知性が露わになる時 | 山犬日記 - 高知在住都民の独り言

山犬日記 - 高知在住都民の独り言

2008年2月から介護赴任して9年が過ぎました。
2016年6月から犬と暮らしています。

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今は知性が露呈する時だ。このやり取りの中でその知性がどの程度のものか国民は見る事になるのだろう。


擁護する話や反論じみたことは今はまだ喋らない方がいいと思う。逆の立場ならよく分かることじゃないかな。何を喋ろうと聞く側の耳は言い訳としか聞こえない時。政治家が白若しくは黒ではないという信念を持っているなら焦ることは何もない。


今まで何も語らず大勢がどちらかに傾いた時に急に上から喋り始める政治家が出てくるものだが、後になって浅はかな姿勢に見えることはよくある。これは与野党に言えることだ。


声を大にして与党批判を始めた議員も、議員が黒だと言う確証があるならそう慌てることはないはずだ。今喋るのは、論理も確証もないままにここで形勢を一気に不動のものに確定したいがために喋っている感情による声に聞こえる。マイナーな意見が世の変動でメジャーに扱われ始めた途端にそれまで黙っていた者が急に能弁に語るようなもので底の浅さを露呈するだけだ。


有能な政治家ならきっと今は静かにしていると思う。喋りたい者に喋らしておけばそのうちボロも出るだろうし、相手の喋る目的が何かを見定め、その姿勢に対して論理的に攻撃をかけていけば良いからだ。


気になるのは一部の与党議員が持っている情報だ。彼らが自民党にブレーキをかけた情報元だろう。W氏の別の決裁書と取り違えてないかという指摘も翌日にはトーンダウンした。既に情報を持っていた党内の有力者からストップがかかったのだろう。


何を持って政治的に知性と呼ぶのか。一般的な知性と呼ばれるものとそれまた別のものなのか、それを国民がどう受け止め、議員を判断するのか。今を含め暫くはそういう時だと思う。