米国でのデビューは1963年。キャピトルが蹴った契約をシカゴのヴィー・ジェイが拾いあげアルバム1枚分の契約を確保した。2月にシングル「Please Please Me」Vee Jay VJ498を出したが不発、5月には「From Me To You」VJ522を出すも鳴かず飛ばず、そして会社の状態が悪化した結果LPはキャンセル(というかペンディング)、その後9月にフィラデルフィアのスワンが「She loves You」Swan 4152を出したがヒットの兆しは見せず63年も暮れていった。

 

再発、「Please Please Me」/「From Me To You」VJ-581

  

ARPの刻印があるのでVee-Jayの地元シカゴの工場製

 

 1963年11月英国5枚目のシングル「I Want To Hold Your Hand」を携えたブライアン・エプスタインはキャピトルを訪れ、ようやく販売契約と宣伝体制の確約を受けて本格的に米国に上陸(1964年2月)したビートルズ。かのエド・サリヴァン・ショー(昔、渥美清さんが、『アメリカにも裁判所があるんだって。しかも江戸裁判所・・』ってネタはどこで読んだんだっけかな?)での出演で「君の名は」(昔のラジオ・ドラマね!)状態のニュー・ヨーク。銭湯は無いけど、ストリートの犯罪激減状態。

 

  

Capitol 5112 「I Want To Hold Your Hand」

△にI A M の刻印があるので、東部ペンシルヴァニア州スクラントンの工場製

両面機械打ち、F3 #2 の刻印

 

  

B面はまだVee-Jayに権利が残る「I Saw Her Standing There」嫌がらせか??

どこかに、単にキャピトル側の間違い、という記述を見たことがあるが詳しく触れてる研究者の見解(深堀考察)は寡聞にして目にしたことがない・・・。

このオイ!オイ!カップリングにVee-Jayは噛みつかなかったのだろうか?

 

 宮永教授のご著書『ビートルズ大学』第3章『「エド・サリヴァン・ショー」賞味法』副題に『新学説「ポールの野望説」とは?』とあったが、???で、実はその披露曲目をジ~~ッと見つめれば、自ずとその意図が見えてきます。(大学生なんだからもうちょっと考えましょうネ💛)

 

第1回放送分

・All My Loving :Capitol  LP2047

・Till There Was You :Capitol  LP2047

・She Loves You : Swan S4152

・I Saw Her Standing There : Capitol 5112 B 、LP2047、 VJLP1062

・I Want To Hold You Hand : Capitol 5112 、 LP2047

 

第2回目放送分

・She Loves You :Swan S4152

・This Boy : LP2047

・All My Loving : LP2047

・I Saw Her Standing There : Capitol 5112 B 、 LP2047、 VJLP1062

・From Me To You :Vee Jay 522、581

・I Want To Hold You Hand :Capitol 5112 、LP2047

 

第3回目放送分(実際は1回目の生放送の前に録画されたもの)

・Twist And Shout :Tollie 9001 (64.3シングル化)、 VJLP1062

・Please Please Me :Vee Jay 496(63.2の米国デビュー・シングル!)581

・I Want To Hold You Hand :Capitol 5112 、  LP2047

 

そうです!この放送を見てレコード店に飛んで行ったキッズ達は何らかの形で”レコード”を入手できるように仕組まれていた(もとい、考えられた!)選曲なのです。Capitol が満を持してリリース(大量投下ネ!)したシングル盤「I Want To Hold Your Hand」が万一品切れだったとしても、Vee-JayかSwanのシングル、又はCapitolのLPに行き当たる確率100%=手ぶらでご帰宅はさせません(笑)作戦。

ブライアンはCapitolの関係者ではありませんから、ビートルズのレコードが売れれば(会社はどこでも)それで良し!の立場。

 この考察、意外といい線行ってると思いませんか?