うはのそらにて -2ページ目

5月も半ば、

随分長く間を空けてしまった…


今朝起きて直ぐ、魅力的なある方のブログを読んでいて、
ああ、わたしももっといろいろと書いてみようと思った。

そう感じたのは、
昨夜の穏やかな催しや、今朝6時から8時の間に見た具体的過ぎる夢や、
近頃始めたツイッターにも依ると思う。

ツイッターに関しては、
殆ど深く考えもせず言葉を発するのが新鮮だったし、
そういうのが必要だと思ったから。
それに、誤字があっても、語感とかバランスがおかしくてもなんだか平気で、
奇妙な安心感があるなあ。

わたしは何をするにもとにかくあらかじめ考え過ぎると、
自分で知っている。
より個人的なことには、より大胆であろう、とこのごろは思う。

それに、
横尾忠則さんのことばが直ぐに
目の前の小さなスクリーンにあらわれる、というのが贅沢だ。

手紙とメール、と同じ理屈かも知れないけど、

本などを読んでいると、
発されたそれとわたしとの間には必ず隔たりがあるものだけど(良い意味でも)、
それがこういったふうに、鮮度の高い言葉や考えが直ぐに広まることが可能になっているんだ。
殆ど時差がなくなっていく。
もう亡くなった方は別だけれどね。



きょうはいまからお仕事だ。
支度をしないと。

寝床で

軽く見ていた風邪がひどくなって、
随分前から愉しみにしていた昨日の予定は反故になってしまった。
かなしくなった。ひとりで拗ねた。


まず意識が、それからじんわりと肉体が覚醒していくにつれて
鈍い疼きが頭をクレシェンドに呑み込んでいった。
この感覚知っている。毎度毎度、
朝一番の頭痛が、わたしはほんとうに恐ろしい。

洗面所に立つと、つむじから顎下にかけて
波が退くようにさあっと血の気が降りていくのがわかる。
鏡の顔が蒼かった。
(この既知感は、6年前のパキスタンに遡った。)


昏々と眠ったら、どこかの都市の、坂の上の夢をみた。
階段の上だったかも。

坂とか階段の上から眺めた風景は印象深い。
記憶の中のそういった景色は、ぱっと思い浮かぶだけで直ぐに5つ6つ挙げられる。

近頃見る夢の例に漏れず、わたしはすこし浮いていた。




*************************

写真部の友人の、
"昨日は何時間も部室に籠って..."という話を思い出しながら、
わたしには、そういう場所がないな、とぼんやり考える。

そんなふうな、研究室とか、部活やサークルの集まるとことか、自習室とか、
みんなにはそれぞれ、馴染みの場所があるように見えた。よく通った、馴染みの。
あとになって"思い出の場所"、といえるような。

わたしは昔から、
学校とかパブリックなところに行くと、
"みんなに開けた"場所に馴染むことができない。
周りの友達は、やすやすとそれを自分の場所にして、居心地がよさそうなのに、
わたしには、それが到底できなかった。
勝手に、場所に追い立てられるような気分がしていた。

かなしいことにも思えた。


一方で、
ほんの刹那刹那で、強烈に安堵感を覚える場所というのがある。
自分の場所だ、とふっと思う。
広大な図書館で彷徨っているときとか、
乗客の殆ど居ないバスの窓際の席とか。
パリの赤い扉の映画館で、数人のはげたおじさんたちの中でネクラな映画を観ているときもそうだし、
からだに悪そうな、かすんだ空気の店にじっと立っているときもそうだ。


そう思うと、不安になった。
いったい、わたしは馴染んできたのかな。
巨大なものに、属してきたためしがあるのだろうか。密着してきたためしがあるのだろうか。
ごまかしに時折足の小指だけくっつけて、結局ふわふわと浮いているんじゃないか。

あ、夢と同じじゃないか?


人にもそうだとしたら…?とちょっと考えてみて、ぞっとした。




こういう思いつきにあれこれ脳内を巡らせても仕方が無いので、結局考えるのをやめた、
この頃は、いやにさっぱりしている。

仕上げなければいけない原稿がひとまず落ち着いたので、
ずっと読みたかった本を読みはじめたのだけど、
これがもう、凄い。
たっぷりとした重量感がページからページから、単語から単語から
読むわたしを圧していく。
わたしは、濃密な液体を吸収していくスポンジみたい。
滴らせながら読み進めている。

これがもう、凄いの!

