足立全康氏の考え

 

 

「日本庭園は世界に誇れる日本の文化である」と言ったのは、島根県安来市にある足立美術館の創設者・故足立全康氏の言葉です。安来市に一万坪の敷地を持つ足立美術館は、1970年、足立氏70歳の年に完成しました。足立氏は、若いころから、「すばらしい庭に囲まれた すばらしい美術館を建てる」という夢を抱き、実業家としても成功を収めて、夢を実現しました。そして、日本庭園に「自然の美と人口の調和」の妙味を見出し、世界に無二の価値があるものと考え、日本一の日本庭園を造ることが、世界一の日本庭園を造ることになるとの信念で実行しました。

 

足立氏の美に対する見識は、日本庭園だけではなく、横山大観、竹内栖鳳、川合玉堂、菱田春草、上村松園など、近代から現代の日本画をはじめ、陶芸、木彫、童画といったジャンルの超一級の美術品収集にも表れています。

 

 

足立美術館の特徴

 

足立美術館に訪れて強く感じたことは、横山大観の描く日本画を見るのに最高の場所だという事です。それは、大観が描く自然と、窓の外に見える景色とが互いを引き立て合っているからです。大観は、美しい日本庭園や自然に囲まれ、感化され、日本画のインスピレーションを得ていたのだと思いました。実際に、東京都台東区にある大観最後の住処兼アトリエにも日本庭園が造られています。

 

足立氏は、自分が日本庭園や自然を見る眼差しと、大観や栖鳳、春草といった作家らの自然を見る眼差しと、共通するものを感じとったのだと思います。足立美術館のコレクションも、そうした足立氏の一貫した自然に見出す美意識によって集められたものゆえに、美術館の建築が、「美術品」や「庭」を見せるだけの箱物ではなく、「日本庭園」「美術品」「建築」それぞれが引き立て合う、計算された完全な調和がとれた美術館になっています。

 

 

日本庭園は世界に誇れる日本の文化

 

筆者も、「日本庭園は世界に誇れる日本の文化」だと思っている一人です。筆者は、学生時代染織を学び、工芸という自然を作品の素材として向き合う芸術に取り組んでいました。そこから、工芸全般に関心が広がり、当時、日本を代表する芸術は「漆芸」だと思っていました。

 

その後、我が家に小さな庭を造ることを通して日本庭園を知ることになりました。

工芸作家なら誰もが感じることですが、自然の素材を扱うことは、自分の思うようになるものではなく、常に素材の声を聴きながら、自分の目指すべき美を追求するという芸術です。

 

日本庭園も同様に、庭園を造る素材としての、土や石、木、草、花、池などの他に、場所の方角や地質、外的要因としての天気、虫、水、動物にも対応し、合わせながら作品を造らなくてはいけません。

 

だた、工芸品と決定的に違うのは、庭は変化と進化を続け、完成や終わりがありません。庭は生きていてるのです。工芸品のように人間の手中にはおさまらず、人間の空間軸をも超えていきます。また、平安時代の庭があるように、庭は手入れをすれば千年もち、人間の時間軸をも超えていきます。

 

人間の空間軸や時間軸を超える庭を庭師が、維持、管理できるのは、古来から日本人が「自然と共にある」文化を生きてきた伝統があるからです。

 

日本の「見立て」の文化

 

日本人は、「自然と共にある」文化を生きてきたところから、自然の無いところにあっても、自然を取り込もうと、「見立て」という文化を生み出します。庭の石を使い、瀧や大海に「見立て」たり、着物の柄や和菓子にも、自然をモチーフに「見立」ての技法が使われています。日本独自の文様や家紋などもその流れにあります。

 

このようなことを、庭の理解を通して学んでいくうちに、日本を代表する芸術が「日本庭園となり」、足立氏と同じように「日本庭園は世界に誇れる日本の文化」だと思うようになりました。そして、この協会を設立するまでに至りました。

 

現代、日本庭園に込められた精神に魅力を感じるのは、外国の人達の方が多いのかもしれません。ただ、日本庭園を深く知れば、知るほど、日本人の感性、精神、日本文化の出所がわかると思います。

 

LINE公式アカウントへの登録はこちら  

Instagram@nippon_niwa • Instagram写真と動画

YouTube北山安夫の庭と心 - YouTube