始めるころ少人数だった企画部では処理できない問題が
たくさん出てきます。

この日の午後はそうした新しい面々とご挨拶。
メディア、イベント企画、宣材、出版、チケット、ウェブサイトの担当等
それぞれの前職や経験を生かして企画部は大編成を行いました。
それによって1人あたり2~3項目ほど仕事の内容を減らす事に寄って
より一層集中して仕事を出来る環境を作り、それぞれの持ち味を生かす事ができます。
なにより集中して仕事に取り組めるので効率があがりますよね!

$賽德克巴莱 セデックバレ-監督はCEO?

会議中は長期戦略とにらめっこです。それぞれ真剣なまなざしでプランを見つめています。
ここで登場したのが監督の「工作大表」(スケジュール)と「七色筆」(七色のペン)
自身の撮影現場での管理経験を元にどのように担当が違う人たちを互いに支援し合って
行くかなど自らアドバイスをして行きます。その様子はさながら各部署とやりとりをする
助監督のようでした。三百名を超える制作スタッフを抱えてきた監督はもう立派な
CEOの一員ですね!


撮影を振り返って8月28日

撮影終盤を間近に控えたこの時期セット製作担当は右往左往する日々が続いていました。
日々移り変わるスケジュールに備え複数のセットを同時進行で進めて行きますが
天気の影響で思うように準備が進まない中製作担当は全員総出で不可能とも言える
スピードで製作を進めて行きました。

その中でも渓流にわずかな時間で掛けた竹橋と今回の鉄線橋はセデック・バレの
セットで最も素早くできたセットの一部です。半月ほど前から整地から始め
重機の通り道を確保した後に足場を組んで行き大工さんが橋の上に少しずつ
板を張って行きます。次に橋の両側からクレーンで鉄線とそこに掛かる縄を支えます。
橋の大まかな部分が出来上がった後は仕上げに入ります。
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普通の橋と大きく違うのはここから。
映画のセットとしてそれらしく見せるにはここからが本番と言っても過言ではありません。
様々な塗料や小道具を使い使用感を出します。
さらにCGで合成する為に足場の上部5mほどをスプレーで青く染めていきます。
そして高山の森林に近い雰囲気を再現する為に橋の両側に木々や雑草等を植えて行きます。
当日現場を見に来たスタッフは皆驚きが隠せない様子でした。

賽德克巴莱 セデックバレ-hashi01
なんとか撮影日に間に合わせる事ができた鉄線橋でしたが明日はヘリコプターを
使った空撮が控えています。なんと言ってもこのセットの醍醐味は爆破シーンに
あります。橋を支える柱を爆破した後次のカットに備えるために復元しなければ
ならないのですが爆破部分を折りたたみ式にする事によって作業の負担軽減と
復旧への時間短縮を図りますが鉄製の為この日の撮影が終わった後も担当
スタッフは細部の質感を入念にチェックをしていました。

明けましておめでとうございます! (撮影を振り返って8月23日)

明けましておめでとうございます!

さて新年早々セデック・バレの製作は行きよい良く動いております!
1月2日の写真集の撮影に向け元旦から綿密な打ち合わせをし夜中まで準備を続けました。
日本でどのような展開になるかまだ分かりませんが映画と共に皆様に
お会いできるよう努力をしてまいりますので皆さんのご支援をよろしくお願い致します!

今日は8月23日の撮影を振り返って行きたいと思います。
賽德克巴莱 セデックバレ-01

全体のクランクアプが近づいては天候などで撮影が延びたり
この頃は新しいスケジュールが出るたびにスタッフ一同一喜一憂を繰り返していました。

この日の早朝5時45分、先日の六哥(リョウガー)に続き
録音部の湯哥(タンガー)も髪を切ることになりました。
始めはスタイリストのアマンダがハサミで少しずつ髪を切っていたのですが
ドスの利いた声で「気にするなよ、直接刈っちゃいな」と一言。
そんなわけでハサミがバリカンに早変わり。
あっと言う間に丸坊主になってしまいました。

この日の撮影は高雄氏文化局の支援の元、高雄港で行われました。
そして昨日髪を切った六哥も湯哥と一緒に出演する事に。
早朝のホテルに30人ほどの弁髪姿の出演者がならぶというなんとも不思議な(不気な?)
光景になりました。小さい子供が見たら泣きだしちゃいそうです。

賽德克巴莱 セデックバレ-02
今回の六哥の役は前回の仕出しとは打って変わって清兵の艦長という立派な役柄です。
その隣には湯哥扮する李經芳。下関条約の調印という台湾の歴史上、
大きな節目にあたるこの出来事を再現することになるのですが
実はこの二人台湾の映画界にとっても重要な技術スタッフなのです。
普段はお互い相手をからかい合ったりしていますが、共にした作品も多く言わば
同じ釜の飯を食って育った大切な友人でもあるのです。

