介護からの卒業 | 丸慕浪漫日記

丸慕浪漫日記

お暇なぁ~ら見てよね(≧▽≦)

お久し振りです。約2年振りに書きます。

そして長めの話しです。

 

2020年の4月から認知症の母親の介護をしてきました。

主たる仕事は日に2食から3食の食事作り。

晩酌する人なのでそれに合った食事=酒の肴中心。

売っている惣菜は使わずほぼ手作りです。

あと朝の送り出し、洗濯、掃除、夜間の見守り等々。

食べる事とトイレはまだ自分で出来ていたのが幸いです。

年々進む症状に悩まされながらも頑張ってきました。

母の態度に時には大声で怒鳴る事もありました。

でもそんな事も忘れちゃうんですよね。

介護生活が長引くにつれ貯金も無くなり、

ゆくゆくは施設入居も考えながらその為にはどうしたら…

介護施設入居には年金以上にお金がかかる。

複数の不動産屋にも査定をしてもらう、驚くほど低い。

でも売却益でそれは何とかカバー出来そうだと考えました。

それから不用品の片付けのスピードを早めたのです。

ケアマネさんに相談しグループホーム見学しました。

幸いにも空きがあり5月1日からの入居決定。

 

その一方で3月末からお腹が痛いと言い始めました。

食事量も減り、何とか食べてもらおうと思う日々。

4月になり定期検診。胃カメラの結果ピロリ菌発と言う事でした。

その後のエコー検査で肝臓に複数の腫瘍が発見されましたが、

年齢的な事も考え何もせずに経過を見守る事にしました。

施設入居は断念しかけましたが受け入れてもらえました。

5月8日入居後初面会。食事は余り摂れてない様子。

5月26日マネージャーさんが母を乗せて家へ。

書類持ってきながらのドライブだそうです。

6月5日、連絡があり調子が悪いとの事でした。

自分の通院前に寄ってきましたが、かなり弱っていました。

当初5日に見舞いに来ると言ってた姉ですが、

自分が通院しなきゃならないので翌6日に変更。

もしもを考え葬儀社経営の友達に電話して色々と訊く。

6日昼頃に見舞いに行くも、もう僕の言葉に頷くだけ。

夕方施設から呼び出され緊張が走る。

訪問看護の看護師さんが緊急性は無いととの事。

この時母の顔には薄っすらと涙が見て取れる。

帰り際『また来るからね』と言うと「わかった」との返事。

久し振りに会話が成立しました。

そして後ろ髪惹かれる思いで居室を後にしました。

 

姉も帰って行き、自分は自宅の片付けを始める。

何だか精神的にもクタクタになってた。

シャワー浴びて何か食べるかと思いきや、また電話が。

今回は覚悟しなければと思い、雨の中車を走らせる。

間に合いませんでした。数時間前の会話が最期に…

遺体を家に安置するため連絡し、一度帰宅。

23時過ぎ片付けが終わった和室に運んでもらう。

家を売却していなくて良かったと本当にそう思った。

やっぱ最期は自分の家が良いよね。

結果論ですが、家売却の時期も含めて道筋があったのだと。

体調崩してからの展開が早く、2か月程で終幕。

自宅で介護し始めて約3年、施設で約1か月。

愛犬失ってから悲しみも癒えぬままの1年3か月。

母と愛犬と僕とで過ごしたこの家も今やひとり。

各種手続きに追われ時間ばかりが無駄に過ぎて行く。

当面売却は考えずに家を守ってゆく事にしました。

また書きます。