「この冬は寒いねえ」 | うはのそらにて

「この冬は寒いねえ」

数日前から、みんなきょうの寒さのことを話していた。
週末、寒波らしいよ、とか、最低気温が何度だ、とか。
あと、水道管をゆるめて寝てくださいっていう乱筆の張り紙とか。

そうやってきょうがやってきたのだけど、やっぱり裏切ることなくきっちりと、おそろしく寒かった。
へんな話だが、というか不謹慎だがちょっと安心して、
台風や集中豪雨の日のような気分になって浮き足立ちさえした。
案外人で溢れた街を歩きながら、
”他人と異常事態を共有する”という、妙な一体感を心地好く感じていたんだけど、
あれって一人芝居だったのかしら。あの人たちも、そうじゃなかったの?

きょうは寒いから家を出るまいかと思ったのだけど、
この所いろいろ思うところあってどちらかというと感情的になっていたこともあり、
なにか重量のある塊のようなもので、感覚をぐわんとゆらす、
そういうことがしたい気がして、自転車を飛ばして映画を観に行った。
「息もできない」という、韓国の。

やっぱり映画館は好きだ。

殴って殴って殴るシーンがたくさん出て来るんだけど、
赤い椅子にはまり込んでいるし、”ボッボッ”と鈍い音でコブシがぶつかる音が耳に入ってくるし、
スクリーンは大きくて目の前にあるので、背けられないし、と
空間ゆえの、逃げようとしても逃げられない感覚が、
どうしようもなく何度も何度も殴ってしまう主人公とリンクして、よかった。

あと、暗くて顔もわからない他人と一緒に観ているというのも、いい。
見始める前も見終わった後も、だいたい顔を見合うことはないので、
いつかどこかですれ違うことがあっても、
このひとと一緒に映画を観たことがあるだなんて、思いも寄らないわけだから。


最近、誰かとふたりきりで長時間話をすることが多くて、たのしい。
お酒を飲んで熱くなったり、ふたりしてやたら気が大きくなるというのもいい。
ぎゃはは、わたしたちってなんて生意気!とか言ったりする。

興味深くて、たのしい友人が多くて有難い。多いっていうか、そういう人しか居ない。
数年後に、数十年後に、だいぶん年をとってから、
この人たちにまた会いたいって思う。
その時、この人たちのたのしそうに笑う顔が見たい。
くそう、きみったら、この数年もたのしくやって来たんだろうね!そう思うの。
わたしも見てほしい、と思う。わたしの顔を。
このうえない。


そんな風に人と向き合って話をしたり、恋人との長電話が年々たのしかったり、
また、ある場面で自分の無知に何度も呆然としたり、自分の癖を改めて認識したり、
そんな諸々が関係あるのか無いのか、年なのか、時期なのか、

こんな風になりたい、こんな感じに生きたい、とか、こんな考えを持っているんだ、とか、
そう考えたり話したり、声に出して自分で納得したりすることが増えた。
まあ、気恥ずかしいことです。
それは、確固としたものではなく当然変わりゆくもので、
でも、これからのベースになっていくものなんだとぼんやり感じる。
それが25歳のいま。ようやく?
遅いのか早いのか、そんなことは知らん。

とにかく、未だ何にもなりきれていない、いま、“向かっている”ところ、そんな今が、
この1年も、いっそう楽しみだなあと考えている。



ところで、家族や親戚の小さい子どもたちに囲まれていることが多いからか、
この頃子どもの夢をしょっちゅう見る。
子どもの夢を見ると、自分の立ち位置がよくわからなくなる。
目覚めのぼーっとした時間に、
そこはかとない母性のような、ものすごい心地好さに包まれていることもあるし、
突き放したところに居るような、不安定な感覚のときもある。
まあでもいずれにしても、最近浮いていない。
絶対的に確かな、浮く感覚、よく浮いていた、あの頃の夢はなんだったんだろう。



うー日記を書くと、どうも長くなる。
昔から日記が書けないのはそういう理由で…

眠くなって来たので、特にシメられない。