ヒースロー空港で
袖振り合った
カウボーイハットの奥様。
奥様の搭乗予定便
(ニース行き)の
ゲート案内が表示されるのを
一緒に電光掲示板の前で
待っておりましたら
(ここまでの内容は
「私のせいであなたまで
足止めしちゃって
ごめんなさいね」
「いえいえ、いいんですよ。
ニースには
よく行かれるんですか」
「いいえ、これが初めてなの
・・・弟が亡くなったの」
「それは!
お悔やみ申し上げます」
「仕事を引退してから弟は
ずっとニースで暮らしていてね、
長いこと会っていなかったけど
でもニースで幸せだって話は
いつも聞いていて・・・
それが突然ね・・・」
ああ、だからこの奥様
ちょっとおかしな・・・
憔悴した感じなのか?
度のあった眼鏡とか
もっと旅行に適した
服やカバンを
用意する時間もないまま
飛行機に飛び乗っちゃった?
しかしクリスマス前の
この暮れの時分に単身で
そんな理由で長距離移動・・・
おいおいBA(英国航空)、
頼むぞ何としてでも
ニース行きの次の便は
定刻出発を目指してくれ!
私の願いが通じたか
とうとう奥様の使う便の
搭乗口が表示されました。
『A10』、すなわち
『A区画の10番搭乗口』!
よし、ここから遠くない!
「さあ奥様参りましょう」
「ねえ、あなたの搭乗時間も
迫っているんでしょう?
私は自分のことは
なんとかするから・・・」
「私の搭乗口も同じ方向
なんですよ、お気になさらず」
そんなこんなで『A10』に
向かったのですが
なんと『A10』は
我々のいる階から
ひとつ下の階に移動しないと
いけない作りになっていて、
しかもそこからさらに
『A10a』『A10b』『A10c』の
3つの搭乗口に
分かれることに
なっていたのです。
これはわかりにくい!
というわけでこうなれば
毒食わば皿までで
「奥様、下の階に降ります、
エレベーターと
エスカレータが
ありますが、
エレベータのほうが
足元が安心だから
そっちにしましょう」
そして下の階に降りた私は
ぎょろぎょろと周囲を見回して
「あっちが『10c』ですね、
でも念のため確認してきます、
奥様はゆっくり
ついて来てください」と
まずはひとりで
『10c』カウンターに駆け寄り
「次のニース行きBA便
『A10c』搭乗口はこちらですか」
「左様でございます、
ご搭乗のお客様ですか」
「いいえ、私は違います」
「えっ」
「あちらのカウボーイハットの
奥様が搭乗予定者です。
私はここまで
道案内をしてきた
無関係の第三者です。
それでお願いなんですが、
あの奥様のこと、ニースまで
気を付けてあげてくれますか」
「気を付けて・・・?
どういう意味で
ございましょう?」
「あの奥様、弟さんを
亡くした(lost)ばかり
なのだそうです、
だからちょっと動転して
いらっしゃるご様子で」
「まあ!弟さんを!どちらで?」
「ニースで。それでニースに
行かれるらしいです」
「いえ、弟さんを
見失われた(lost)のは
どこで?上階でですか?」
「えっ?」
「あれですよね、弟さんが
空港内で迷子になられたって
ことですよね?弟さんも
当便ニース行きを
ご利用でしょうか?」
いえ、そうではなく、と
私が誤解を
解こうとしているところに
奥様が追い付いて
「ねえアナタ、ありがとう、
ここからは私はもう大丈夫、
あなたも自分の
搭乗口に向かって頂戴」
そんな奥様に受付の方が
「こちらの方から事情を・・・
弟様のことを伺いました、
最後に弟様を
お見かけしたのは
どこでのことになりますか?」
「えっ?・・・そうね、
最後は・・・あれは
ニューヨークかしら・・・」
「えっ?そうすると
別便でヒースローまで
いらしたと
いうことでしょうか?」
最終的に奥様は
「なくした(lost)とは
つまり死んだ(died)と
いうことです」と
説明していらっしゃいました・・・
いや私は奥様ご本人には
聞かれないように
BAに奥様のことを
お願いしようと思って・・・
なんか本当に
申し訳ないことをしました・・・
ともあれ自分の搭乗時間も
迫っていたので私はそこで
あらためて受付の方に
奥様のことをお願いし
「では奥様無事のご旅行を。
弟様のこと残念です。
私はここで失礼します」
すると奥様は私の腕に手を添え
「本当に助かったわ、
あなた親切ね、私は何も
お返しが出来ないけど・・・」
「いいんですよ奥様!」
そして我々は搭乗口前で
熱い抱擁を交わしました・・・
私はそういう身体接触を
好まないほうなんですけどね、
この場合そうでもしないと
場がおさまらない状況でしてね。
「あなたのこの善行が
いつか巡り巡ってあなたに
幸いをもたらしますように。
ねえ本当よ、あなたに
会えていなかったら
私はこの搭乗口に
来られなかったと思う」
「なあーに、こんなのは
お安い御用ですよ!」
そんなわけで私は
奥様から見える範囲では並足、
奥様の視界から
抜けたところで速足に移行し
自分の搭乗口を目指したのでした。
年末偽善行為自慢でございます。
自分の搭乗口に行くためには
そこから電車みたいなのに
乗らなくてはならず
ホームに着いたらもう
『発車直前』状態で
浅慮からというか
勢いあまってつい
普段はしない
滑り込み乗車を
やってしまいました
(駆けてはいない)
会社員時代の勘は
まだ衰えていませんでした、
ドアが閉まる寸前に
自分の身体と荷物を
見事車内におさめ、
周囲から「おおー」という
低音の反応をいただきましたよ
でも近くに子供がいたので
その子の保護者の方のためにも
「今の私の行動は非常に危険です、
悪い行いです、皆様は絶対に
真似をしないでください」と
ちゃんと声に出して
自己批判をいたしました
・・・えっ待って、今
冷静にあの場を思い出すと
私ってまるで公衆の面前で
大きな声でひとりごとを話す
『危ない人』みたいじゃない?
今頃気が付いたんですか?
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