うはのそらにて-ミュンヘン双子

何故かふっと思い出したこの写真を。
ミュンヘンで見つけた双子の淑女たち。その時はなんだか妙に感動したような。
途方も無い偶然であなたたちの後ろに立てたことが嬉しかった。
勝手に載せてごめんなさい…

走り書く

白ワインを少し飲み過ぎたときの、
からだじゅうがひんやりとした感覚。
その端々は既に自分のものではないような、
且つわたしにしか知り得ない、その温度がすきだ。
ふと鏡に顔が映れば、青ざめてしなびた肌。
目だけが妙にぎょろぎょろ。


最近はもっぱら強風と頭痛がきらいだ。
逃げられないから。
強風は無垢だし、頭痛は如才ないやつだと思っている。
両方に脅かされているときのわたしはまるで妖怪のよう。
妖怪のよう。
でんでんどろどろ。


この頃はしばしば似たような夢を見る。
飛び上がるほど冷たい水で顔を洗いながら、
ハッピーエンドだったなあ。
くっそー
大抵ハッピーエンドだもんなあ。
はっくしょん。

風邪をひいて、咳が出る。コンコン。
朝目覚めた瞬間に、夜中の咳を思い出す。
うっすらと思い出す。
あれって、ちょっと、よくないですか。わかる?

凡人にはわかるまい。その点この僕にはわかるよ。♪

実家なら、「昨日の晩、二階から咳が聞こえてきたよ」と言われたものだ。


インタビューの聞き起こしや、宿題ディクテ。
ちいさなスクリーン上に、
聞こえてくる音を、目に見えるかたちに変える作業をしていると、
頭蓋骨と脳のスキマに言葉がぎっしり詰まっていくのがわかる。
それらの言葉は、そのうちのびたラーメンみたいに、ふやけて膨らんで、
頭が、特徴のないクリーム色のきれぎれで埋まるんだから。
音の繋がりが、なかなかどうしてかたちになるんだから。
互換しちゃうんだから。
これって、合っている?
そういうのが、不確実すぎて、くすくすしちゃうんだから。


こないだ観に行った男鹿展。
フレームには、きっちりと隣の彼の猫背が入るのだった。



思った以上に、あとからヘヴィ!
感情のそのままを示したとてわたしには何の弊害もないよね。

そんな気分、きっと、
"Non, je ne regret rien" (いいや、なにも悔いはない)

移ろい

それについてよくよく考えたいということがあって
よしじゃあひとつ腰を据えてじっくり時間を掛けてなんて思っていたら
仕事やら約束やら下らないドラマやら早すぎる就寝に呑まれて後回し後回しに。
"し残している"という感覚と"解けた"という錯覚ばかりがつきまとう。

突然時間がある塊でやってくると、あ、いまだ、とぼんやりと感じるのに、
巧く集中できず。
根本の所を忘れかけてさえいる。
この頃は、
お風呂上がりにドライヤーする時とか、掃除機を掛けている時がいちばんだ。
ガーガーとかブーンとかこちらでは制御しようのない音の連続の中で
鏡を見つめていたり角をつついていたりする時がいちばん頭の中が静かになるのだった。
心地好いと言ってもいい。ずっと埋もれときたい。


<<この頃は、有難い、と感じることが多い。>>
そんな話をすると、じゃあ有難いの反対ってなんだとおもう、と友人が言う。
線路沿いの、夜の道だった。"エーデル"の前あたり。

有難いの反対は、当たり前よ。

そしてわたしたちは言う、"おみちびき"に感謝、と




周囲が目まぐるしく動き始めている。
飛び上がるほど嬉しいことも、力が抜けるほどのかなしみも、
丸呑みにしてそのまま進む。
わたしはその上澄みのようなものに必死でしがみついていて
ドライヤーと掃除機だけがすべてを一瞬眠らせることができる。
すこし、弱音を吐きたいと思う。
どうして平気だと言ったり、「すべてうまくいっている」というふうにしてしまうのか。
吐くことは、認めることと同義なのかもしれん。
一旦お腹に入れた事実。
それが、結果吸収し損ねるものだとしても。




初詣は山に登った。
うはのそらにて
子どもの頃よく行っていた池だけれども
なんか「春夏秋冬そして春」みたいだ。
とても寒い日で、霜柱が立っていた。みたことないじゃろう、と口々に両親が言った。

