コロナに関して、

私はどうしても

現在の居住地である

英国のニュースを中心に

情報を得ていく

形になるのですが、

こちらに引っ越してきたのが

もう10年以上前であるにも

かかわらず、ここにきて

久々に当地で使われる

言葉の率直さ

びっくりしている面がありまして。

 

かなり早い段階で当局が

推定死者数を明確に

提示したのには驚きました。

 

えっ、この段階で

それを公言しちゃう?みたいな。

 

直球過ぎない?みたいな。

 

同時に堂々と臆することなく

「死にやすいのは高齢者と

基礎疾患を持つ人だ」と明言。

 

えっ、それも言っちゃう?という。

 

ド真ん中すきでしょ?という。

 

しかし結果としてそれが

世間の人々の意識を高め

「ならば高齢者と

基礎疾患保有者を社会で

守っていこうじゃないか」

という風潮を形作ることになり

・・・これは絶対に

英国人の気質をよく理解した

心理学者が当局に

入れ知恵をしているよな、と

陰謀論好きの私は

思ってやまないのですが、

やはり数字の持つ

力というのはありますよ。

 

「このままだと英国全土で

51万人が死亡します

でも体の弱い人々や

ウイルスに感染したと

みられる人たちが

自身を隔離すれば

感染拡大の速度が落ち

その数を25万人にまで

下げられます。

さらに学校を閉じたり

社会的接触を避けたりもすれば

死者数2万人で済むかもです」

 

そしてその社会的接触の避け方も

「家族以外の人間が2人以上

集まることはやめましょう」と

これ以上なくわかりやすい

誤解しようのない

指示を出してくれる。

 

これがもっと間接的な、たとえば

「集団を形成するのは

やめましょう」だと

集団って何人から?みたいな

話になってしまったと思うんです。

 

「他人の家を訪ねるな」という

勧告が出たことも結果的に

市民にとっては大きな

助けになったと思います。

 

これで堂々と訪問を断れる、という。

 

つまり心優しき隣人が

「心配だから顔を見に来たわ」と

ドアをノックしてくれても

「ありがとう、でも私は

良き市民だから

窓は開けられないんだ」と言って

手を振るだけで許される、

こっちも向こうも

心が痛まない、みたいな。

 

いや実際これは大きいですよ。

 

私は今こっそり

地域ボランティアなどをしていて

他のご家庭のために時々

買い物などをしているのですが、

そうした人たちのために買った品を

あっちの家の中まで

運ぶことはたやすい、

むしろ親切心からそうしたい。

 

でも先方にしてみたら

その時の私(買い物帰り)は

「ウイルスを付着させている

可能性が非常に高い人間」で

・・・正直、家に

入ってきてほしくない!

でもそれを言っちゃうと

失礼だよね!という葛藤が

先方の心にも絶対に

生まれる状況じゃないですか。

 

そもそもそうした

ウイルスとの接触を

避けたいからこそ私のような

ボランティアに買い物を

頼んでいるわけなんですから。

 

しかし我々には伝家の宝刀

「人の家に入るな」「他人とは

2メートル以上距離を取れ」

という政府勧告がある!

 

故に買い物を終えた私は

相手の家の玄関口に

買い物袋を置くと

窓を叩くなりベルを鳴らすなりして

「そこに荷物置きましたよー」

 

そして2メートル以上離れて

相手の登場を待ち、

向こうが中身を確認するのを

見守ってから手を振って退場。

 

意思の疎通は

ハンドサインで、みたいな。

 

でもどうなんでしょうね、

こういう明確な数字の提示とか

容赦ない予想数値の公表とか、

つまり直接的な表現方法って

我々日本人が好むところの

間接的なそれ、行間を読むこと・

隠された真意を汲み取ることを

最上とする『察しの美学』のいわば

対極にあるものじゃないですか。

 

ジョンソン首相が

「死ぬ人は死ぬ!」と言っても

野党と国民は

「そうか!じゃあ被害を

最小限にするための対策に

ついて聞こう!」で納得しますが

・・・我らが安倍総理が

「死ぬ人は死ぬ!」と言ったら

「政府はやる気がないのか!」

みたいな大騒ぎになる気も・・・

 

どちらがいい・悪いではなく

これはもう文化的な差というか。

 

「みなまで言うな」の

社会の力というか。

 

日本の対策専門家会議の

分析・提言』も、これ、とても慎重に

言葉を柔らかくしてある気がします。

 

ただ、これは当局も

こうした情報共有の仕方が

我々日本人の大多数に

一番よく内容が『伝わる』

方法なのだ、と理解して

いるからなのかな、と。

 

まあしかし英国人も

時にはあまりに直接的な

物事の表現方法に

慄きを見せる場合もあり、

これは政府勧告ではなく

BBCが入手した特ダネなのですが

イングランドの一部地域の

一般開業医にこのたび配られた

『コロナウイルスに関する

ケアホーム治療ガイドライン』に

「ケアホームに居住する高齢者が

コロナウイルスに感染した場合、

病院は治療のための受け入れを

認めない可能性がある」

「各患者がいざという時

どこまでの延命治療を希望するか

前もって確認するよう

ケアホームに連絡せよ」と

記載されていたことがわかり

一部関係者は衝撃を受けています。

 

元・爺婆っ子である私としては

ケアホーム側の驚愕もわかるし

しかし同時に一市民として

医療体制側の置かれた

悲痛な状況もわかってしまう。

 

我々は今、社会全体として

『覚悟』を求められて

いるのだと思います。

 

 

何かしら、これって

30年前くらいの

がん告知をめぐる

状況と似ているというか

 

当時、日本では

患者本人への告知は

まだまだタブーだったのが

欧米では「患者本人に

死期を知らせないのは

倫理的に許されない」という

意見が主流になっていて

 

でも当時の日本人がじゃあ

悪意を持って本人への告知を

避けていたのかというと

そうではなかったわけでございましょ

 

告知を避けることのメリットも

確かに存在するんですし

 

『不可避的な最悪の未来

(の可能性)』をどこまで

共有すべきなのか、は

時代によって地域によって

異なっても仕方ないのではないか

 

・・・コロナによる死者の

予想数を提示している国と

提示していない国、

どっちのほうが多いんでしょうね

 

で、ちょっと話は変わって、

先日何気なく聞いていた

ラジオのニュースが

「コロナによる死者数が

ドイツでは低い、何故」

という話題になった時に

ドイツの当局者だか

研究者だかが

インタビューに応じて

「ドイツの死者数は

これから増加します」と

ズバリ明言していらっしゃいまして

 

その人は続けて曰く

「これまでドイツの死者数が

抑えられていたのは

感染者の多くが

若かったためです。

何故そんなことが

起きたのかと言うと

わが国の初期感染者は

多くがスキーや

お祭り観光帰りの人たち、

つまりそういうことを

楽しむだけの基礎体力の

ある人たちだったのです。

しかしとうとう

高齢者施設でも感染が

確認されるようになりました。

故にこれからドイツの死者数は

間違いなく増加します」

 

・・・そうか、やはりドイツも

『率直・直球』系であったか、という

 

(これはラジオだったので

該当記事がネット上になく、

でも『フィナンシャル・

タイムズ』の記事で

ドイツの死者数の

少なさの理由として

同じことを指摘している内容の

ものがありました、

興味ある方は

こちらをご覧ください)

 

いやしかし、本当にどっちが

いい・悪いじゃないですよね、

こういう時の表現の選択って

 

いざという時どうしても

間接的な表現方法を

好んでしまうあなたも

そういう時は腹を据えて

あえて直球系の表現を

心掛けているあなたも

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