衣装を着た二人はお互いに文句を付け合うのを忘れません。
清時代の衣装を纏った二人はまるでキョンシーそのもの!
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劇中の六哥は大きな青龍刀を抱えた武官、対する湯哥は膝まで掛かる長い上着を着た文官です。
厳しい表情で黙々と演技をこなす2人でしたが撮影が終わった瞬間に
カメラを持ったスタッフやエキストラに囲まれ、歴史の一辺を切り取るかのように
ひたすら写真を取り続けていました。
はたから見るとその様子はまるでアイドルのようでした。

本年もセデック・バレをよろしくお願い致します。

賽德克巴莱 セデックバレ-03



撮影を振り返って8月16日

この頃セデックバレの撮影現場は丸刈りブームでした。
といっても台湾で丸刈りが流行っている訳でもなく、熱さ対策でもなく
実はみんな撮影の為に頭にバリカンを入れていたのでした。

この日は特殊メイクスタッフの虎植(フージー)と六哥(リョウガー)の番です。
当時の漢人(漢民族)の弁髪姿になるため後頭部の髪の毛を残すのです。
こうすることによって弁髪のかつらをつけやすくなるんですね。
どうやら頭がつるつるだと汗でかつらが滑って落ちてしまうらしい。

今回の撮影は捕われた漢人が大八車に載せら町を通り抜けて行くシーンです。
詳しいストーリーはお話しできませんが10数人の男たちが乗った大八車を
灼熱の太陽のもと汗をかきながら引いて行く様子はとても大変そうでした。

賽德克巴莱 セデックバレ
このシーンが終わった後お茶目なヘヤースタイリストのyunaは虎植の後頭部を
ハート形にしちゃいました。
その様子を見ていた六哥は「ちゃんと左右対称にするんだぞ」と注文をつけます。
六哥にとっては今回映画の撮影で四度目の丸刈りだったそう。
そして旧暦の七夕にあたるこの日に虎植の後頭部にはめでたく愛の記念品ができました。



この日は七夕(中華圏ではバレンタインデーとも言います)以外にもう一つ
重要なできごとがあります。それは監督の誕生日!
みんな何事も無かったかの様に撮影を進め小道具さんがこっそりとケーキの準備をしに行きます。
こういう所まで小道具さんが担当するところが映画っぽいですね~。

そして昼休みになった瞬間に原住民の俳優部が歌を歌いながら行進して行きます。
「セデック兄弟、イヤ~オハイヨ~ セデック兄弟、イヤ~オハイヨ~」
助監督のかけ声と共に皆でHappy Birthday to youを歌います。

監督の願いはスムーズにクランクアップ!

賽德克巴莱 セデックバレ

この文章を翻訳している今はもう既に一昔の出来事のようですが本当に一年間
様々な出来事がありまあした。
涙あり、笑いあり、苦労した分得られた物もあります。
今日は2010年最後の日、そして明日は民国100ねんです。
セデックバレにとって、そしてみなさんにとって良い1年が迎えられるよう祈りつつ
新しい年を迎えたいと思います。

新年快樂!
来年もセデックバレをよろしくお願い致します。


賽德克巴莱 セデックバレ

撮影を振り返って8月10日

賽德克巴莱 セデックバレ

 この日の朝看護婦の巧玲(チャオリン)は朝から十数人の人に囲まれていた。
決して借金の返済を迫られていたわけではありません...。

 ここ3日間ほど渓流での撮影が続いていたのですが、今日になって続々と
足の痛みを訴えるスタッフが彼女の周りに集まります。
彼らの症状は足の皮が剥けたり、赤く張れたり、中には湿疹がひどい人も居ました。
そして痛痒い。聞くだけでも辛そうです...。

 中でも症状が酷いのが撮影助手の周(シュウ)、熙明(シーミン)
そして音声の大頭(ダートウ)

 周さんは2日前から症状が出ていたそうですがあまり気にしてなかったようで
今朝には足の大きさが2倍ほどにふくれあがっていました。
余りの痛さに歩く事もできず病院へ行く事に、そして病院で蜂巣炎と診断されました。

 先生は周さんに「入院して様子を見るように」と言われましたが撮影助手の熙明さんは
痛みに耐えながらも薬を塗り包帯を巻いて長靴を履き撮影に臨む決心をしました。

 音声部の大頭さんの症状は他の人とちょっと違うようです。
今朝彼が気がついたときにはまるで誰かに殴られたかのように両目が腫れ上がっていました。
制作部の小竹(シャオジュー)はその状況を見るや否や病院への車両を手配しようとしたが
時は朝の8時、半多くのスタッフが撮影の準備を進める中なかなか病院に行く事ができず
結局午後2時頃になりようやく病院に行く事ができました。

この日の撮影終了後監督とセカンドカメラマンのジョンソンも病院で診察してもらう事に。

 多くのスタッフが複数の病院を訪れそれぞれの病院からいくつかの可能性が指摘された。
水中で虫に噛まれ、傷口から水中に含まれている重金属が入り中毒になったのではないか?
水中の細菌が傷口を介して感染したのではないか?など。
正確な原因を究明すりには至らなかったが

 どちらにしても水に長くつかりすぎて皮膚が湿りっぱなしになって居た事が災いしたようだ。
幸いにも今回は症状が軽く以前ツツガムシ事件のように重大な事態はならずにすんだ。
賽德克巴莱 セデックバレ