うはのそらにて

うはのそらにて

より私的なこと

覚え書き。


「フォーカシング」というものに出会う。
心理学を学ぶ友人との食事。
それは、濃い赤ワインをからだに入れるよう。
胸が高鳴り、脈は早まって、新しい液体が流れ込みつつある感覚。いつだってすばらしい。


”「うすうす感じている」感覚(=フェルトセンス)に注意を向けること。
それを言い表すこと。
意味を見出すこと。”

”表現しにくいそれは、しばしば<からだ>で感じられること。”


思ったことを流れるままに書いてみよう。



うれしい。
ずっと、うすうす感じてきた。
うすうす感じることに気付くのもきっと得意だ。

「かんじ」とは何だとずっと思ってきた。

あるいいものに触れたとき、見たとき、ある地に立ったとき、
好きなものを知ったとき、嫌いなものに向き合ったとき、誰かといるとき


「かんじ」を大切にしたい。
うすうす感じたものを、逃さないこと。
ふんわりとしたものに、結びつきたいと心底願うこと。
わたしは、比較的従順だとおもっているけれど。

そして、からだに近づくこと。


クンデラの『不滅』では、
男性が「自分の身体のことをしじゅう意識しなくても生きていられる」のに対し、
「女は、身体のことを呑気に忘れるということを知らない」。

確かにそうだった。
からだをいつも感じている。

お腹がよく痛くなるが、いつもおなじところだ。
疲れると、かならず左下の腰骨の横あたりにもやもやが出る。
それを知っている。そのことを。それだけで、それはわたしのからだだと。
からだにくっつき、からだの中にいると思い出す。

それから、胸が痛いというのは、あれはなんだろう。
ある感情、かなしみ、切なさ、不安、エトセトラ
そういったものを思い返すと、喉の下の方からえぐるような圧力を感じる。
”胸が痛い”と言葉があるくらいだから、多少の差異は有るにしろ誰もが知覚しているのだろうし、
いつだか知らないけれど、遥か昔に誰かと誰かが共有したということなのだ。

最近、私的なことで、ひとりになって思いを巡らせるということがしばしばあったために
あのかんじを頻繁に知覚していた。
不思議に思ってかなしみをわざと感じてみたりした。
笑うくらい忠実に、ムラなく喉に圧力を感じていたのだった。


やりたいことも、相性がいい土地も、嫌いなものも、
一緒に居たいひとも、

じぶんですでに感じている。


わからなくなったら、からだの感覚にもっと寄り添おう。
不安は、ない、と、なくなると、おもう。

わたしにくっついたものは、重要であるけれどたいしたものではない。
「かんじ」は、そのままのわたしにしかわからない。



・10年来の友人が神戸に尋ねてきてくれた。
あなたは、すごい。
わたしたちはたくさん話をしたし、感動屋のふたりは、ずっと胸をどきどきさせていた。
きみの感じたことを、わたしも感じていた気がする。
わたしが感じていたことを、きみが感じたように。

・1912年の刺繍図案の1ページをlandschapboekで買った。
このお店がほんとうにすきだ。


・『中国女』
68年の一年前の映画ということにおどろく。
主人公ヴェロニクは実際にナンテールの学生だったとあとでわかり、言いようのない感動。

大きな目のアイラインと、
対話のシーンでイヴォンヌが髪の毛をいじりながら話す様子、
列車でのヴェロニクが窓のとってを撫でながら話す様子、
色彩から受ける印象、
演説口調、
それから、マオマオー!




はあ、明日は早いのに、夜更かしをしてしまった。

7月、ノテ

・炊飯器の予約機能に、感心する日々。
朝、家を出る前にお米を研いでボタンを押すのだ。そして自転車を飛ばす。そして日を過ごす。
それからまた自転車を飛ばし、家の扉を開け、部屋にむっと満ちたごはんの匂いと蒸気をからだに受ける。
あ、ごはんが炊けている。

ごはんが炊けたばかりの匂いって独特だ。
スキマが無くて、湿っていて、なんだかあか抜けない。
それはいつでも、さまざまな記憶や感情を孕んでいる。

家に着いても誰も居ないのも6年目で、わかっていても、ごはんが勝手に炊けているとすこし驚く。
こう言うと陳腐なふうだけども、帰りを待っていてくれたように思うのだ。
模している。このむっとした空気が起こす感覚は、偽物ながら殆ど癖になってしまう。


