2021年のMAこと「マリー・アントワネット」、いよいよ明日は大阪での大千穐楽ですね。
明日も無事上演され、最高の大千穐楽となることをお祈りしています。
夏に、こんな記事を上げました。
この頃は、自分も観に行く気満々だったなぁ。
残念ながら、今回私は東京へも大阪へも行けませんでした。
ものすごく悩んだし悔しいけれど、仕方なく断念しました。
けれど、行かれた皆様の感想を拝見したり、キャストの皆様の熱い想いを受け取ったりと、
作品からパワーを受け取ることはできました。
カーテンコール映像でもらい泣きしたり、例のハプニングで「尊い……」としみじみしたり♡
前置きが長くなりましたが、そんな前置きよりも長いこと寝かせておいた記事がありました。
初演MAと新演出MAの考察です。
前にアップしたの昨年の5月末だったんですね……?!
ということで、何事もなかったかのように(?)いきなり本題に入ります。
過去記事や、この企画の経緯は「MA」のカテゴリでソートしていただければ幸いです。
https://ameblo.jp/sdmt619/theme-10111588585.html
以下、それぞれのリンクも貼っておきます。
【プロローグ】
経緯やまえがきなど
【その1】
登場人物のカットと人物像の違い、MAの意義について
【その2】
フェルセン、マルグリットの新旧演出での違いについて
【その3-①】
ナンバーに見る変化(主に1幕)
さて今回は、2幕を中心に見ていきます。
旧演出の2幕は「正義の鐘よ」から始まります。
これは新演出1幕ラストの「もう許さない」「
新演出1幕のラストに「私たちは泣かない」が挟まれたのは大きいなと思っていて、
旧演出では皇太子が亡くなる描写があると前回書きましたが、
旧演出の2幕では、「流れ星のかなた」をマリーが長男の死後に歌う。
新演出の2幕では、マリーが自分の最期を覚悟して「明日は幸せ」を歌う。
2幕でのこの曲の立ち位置は、悲嘆に暮れる歌だったのが、覚悟の歌へと変化した印象を受けます。
ルイの名曲、「もしも鍛冶屋なら」は新演出のほうが切ない……。
旧演出は、諦めの色が強い気がします。
歌詞については、新演出のほうが収まりがいいですね。
これに限らず、旧演出は無理に言葉を乗せているナンバーが多い気がしなくもないです
世界初演ゆえのことでしょうか。
新演出の歌詞で、確実にスッと入りやすくなりました。
マルグリットが民衆の女たちへ訴えかけるシーン。
旧演出の「金が決め手」と新演出の「ベルサイユへの行進」
これは旧演出も好きだし、「金が決め手」
旧演出だと、マリーの「あなたを愛したことだけが」
旧演出「あなたを愛したことだけが」の最後の歌詞
「
→フェルセンへの未練あり
新演出「あなたを愛したことだけが」の最後の歌詞
「
→過去形=フェルセンとの関係は思い出としてしまっておく
というように、歌詞にも心境の変化が見られます。
新演出の2幕といえば、なんといっても「憎しみの瞳」。
この曲、日本の新演出版で作られた新曲だったんです。
マリーとマルグリットが正面から対決するバチバチの曲。
このシーンがあることにより、
マリーとマルグリットの物語である、ということが強調されているような気がします。
これは私の勝手な思いなんですけど、MAの楽曲がメディアで取り上げられるときって、
「マリーとフェルセンの物語!」
として打ち出されることが多い気がしていて。
いやいやタイトル“MA”でしょ!!!
“2人のMA”の物語なので
本編まるっと観てMAの意義を知っておくれ!!!
と、ご近所を回りながら叫びたい衝動に駆られます。
それくらい、この曲と対立シーンがあることの意味は大きいです。
もちろん、マリーとフェルセンの関係性も素敵なんですよ。
その上で、マリーとマルグリットの関係性を深堀りしてくれている。
お互いの立場、思い、願い。
それらを面と向かってぶつけ合う。
ナンバーのラストなんか、めっちゃ近距離で睨み合ってます。
2018年のDVDでは花總マリー×昆マルグリット、笹本マリー×ソニンマルグリットの組み合わせで収録されています。
この映像の限りでは、
昆マルグリ:赤い炎
ソニンマルグリ:青い炎
という印象を受けました。
これ、どうして組み合わせ違いの映像収録してくれなかったの~!
