先日、無性に「小麦」を浴びるように摂取したくなり、長野県安曇野市にある**「つけ蕎麦 中華蕎麦 尚念 安曇野店」**へと車を走らせた。
長野のラーメン好きでその名を知らぬ者はいないであろう名店。暖簾をくぐり、目の前に運ばれてきたお盆を見た瞬間、思わず背筋が伸びる。
写真を見てほしい。この圧倒的な「麺線」の美しさを。
まるで日本庭園の枯山水のように、あるいは丁寧に織られた絹織物のように、丼の中で整然と折り畳まれた太麺。その上には漆黒の海苔が一枚、凛と添えられている。
右手には、濃厚な魚介豚骨の香りを放つつけ汁。中にはナルトが可愛らしく浮かび、沈んだメンマやチャーシューの存在感を予感させる。別皿に添えられた薬味のネギさえも、この舞台を整える重要な脇役として静かに控えている。
しかし、この至高の一杯を前にして、ふと思うことがある。
**「つけ麺ほど、人の好みが残酷なまでに分かれる食べ物はないのではないか」**と。
ラーメン(中華蕎麦)であれば、熱々のスープと麺の一体感を万人が愛する。しかし、つけ麺は違う。「冷たく締められた麺」を「熱いつけ汁」にくぐらせるというスタイルそのものが、食べる人を選ぶのだ。
「スープがどんどんぬるくなるのが許せない」
「麺が太すぎて顎が疲れる」
「いちいちつけるのが面倒だ」
アンチつけ麺派の意見も、確かによく分かる。食事において「温度」は味の次に重要な要素だし、最初から最後まで熱々で食べたいという欲求は人間の本能に近い。
だが、それでも私は声を大にして言いたい。
**「尚念のつけ蕎麦は、そのハードルを越えてでも食べる価値がある」**と。
尚念の麺は、ただ硬いだけの太麺ではない。噛み締めた瞬間に弾ける小麦の香りと甘み。冷水で極限まで締められているからこそ生まれる、あの強烈なコシと喉越し。
これはもはや「麺をスープの付属品」として扱うラーメンとは別次元の料理だ。「麺そのものを味わう料理」なのだ。
そして、その強靭な麺を受け止めるつけ汁の仕事ぶりも見逃せない。
動物系のどっしりとした旨味を土台に、魚介の風味が鼻腔を突き抜ける。甘み、酸味、塩味のバランスが計算し尽くされており、麺を半分ほど浸して啜り上げれば、口の中で小麦とスープが爆発的な旨味の化学反応を起こす。
確かに、食べ進めればスープの温度は下がる。しかし、尚念の場合はその変化さえも愛おしい。温度が下がると共に、スープの粘度や塩味の感じ方が変わり、麺の甘みがより際立ってくるからだ。
終盤、別皿のネギを投入し、あるいは卓上のアイテムで味変を楽しみ、最後にスープ割りで余韻に浸る。そこには、単なる「食事」を超えた、一杯の丼と対話するようなエンターテインメントがある。
「つけ麺は好みが分かれる」。それは事実だ。
しかし、だからこそハマった時の沼は深い。
「ぬるくなるのが嫌だ」と敬遠している人にこそ、この尚念の芸術的な麺線を一度体験してみてほしい。
もしかするとその一口が、あなたの食の価値観をひっくり返す「運命の出会い」になるかもしれないのだから。
ごちそうさまでした。また必ず、この小麦の香りを求めて戻ってきます。