ごはんが炊けるといえばカレーである。
カレーはもう出来ているのにごはん待ちというシチュエーション、、



先日、カレーをごちそうになった。
作ってもらったカレーというのはきらきらしている。それと、美味しすぎる。
部屋は明るくて、テーブルが大きかった。
涙が出そうになった。






・7月。
あついですね、とよく言い合う。
急に大雨が降ったり風が強くなったりすると、おそろしい。狂気めいていてぞっとする。


・ワンピースを縫った。
おともだちにワンピースを作る専門家が居るので、教えてもらいながら縫った。

駅のちかくの布屋さんで、麻のモスグリーンの生地を2.8メートル。
おじさんが、これはしゃれてるよ。と言ったので、それにした。
ちょっと薄くないですか、透けないかなあ。って言ったら、
透けないんだよね!残念ながら。っておじさんが言ってふたりで笑った。

たっぷりと時間を通過してきた古いレースをつけてやろうと思って、栄町のレース屋さん。
ワンピースクロニクル。
階段の上のちいさな空間、4畳半くらい。
かすんでいる。こういうところは、大抵かすんでいる。
おねえさんの肌が白かった。


・すきなひとがたくさん居る。
あんまりすきじゃないひとも多分居るけれど、充分カヴァーして吸収するほどに
すきなひとがもっと居る。つぎつぎ興味がわく。
会いたいひとも、ほんとうはたくさん居る。

おもしろい仕事をさせてもらえるようになって、新しいひとと出会ったりするので、愉しい。あと、気が抜けない。
「いま、すごくうれしそうな顔しましたね。」と、その日出会ったばかりのひとに言われてグッときた。
見破られている!もう知っている!無防備なわたし。



・個展の案内がはがきで届いていた。すごく嬉しかった。
大雨に濡れた帰り。壊れたポスト。部屋に着いてカーテンレールに服を干す。
「いつものはなし」という漫画に出て来る最初のシーンとそっくりだった。
はがきには、青い油性ポールペンで「はまださーん」と書かれている。
このひとは油性のボールペンが好きなんだろう。好きなはずだ。好きであって欲しい。
お菓子焼いて持っていこう、と思った。


・大切なあのこから突然のメール。すごく嬉しかった。
丁寧にお付き合いしたいと、17のときから思っているあのこ。
つい先日きみが夢に出ました、と返事を書いた。




「さよなら、笠原メイ、僕は君が何かにしっかりと守られることを祈っている。」
ぼくはきみがなにかにしっかりとまもられることをいのっている。

こないだ読み終わった本の最後のところ。



・母と行った京都
うはのそらにて



うはのそらにて

うはのそらにて


7月、毎日がつぎつぎとやってくる。
周りに何人居ようと頭の中は24時間ひとりで、
いろいろなことを、いろいろなことを、考えている。

見たものとほぼ同等の?

うはのそらにて

うはのそらにて





うはのそらにて

うはのそらにて

うはのそらにて

うはのそらにて

人力車にのった、




うはのそらにて

うはのそらにて

思いで。




家の向かいにポピーが勝手な感じで生えているのを発見して狂気乱舞、(ポピーをあいしているからだ)
こっそりと摘んで花瓶に挿す。
野生のものは花びらがこぢんまりとしているのか。
いろもかたちも!

すべてが、整っているようにおもえる。




うはのそらにて-桜

散りにけり(チッテシマッタコトヨ)

めすねこ ②

 ふたりが正式に婚約をするまえ、照りつける太陽の下、いや影に隠れて、カミーユは彼に、自らをゆだねたものだった。用心深く口紅をぬぐったあとの唇。そして彼女の胸、いつでもチュールのレースでできたブラジャーに包まれていたが…それにはなんの個性もなかった。しかしなんといってもうつくしかったのはやはり脚であった。そして文句のつけようのない、あの上等なストッキング。それは内緒で買ったもので、カミーユに言わせれば、「ミスタンゲットみたいでしょう?わかる?やだアランったら、気をつけて触って頂戴。」彼女のストッキング、その中の二本の脚、そうだな、これがあの娘の持っているいちばんいいものといえようか…

 確かにカミーユは可愛い。アランはじぶんに言い聞かせる。彼女の顔だちに、醜いところなどひとつもない。髪はいつでもきちんと褐色だし清潔だ。しょっちゅう洗ってはしっかりとスプレーをかけた、新品のピアノの色をした髪…そして、それにとてもよく調和した目をきらきらとさせて。
でも彼は、カミーユのぶっきらぼうさや、気分屋なところ、それは山を下る川のようだったがーー、そんなところがあるのも知らぬわけではなかった。

