前回SD爺版「全地球史アトラス」ダイジェストを書いたので、今回は纏めの感想を。
改めて感じる事:
億年単位の時間軸で見ると、地球は宇宙の変化の影響を大きく受けて、磁場の有無、宇宙線被ばくの増減、酸素濃度やCO2濃度の変化、気温の上下変動等を繰り返しており、生物は宇宙と地球自体の両方の変化に翻弄されて、繁栄と絶滅を繰り返して来たが、今後も同じ様に変化が繰り返される事は間違いなく、いずれ人類が制御出来ない要因で地球が人類の住めない場所になる事は避けられないのだろう。
我々は正に「無常」の世界に生きている事を思い知らされるのだが、その一方では45億年という直観的には把握出来ない長さの時間軸からすれば、人類繁栄の現代はほんの一瞬に過ぎず、その一瞬に生を受けたのは奇跡的な事だとも改めて感じる。(地球誕生からの45億年を1年に置き換えて計算してみた処、人類が農業革命を起こしてからの1万年は70秒であり、産業革命からの270年は僅か1.9秒でしかない。)
ユバルノアハラリの問い掛け:
とは言え人類として生きている以上、全地球史としての一瞬をスローモーションにした観察とでも言える人類史を学ぶ機会の方が断然多いのだが、その分野ではユバルノアハラリの「サピエンス全史」や「ホモデウス」という優れた著作が思い当たる。「ホモデウス」では、人類の未来の姿は電気信号で行動制御されるヒトのバージョンアップが続けば、神を超える存在になり、人とサイボーグとの垣根が曖昧になっていく、という様なイメージだった。そしてお金で不老長寿を買える人達と、AIに仕事を奪われてしまうUseless Classに分かれる、という身も蓋も無い何とも厳しい未来像が提示されていた。ハラリは未来図の可能性を敢えて厳しく提示する事で、そうならない様にあなた達はどう行動しますか、と問い掛けている。
SDGsの時間軸:
現代を生きる我々にとってSDGsの持続可能性は極めて重要なテーマなのだが、持続可能な世界とは飽くまで限られた時間軸の範囲でしかないと認めざるを得ない。SDGsは数十年から精々数百年レベルの議論であり、地球史に比べると遥かに短い時間軸の中で人類が出来る事をしようという議論と言えよう。全地球史アトラスで突き付けられた通り、有限な寿命の地球に生きる有限な寿命の人類と個人ではあるが、ハラリの問い掛けに応える為にも、今できる事を精一杯行いながら生きたい物である。
