年明けから背中の痛み⚡を訴えていたが、頑丈な躰で病院に行ったことがあまりないためにそういう最期を迎えてしまった。

年が年だけに背中の痛みと腰痛を同じレベルで見ていたようだ。


一応、精密検査でも受けてみるか? と夫婦で会話した2月上旬

かなりの吐血をした。


夫である義理の兄が病院に連れて行くと、その町医者はロクな検査もしないで「十二指腸潰瘍でしょう、紹介状を書いとくので胃腸科で検査して下さい」


病院から帰宅後、吐血をしていたのだが義理の兄と夜ご飯を食べた。


これが文字通り、最後の晩餐となった。



真夜中…、朝方3時頃にトイレに行くと義理の兄の妻は倒れていた。


救急車🚑を呼び、病院に到着してからもAEDなどで心肺蘇生が続けられていた。

30分近くが過ぎた頃、医師は義理の兄に問い掛けた。

「どうされます?」


『分かりました。救命措置はもう結構です。ありがとうございました。

死因が知りたいです。』


義理の兄の妻の遺体をCT・MRI・レントゲンなどで調べていた医師が説明した



「これを見て下さい」



そこには心臓が極端に縮んだ画像があった。



「心臓に繋がる血管が詰まったために、心臓には血液が送られなかったのです。これが致命傷になりました。」



先週だった。義理の兄からの知らせで姉が2月上旬に亡くなってたことを知らされたのは。



2月には従兄弟の次男が火事で急死していたが、まさか姉までも病死していたとは。



しかし、これらは不幸ではないのだ。


俺は人生の折り返し地点を過ぎた年齢だから、親族や同級生の死別は決して珍しくはないのだ。

もちろん、今や人生100年時代だから、50代や70代の死はまだまだ若い!と世間では当然のように言われるが、運命やタイミングばかりは如何ともし難い。





俺は5月から在宅ワークに切り替わって、コロナの影響をもろに受けているが、同時に要介護度が2段階上がった母親の新たな老人ホーム探しもやらなければならない。


従兄弟の死因究明は未だにされておらず、病死した姉の事後処理もこれからだ。



あくまでも私的な出来事を書き連ねてみたが、こんなにバタバタすることは予想外だった。



明日から日常生活が始まるが、当面の課題が片付くのは7月に入る頃になりそうだ。




だが…、



コロナが一段落して皆様の生活が少しでも元に戻ることを僭越ながら願って止みません。😁✋✨




では