 カミーユはまだロードスターについて話していた。

ーだめよ、パパ。だめ、スイスを旅する間、アランに運転を任せるなんてあり得ない話!アランってほんとぼんやりしてるし、そもそも、運転があんまり好きじゃないのよ。彼のこと、よくわかってるんだから、あたし。

「よくわかってる」アランは心の中で繰り返してみた。まあ、彼女はそう思ってるだろうな。ぼくだって何度もあの子に言った、「きみのこと、よくわかってるよ。ぼくのかわいこちゃん」ってね!サアだってあの子をよく知ってるさ。あれ、サアはどこにいったかな?

 彼は猫を目で探してから、座り込んでいた肘掛け椅子からからだを引き起こした。まず片方の肩、それから反対側、次に腰、最後におしり。そうして5段のステップからふわりと庭へ降りた。
 周りを他の幾つかの庭に囲まれたこの庭はゆったりと広く、夜の空気の中、ねっとりとしたにおいが立ちこめている。じゅうぶんに栄養を与えられ、途切れること無く肥沃にさせられ続けているこの土壌の、花々のにおい。

 アランが生まれたときから、この家は殆ど変わっていない。それを、ひとりっこのための家、とカミーユは呼んだ。お菓子でできたみたいな屋根とか、スレートに入り込んだ高い窓、それに1階のフランス窓を囲う、安っぽい飾りに対する軽蔑感を隠そうともしないで。

めすねこ ①

La Chatte  Collette
めすねこ
 

 10時頃になって、家でポーカーをしていた者たちは疲れをみせはじめていた。カミーユは、まさしく19歳の娘のやり方で、やってくる疲労感と闘っていたのだった。というのは、ふいにさっぱりとして元気を取り戻したかと思うと、血の気のない二つの手に隠してあくびをする、という具合である。青白いあご先、オークルのファンデーションの下で頬を少しくすませ、目の端には小さく涙をためて。

ーカミーユ、もう寝に帰った方がいいわ!

ーママ、まだ10時よ。10時!誰が10時なんかに寝るっていうの。

 彼女は、もうとっくに負けて肘掛け椅子にふかぶかとはまりこんでしまっている婚約者を、訴えるような目で見つめた。

いいじゃない、もうひとりの母親が言う。
ーいいじゃない、まだ7日も待たなくちゃいけないんだから。ふたりともこのところちょっと変なのよ。まあ、それもわかるじゃない?

ーまったくね。1時間くらい、早くなろうと遅くなろうと変わらないでしょうに…カミーユ、もう行きましょう。私たちも、もう寝るんだから。

ーあと7日ですって!やだ、今日って月曜日だったんだ!全然考えてなかった…アラン、ねえこっちきて。アラン!

 カミーユは煙草を庭に投げ捨ててまた新しいのに火を点けると、そのままほったらかしになっていたポーカーのカードから何枚か選んでぐじゃぐじゃとかき混ぜ、カバラの占いのように並べた。

ーさてさて、私たち、あの車を持てますでしょうか?あのすてきなロードスター、子供たちのためのロードスターを、そう、式の前までに…!まあアラン、見て!私が勝手にやってるんじゃないのよ。ほらこれ、旅行と一緒にやってくるって。大事なニュースと一緒にやってくるって!

ー何がくるって?
ーロードスターのことよ!見てったら。

 アランは開けっぴろげのフランス窓の方を、首を持ち上げないまま見やる。そこからは、あかざだとか新鮮な干し草だとかのにおいが柔らかく流れてくる。昼間、芝刈りをしたのだ。枯れてしまった大きな木にゆったりとまとわりついているあのすいかずらも、咲き始めた花の蜜の香りを届けてきた。クリスタルの鐘のちりんという音が聞こえて、年寄りのエミールがその震える腕の中に10時に飲むシロップと冷たい水を持って入ってくる。カミーユは、皆のグラスに水を注ごうと立ち上がった。

 婚約者のグラスを一番最後にした。だってわかってくれてるでしょ、という微笑みとともに、冷たく曇ったグラスを渡す。彼が水を飲むのを眺めていたのだが、グラスの端に押し付けたその唇に目がいくと、カミーユは途端にどぎまぎしてしまった。アランはといえば、彼は疲れすぎていて、そんなカミーユの動揺に乗ってやる気分にはとてもなれなかった。だから、ただ空のグラスを受け取る彼女の白い指とピンクの爪を、ぎゅっと、ほんのちょっとだけ握るのだった。

 あした、お昼ごはん食べに来るでしょう?、小さな声でカミーユが聞いた。

ーカードに聞いてみなよ。
 アランは後ろずさって、ピエロみたいにおどけてみせる。

ー24時間占いをからかわないの。クロスのナイフとか、穴のあいたのとか、トーキー映画とか、お父様である神様だとか…からかわないで頂戴…


ーカミーユ! 

