この間、学校の先生になってた子と「義務教育がどうのこうの」という話しをした気がします。
内容はぶっちゃけ覚えてないんですが、彼女には彼女なりの理想があって、しかし現場の現実とのギャップに悩んでいる、というありがちな話しだった気がします。
んで、僕自身は義務教育がどうのこうの言える立場じゃないのでとりあえず共感しておいたんですが、いまふと思うことがあって筆をとりました。
僕は為替を学ぶ機会があって、それなりの結果を出して、その技術を伝えるということをしていた時期があります。
いわゆる「オトナ」の方を「教育」した経験があります。
んで、そこで思ったのが、いわゆる「教育」っていうのは「キッカケ」の域を出ないんだなあと、ということ。
そういう視点で見ると、例えば「予備校のカリスマ教師」という方は「キッカケ」を作るのがうまいと見れます。
だって、いくらそのカリスマ教師さんがすごい人でも、授業時間なんてけっきょく数時間に過ぎないじゃないですか。
本当にその生徒さんの実力がつくのは、けっきょくは帰ってからの家だったり図書館だったりでの自学の時間。
その自学の時間の効果を何倍にも引き上げるために、興味という「キッカケ」を与えること。
それこそが「教育」なんじゃないかなあ、と僕は思います。
さて、「義務教育がどうのこうの」の話しに戻ると、ぶっちゃけ僕は「義務教育」時点での先生の話しなんて何一つ覚えていません。
それよりも当時はドラクエやFFのゲームを学校を休んでやっていたぐらいのゲーマーで、ゲームのストーリーだったりキャラクターが発する言葉から学んだことのほうが多いです。
で、ここで短絡的に「だから義務教育なんてぶっちゃけいらなくね?ゲームと漫画読んでりゃいいよ」ということが言いたいわけではないです。
もしかすると、小学校中学校の先生の言葉自体は覚えていないけれど、たくさんの「キッカケ」を得ていて、だからこそ僕はその「キッカケ」を糧にゲームや漫画から学んでいたのかもしれない。
・・まとめると、「短期的視点ではなく長期的視点で見ること」というような為替トレードのキモの1つみたいな感じで締めます。