Hulmut Newton.
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ドイツ出身の大御所写真家です。

自営の裕福なユダヤ系の家庭に産まれて、12歳でMartin Munkácsiに憧れて写真を撮りはじめたとか。(センス良い12才汗)

ユダヤ人だった彼は迫害から逃れる為シンガポールに渡りフリーカメラマンになります。
1960年ごろからPARISに移住して「vogue」を始めとするファッション雑誌の主要カメラマンになり、着々とキャリアを積み重ねます。
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そんなある時彼は心臓発作に襲われて生死の境を彷徨いました。
理由は精神的疲労。

日本では雑誌などの撮影のイメージを決めたり提案する権利は殆ど編集者にありますが、海外はフォトグラファーが撮影のイメージを考えたり企画を提案する機会が多いのです。
クライアントや雑誌のために、プレッシャーに押しつぶされされながら企画を考えていました。
それはきっとフォトグラファーとして有難くて光栄な仕事でしょう...
しかし、自分の好きな仕事についたはずなのに求めるイメージを撮る事ができず、大好きな写真をただのビジネスにしていた事が彼にはストレスだったのです。
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そしてNewtonはそれを境に自分の身体を思って好きな物、つまり自分が撮りたいイメージしかとらなくなります。
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それが、いま尚絶賛されているNewton styleが生まれたきっかけです。

人からの評価を気にしなくなった彼は娼婦、同性愛.Fetishなどファッション写真だけでなくメディアでもタブーとされていたイメージを撮りはじめます、そして以前よりさらに激しいSexy.Eros.を表現しました。

そして自分だけのスタイル確立したのです。
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時代が時代なだけに批評もありましたが、彼の写真技術は誰もが認める高度な技術でした。
彼の写真の中には当時には過激すぎるくらいの物もあります、人間の醜を写す事で美を表現した彼の写真は大胆ですがどこか繊細さや絵画的要素を感じます。
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いつの時代も芸術家は時代や文化と戦っています。それが芸術家の運命。
すんなり時代に受け入れられたなら、それは芸術でなく技術でしょう。(今の時代なら尚更)
沢山の芸術家は時代や環境に嘆き苦しみました。

Newtonもまたその一人、怒りや嘆きをあくまでも作品で表現したからこそ、過激で大胆な写真が撮れたのでしょう。


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Newtonが撮影したCM
http://www.youtube.com/watch?v=kPogehKnlqc&feature=youtube_gdata_player

"Nothing has been retouched, nothing electronically altered. I photographed what I saw."