ーごめんなさい、ママ…でもばかにしないで欲しいの。24時間占いよ!彼っていいやつなの、すばしっこくて優しい、黒の使者よ。そう、スペードの召使いはいつだって早くて…

ー早いって何が?
ー何って教えてくれるのが、じゃない。考えてみてよ、これからの24時間の出来事を彼は届けてくれるの。二日間だっていけるわ。それにもしスペードのジャックの両手に、二枚ずつ余分にカードをつけてやれば、この先一週間のことでも予想してくれるわけ…


 カミーユは口早に喋った。唇の両端にたまった口紅の塊を尖った爪でこそぎながら。アランは別に退屈するでもなく、寛容な気分になるでもなく、話を聞いていた。彼女のことは何年も前から知っている。今時の女の子としてのカミーユを評価していた。彼は知っていた。車を運転する時のカミーユ、すこしスピードを出し過ぎだし、それに、変に上手すぎる彼女。すみずみまで目線を配り、血色の良い口元には、巧みにすりぬけていくタクシーに対する罵倒のことばをたくさん準備していること。彼は知っていた。カミーユが少しも顔を赤らめないで嘘をつくこと。少女と娘の両方のやり方で嘘をつくこと。夕ご飯のあとで、アランと一緒にクラブで踊るためならやすやすと両親を騙せるということ。だが、そんなとこに行っても、ふたりは結局オレンジジュースしか飲まないのだ。アランは酒が嫌いなのだった。

さくらの記録

桜の葉の塩漬けのにおいってすきだ。

春のはじまりには、サクラモチを何度かつくった。
実家にかえったときに、桜の葉と道明寺粉を買ったのだ。
高校のとき帰りによく寄っていた「はやた」で。


「はやた」は変わっていない。
細くて急な階段をのぼったところの入り口も、
無塩バターの置き場所も、
登録した電話番号をいうと、わたしの名前が印字されるレシートも。

だがわたしはといえば
そとに車を停めていた。



サクラモチって、美味しい。ほっぺがおちる。
それに、色の組み合わせが抜群にすてきだ。

食紅はほんのすこうし
というのは勿論、
春に下品なピンクが似合わないから。


朝、そとにでると、
となりの公園の、アメイジングにみどりいろをした桜の木が
さくらのきせつは過ぎたのだ、という。

冷蔵庫に、30枚以上の桜の葉っぱをのこしたまま。




なかなかけっこう。
日々を愉しんでいるとかんじる。
マ・ヴィ・コティディエンヌ、マ・シェリー。

家にもそとにも、することが、たくさんあること。
こないだ観た映画も、わたしをじゅうぶんに昂奮させてくれた。


不安はときどきやってくるが、きちんとわくわくもしている。

忠実だ。



家の近所には「かじられ」だって居るのだ。

「かじられ」は、黒くてごろんとしたからだつきをした野良ねこのこと、
左の耳がきれいにかじりとられているので、「かじられ」と名前をつけたのだった。
こころをこめて、名前をつけた。

もしもわたしたちが仲良しになって、
ときどき一緒に時間を過ごしたり、
かれのためにわざわざ牛乳を買いに行ったり、というようなことになれば、
それはたいそうすてきだろうとおもって
わたしはいつでもチャンスを伺っている。

ちくわやらなんやら、いろいろ、常備するよう心がけている。




そういえば。
殆ど毎日乗っている自転車には、名前を付けそびれていたのに気付いた。

マンションの駐輪場で、いつもとなりに停めてある紺色の自転車には
白い油性ペンで「うちほう号」とかかれてある。なんかずるい。

その字がきのう、
小学校のときの同級生(左利きの男の子だ)の字を、
まるくて歪んだ字を、ふいに思い出させたのだった。
すこしだけ胸がすわっとした。



いますんでいるところを、わたしはけっこう気に入っている。

うはのそらにて-神社