と嘆いているので隠し持ってるなら出していただきたいところですね。
このシーン大好きすぎて長くなってしまいましたが、新演出のMAが好きな方は「憎しみの瞳」みんな大好きなんじゃなかろうか?
ソニンさんも、以前この曲がMAのナンバーの中でもダントツで好きっておっしゃってましたね。
テュイルリー宮殿での「憎しみの瞳」「あなたに続く道」
「恐怖政治」は新旧で大きな印象変更はないですね。
この曲やけに頭の中で流れるんですけど、口ずさむには向いてないなぁ。笑
ヴァレンヌへの逃亡シーンは、旧演出「ヴァレンヌへの逃亡」の曲調が穏やかだったことに驚きました。
新演出「国王の逃亡」ほどの緊迫感がなかったのは、視点がカリオストロとボーマルシェだったからでしょうか。
終盤、マリーのもとへ駆けつけるフェルセン。
旧演出では「すべてはあなたに」、新演出では「私たちは泣かない」が歌われます。
旧演出の「すべてはあなたに」が、新演出で「あなたに続く道」
どちらかというと、大事な局面では「私たちは泣かない」が歌われるよう
マリー裁判のシーンは新旧共に、楽器の音でギロチンの音を表現しているんですよね。
新演出DVDの特典映像にて、指揮の塩田さんがインタビューで話してくださっていますので詳細は是非ともそちらで。
2幕もいよいよ終わりに近づいてきました。
マリーの処刑、新旧演出共に、ギロチンが落ちるシーンは不協和音に包まれます。
そこからのラスト。
これは新旧で大きく変わったと思います。
旧演出は「自由」というナンバーで終わります。
歌詞としても、「自由~!」という叫びで終わります。
ただ、結局マリーは……?
と思ってしまいました。
旧演出のラストは希望がなくて、結局何が言いたかったのか、何を訴えかけたかったのか。
ライブ盤を聴いただけで実際の公演を観ていないのも大きいのですが、聴き終えたときにもやもやが残りました。
対する新演出。
1幕冒頭でフェルセンが「プロローグ~マリー・アントワネット」として振り返ったように、
2幕終わりでもフェルセンがエピローグとして「マリー・アントワネット」をリプライズで回想します。
ただ、1幕よりもトーンダウンしています。
マルグリットが下手側で、なんともやりきれない表情を見せていることも大きいです。
そこから全員で歌う「どうすれば世界は」で新演出もいよいよ終わりを迎えますが、「正義とは何か」を客席へ問いかけて終わるスタイルになりました。
カーテンコールでもナンバーが続きますし、マリーがラストまで出てこられる演出にしたのも効いてますね。
答えは一つじゃなくて、一人ひとりの中にそれぞれある。
「学べるか過去に」と言っているように、これは現代を生きる我々に向けた作品なんだと気付かされます。
旧演出は史実をなぞり、原作『王妃 マリー・アントワネット』を忠実に追ったからこその演出で、
新演出はそこから現代への繋がりを意識した演出になったのかな。
というのが私の考えです。
ずーっと置いておいた分だけ長くなりましたが、ナンバーを追った新旧演出の変化は以上です。
過去のMA記事でも言及してますが、旧演出を実際に観ていたら、また違った考え方になっていたと思います。
あくまでも、旧演出をライブ盤で聴き、新演出を2018~19年に実際観てDVDでも観た、私の考えです。
2021年の公演を観ていたらさらに考察できたんだろうな~!
と思うので、MAは是非とも再演し続けていただきたいです!
という熱い想いを綴ったところで締めたいと思います。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました!
明日の大千穐楽、良き締めくくりとなりますように。