さて先日私がお手伝いした

某寄付金集めのお茶会

 

集会主催者側から

われらが毒舌夫人に電話があって

「イベント大成功!

お茶会大評判!ありがとう!」

 

集金額も目標に達したそうで

「それはよかったですね。

お疲れさまでした」

 

「Norizo、あなたのおかげよ!

助力をお願いして

大正解だったわ!大絶賛よ!」

 

「いえいえ、お菓子が

美味しかったからですよ」

 

 

「集会の後に主催者と

理事会の人たちが反省会を

開いたらしいんだけど、

そこでもう皆が

あの女の子(That girl)

素晴らしかった』

『あの女の子の

働きっぷりを見たかい?』

『それにしても

あの女の子は誰なんだ、

誰の知り合いだ』ってね、

噂の的だったらしいわ!」

 

「・・・女の子」

 

「そうよ、だから私から

改めて説明しておいてあげたわ、

あの女の子は

私のお散歩仲間で・・・」

 

ああ、やはりその

『女の子』って私のことでしたか!

 

人生50年の

節目を目前にして

陰で『女の子』と呼ばれるとは

まさに想定の範囲外です!

 

というか私は幼い頃に

わが母(イメージ武将:

豊臣秀吉)に勧められた

現代米国女性詩集みたいな本に

載っていた『私を

女子と呼ばないで』という

詩を強烈に覚えていて、故に

軽々しく『女の子』

呼ばわりされることに

反発を感じる

怒れる若人だったんですが

・・・人間、知命が近づくと

そこらへん甘くなりますね。

 

だってこの年でそれはもう・・・

 

逆に愉快というか・・・

 

わが夫(英国人)に

この話をしたところ

「ミス・マープルだったと

思いますが、クリスティも

書いていましたよね、

『年寄りにとっては

60歳より若い人は皆

男の子と女の子』って」

 

 

 

 

なおその後わが夫は

愛犬アーシー

(黄色雌犬)を撫でながら

「僕の奥さんはねえ・・・

若い頃に僕がうっかり

『女の子』とか言うとねえ・・・

『私が未熟と言いたいのか、

不愉快だ』みたいなことを

言う人だったのがねえ・・・」

 

私も年を取って

角が取れて丸くなったと

いうことでしょうか。

 

そんなわけで

スコットランドの田舎町で

『気立てのいい働き者の

素敵な女の子』として

名を馳せたこの夏の私です。

 

 

私の記憶の中にある

『私と女の子と呼ばないで』、

ネットで検索してみたんですが

見つけることが出来ませんでした

 

私を女の子と呼ばないで

 

仕事相手に『うちの女の子が

届けに行きます』と言わないで

 

男の人のことはどんなに若くても

『うちのジョンが

届けに行きます』って

言うでしょう

 

『うちのポールが

お世話になって』って

絶対名前を呼ぶでしょう

 

私はアイリーン

同僚はポーラ

私たちにも名前があります

 

私を女の子と呼ばないで

 

・・・みたいな詩で

 

まあ言ってみればいわゆる

アメリカの『ウーマンリブ』の

時代の働く女性たちの叫び

 

当時はこういう詩が画期的というか

旧社会に対して攻撃的に

受け取られていたと思うんですが

・・・時代は変わりますよね、

今こういう詩があったら

「当然の要求、どうしても

自分の課の女性社員を

『女の子』と呼びたいなら

男性社員のことは

『男の子』と呼びなさいよ、

何?意味が分からない?

仕方ない、人事に連絡だ」

みたいな話になりますものね

 

先人たちのおかげで

今の価値観を享受できていることに

自覚的でありたいと思います

 

お茶会から何の話だ

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