7月22日、"ブリティツシュ・ブルースの父" として知られるイギリスのブルース・プレイヤー、ジョン・メイオールさんが亡くなりました。カリフォルニアに自宅で家族に囲まれて亡くなったとのこと。90歳。
ジョン・メイオールの功績は、自ら組んだブルース・バンドから多くの才能あるアーティストを輩出したことです。最も有名なのはエリック・クラプトンです。ギタリストでは他にピーター・グリーンやミック・テイラー等を、自らのバンド、ブルース・ブレイカーズに加入させ、才能開花に導いています。
日本を拠点に,ひと頃日本各地で演奏していたハイタイド・ハリスも、ブルース・ブレイカーズに在籍していたことがあります。あまり知られていませんが、70年代にウイングスで名演を残したギタリスト、ジミー・マカロックも、ブルース・ブレイカーズで演奏していたことがあります。
ギタリストだけでなく、ジョン・マクヴィー(ベース)、ミック・フリートウッド(ドラムス)エイズリー・ダンバー(ドラムス)等もブルース・ブレイカーズ出身。 そんなところからメイオールのバンドは、ジョン・メイオール学校(The John Mayall school)と呼ばれていたわけです。
60年代初頭、イギリスでブルースがブームとなりつつあった頃に、自らバンドを組んで若いメンバーを集め、ブルース演奏の機会を与えたというわけです。もちろん自らがヴォーカルを取り、ギターを弾き、オルガンを弾き、そして曲も書きのバンド・リーダーだったわけですが。
John Mayall Blues Breakers with Eric Clapton /
Hideaway (1966)
ブルース・ブレイカーズと言えば、やはりクラプトン在籍時のアルバム『JOHN MAYALL with ERIC CLAPTON : BLUES BREAKERS』でしょう。クラプトンは1964年にヤードバーズの一員としてデビューしますが、バンドがコマーシャルな方向に進んでいくのを嫌い翌年にはグループを脱退。 ヤードバーズでのクラプトンのギタープレイを聴いたメイオールはすぐに自らのバンドに誘い加入。といった流れです。
道に迷い、ブルース探求の道を決意したクラプトンにとっては、渡りに船だったはずです。メイオールより11歳年下であったクラプトンは、この時期ジョン・メイオール宅に同居することとなり、そこでメイオール所蔵のブルース・コレクションから多くを学んだとのこと。これはクラプトンだけでなく、ブルース・ブレイカーズ在籍の他のメンバーたちもにとっても、そこはブルースの楽園だったわけですね。まさにメイオール学校です。
クラプトンが録音参加したのはアルバム1枚だけですが、ここでのクラプトンのプレイは凄い! 今聴いてもそう思います。この時点でクラプトンは21歳。 彼のギタースタイルは既に完成されていたと言ってもいいと思います。ロックのソロプレイの基本がすべて詰まっていると断言したいです。僕自身、ギターを弾くので、このアルバムでのプレイは随分とコピーしました。それなりにコピーは出来ても、クラプトンの持つタイム感というのはなかなか再現できないんですよね。
「Hideaway」。クラプトンが敬愛するブルースマン、フレディ・キングのインストゥルメンタル・ナンバーです。クラプトンが生み出したレスポール+マーシャルによる美しい歪みは、当時のブリテッシュ・ブルースの始まりを告げるサウンドです。クラプトンのギターをサポートする、ジョン・メイオールのハモンドオルガンはジャズフレーバーを感じさせるクールなプレイ。後の時代にクラブ系と言われる音です。最高です!
JOHN MAYALL & THE BLUESBRAKERS / Another Kinda Love (1967)
アルバム1枚を残してクラプトンはグループを脱退。クリーム結成に至ります。 そしてクラプトンの後釜としてブルース・ブレイカーズに加入したのがピーター・グリーンです。2020年に亡くなったグリーンは、まさに伝説のギタリストです。あの時代のブリティッシュ・ブルースのファンの中には、クラプトンよりもグリーンのほうが好きだという人もいるんですよね。
クラプトン在籍時からピーター・グリーンに目を付けていたメイオールは、クラプトンが抜けるとすぐに誘い加入。そしてアルバム『A HARD ROAD』を発表します。 このアルバムはブリテッシュ・ブルース史に残る名盤です。
グリーンのプレイからはB.B.キングやフレディ・キングの影響を感じさせますが、クラプトンからの影響も感じさせます。やはりレスポールを使用してのディストーション・サウンドです。プレイにおける泣きの度合いではクラプトンよりも上かもしれません。ゆえにマイナー調ブルースを得意とするんですよね。
「Another Kinda Love」。ジョン・メイオール作詞/作曲のナンバー。ヴォーカルもメイオール自身。そしてここでは抑制の効いたオルガンでグリーンのプレイをサポートしています。
JOHN MAYALL & THE BLUESBRAKERS / Oh Pretty Woman (1968)
ピーター・グリーンはミック・フリートウッドに誘われてフリートウッド・マックを結成。グリーン脱退の後を受けて加入したのがミック・テイラーです。後にローリング・ストーンズに加入することとなるギタリストです。それにしても次から次に超一級のギタリストをよく見つけ出して加入させたものです。才能を見抜く目があったということですね。
ミック・テイラーはクラプトンよりも4歳下。 クラプトン・フォロワーと言われるほどに影響を感じさせるプレイです。テクニカルではありますが抑制されていて、クラプトン、グリーンよりもやや淡泊かも。テイラー時代のストーンズが最も演奏レベルが高くまとまっていたというのは、ミック・テイラーの的確で堅実なプレイに負うところも大きいと思います。
「Oh Pretty Woman」の収録されたアルバムは『CRUSADE』というタイトルがついています。邦題は "革命" 。十字軍、聖戦という日本語も当てはまります。アルバムのオリジナル・ライナーにはメイオール自身の言葉で、「私は人生をブルースに捧げてきた。みんなの力を私に貸してほしい」と記されていて、音楽界では少数派だと見られていたブルースファンに呼びかけているかのような内容です。ブルースをもっと世に広めたいという決意でもあったようです。
世界的なロックギタリストとして、現在も新たなファンを生み出しているエリック・クラプトン。ストーンズに加入して名声を得たミック・テイラー。フリートウッドマックを結成してメガヒットアルバムを生み出したミック・フリートウッド . . . . 。彼らの成功がブルースという音楽を世に広め、さらにそれがロックの発展にもつながることとなったの確かです。メイオール自身、それが自分の人生だと考え、役割だとも考えていたようです。
エリック・クラプトンが追悼のメッセージをFacebook、x、Youtube に発表しています。一部を抜粋します。
>18歳か19歳の頃、音楽をやめようと思っていた時、彼は私を見つけ家に連れていき彼のバンドに入らないかと誘ってくれた。私は彼のもとに留まり、テクニックや自分が好きな音楽を演奏したいという気持ちの面で、今日の私が本当に考えなければならないことをすべて学んだ
>彼は恰好つけたり、誰かに気に入られようと気に入られまいと、ただ自分が演奏したい音楽を演奏するだけでいいんだと教えてくれた。
>彼は私の良き師であり、父親代わりでもあった。
>彼がいなくなるは寂しい。でも、あの世で彼に会えることを願っている。ありがとうジョン。
Mayall , Clapton , McVie , Flint