前回の続きです

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 上級国民がどうという話で出て来るコメントについて、個人的によく目にしたものを中心に事実関係を見てきました。今回はその周辺の問題としてのSNS等でのやり取り、振る舞いなど、この事故に留まらず日常的に考えなければいけないのではないか、と個人的に感じた点をいくつか取り上げて締めくくりにしたいと思います。

 

・事件に乗じたデマは問題外です

 

 今回の事故に際しては、「息子がクボタの社長だ」「息子が安倍 晋三の秘書だ」といったデマが流されました。そもそもが「マスコミがさん付けして上級国民を忖度している」といった誤情報から始まり、忖度する→何か都合が悪いことがある→政治家や大企業が絡んでいるに違いない、という妄想連想ゲームの末に、苗字が同じであるという理由だけで掘り起こしてきたものと推測されます。

 

 この件に限らず、社会的関心の大きい事象においてデマが流れるケースは多いです。2016年4月に発生した平成28年熊本地震では、地震後に『動物園からライオンが逃げた』とするデマが拡散されました。

 

 2017年に発生した東名高速道路での煽り運転事故では、被疑者の親の企業だ、として全く関係のない企業名が拡散され、嫌がらせの電話により業務に多大な影響を及ぼしました。これも『苗字が同じ』というだけの理由でした。

 

 2019年に起きた重大事件としては京都アニメーション放火事件がありますが、この際にも「警察が指名を公表しないということは犯人は在日」「国立メディアセンターが設立されていれば京アニの原画や資料が守れた。中止にした民主党のせいだ」などのデマが流されました。また大規模災害が発生すると、よく「民主党がスーパー堤防を中止したから洪水が起きた」などのデマが流されます。

 これらは、自身が普段気に入らないと思っている対象を、世間の注目が集まる事柄に乗じて虚偽情報で貶めようとするもので極めて悪質な部類だと思います。極端な話、こうした情報を広げる人間というのは、自己の欲求を満たすために他人の不幸を利用しており、事件発生・他人の不幸をエサとして喜んでいる可能性すら感じます。いずれにしても、こうした重大事件や災害時には残念ながらデマを流そうを待ち構えている人間がいるため、より一層情報の見極めに慎重である必要があります。

 

 古くは、1923年に発生した関東大震災の際に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」といったデマが広がり、朝鮮人や、それに間違われた中国人、日本人が殺害される、いわゆる『関東大震災朝鮮人虐殺事件』が発生しました。デマは時に集団を駆り立て人を殺すことさえあります。「あんなのは昔の話」では済みません。

 2018年にはメキシコで、「誘拐犯だ」とされた全く無実の人がデマを信じた人に殺害される事件が発生。

 同じく2018年、大阪でも大きな被害の出た台風21号により関西国際空港が孤立した際には、孤立した人の対処を巡って中国と台湾でのあれこれからデマが広がり、台湾の外交官が追い詰められて後日自殺するという出来事もありました。この際には台湾メディアもデマに加担してデマに基づいた批判に乗っかり、批判を加速させたとも言われています。

 最近では、「朝鮮人虐殺は無かった」というデマを流す人が増えているようですが、デマをきっかけに起きた事件をデマで否定して歴史修正とかありえないですよね。

 

 「そんなデマには騙されない。でも飯塚は許せないし上級国民は事実だ」というタイプの人も中にはいるでしょう。言い方は悪いですが、今回は自らが起こした事故で、デマで叩かれるのが基本的に本人と周辺、マスコミというザックリした括りぐらいなのでマシなものですが、上記のように無関係のものが巻き込まれるデマというのは当然存在します。上級国民デマで騒いで、指摘されても聞きもしない、という人は、当然ながらこうしたデマにも同様に乗っかって、指摘されても聞かずに攻撃を続ける可能性が、デマを信じない人よりは高いと考えられます。

 長々と3記事に渡って書いてきてみなさんに必ず伝えたいことの1つがこれで、犯罪者だから少々間違ってても悪者だし構わないだろう、なんてのは既に問題ですし、俺は騙されてない、これは事実だ、と指摘を突っぱねだして間違いを認め無くなったらかなり危険だと思います。人間間違うことも知らずに騙されることもありますが、間違えたら失敗を認めることが大事です。

 

 これは余談ですが、上級国民がどうのと騒いで過剰にネット上で叩く、『私刑』などとも呼ばれる行為を加速させると、裁判において『一定の社会的制裁を受けている』として、減刑される可能性が否定できません。本件においてそうした判断が下されるかは分かりませんし、後述しますがそもそも実刑判決が出たとして執行されるのか不透明な部分もありますが、参考までに。

 

・すぐに物事を敵味方に分けるのはやめましょう

 

 過去2回で書いてきたような内容、Twitterやニュースサイトのコメント欄でも同じように「それはデマですよ」と書いている人もいるのですが、驚くことに高評価ボタンをはるかに上回る低評価ボタンが押されています。そして、場合によっては「犯罪者を擁護するのか」という返信がついています。おそらくこの記事を読んで同じ行動に出る人も残念ながらいると思われますが、一体どこでいつ擁護したんでしょうか?文章を読んでいない、理解していない、そもそも読もうという気が無く攻撃する意図しかない、としか思えません。

 この件に限ったことではないですが、最近非常に多いと感じるのが、自分の意見と違う→敵である、という風潮です。最近たまたま見つけて一番驚いたのは、やはりデマ指摘をした人に対して、要約すると「飯塚が自分を擁護するために雇ったバイトの擁護コメントだ」といった内容でした。妄想もここまで来るともう救いようが無いなと感じましたが、このように、事実であるかどうかよりも自分が信じたいかどうかを優先し、あまつさえ、自分の考えと違うものは敵視して話を聞こうとしないのです。

 

 最近は政治の世界において、国のトップが意図的にこうした行動をとっている様子すら見て取れますが、極めて危険です。賛否のあるもので意見が分かれるのと、事実でないものを事実だと言い張ったり、自分の意見だけが正しくてあとのやつはおかしい、と考えるのは全く別問題です。

 

 今回の件で非常に多くの人が同様の傾向に走った要因として1つ個人的に感じたのは、政治的スタンスの異なる人が結果的に同じ方を向いた、ということがあるのではないかと思います。

 最初の『マスコミが忖度してさん付け』の件では、元々「朝日新聞は日本の敵」「中韓の手先」といった陰謀論の類いを繰り返すような人たちがターゲットと考えられるサイトで、「朝日新聞がさん付けで報道」と、言うなれば朝日新聞だけがおかしいことをしているかのような『印象操作』の記事を投稿していました。こうした人たちは傾向として、現在の政権を支持し、支持しない者やメディアを敵視して攻撃する傾向が強いと考えられ、初期のデマの拡散にも関係したと考えられます。

 

 一方で、上記の通り「被疑者の息子は安倍 晋三の秘書」「元官僚で安倍の友達だから逮捕されない」といったコメントも多く目にしました。逆にこうした人たちは、安倍政権での公文書改ざん等の様々な出来事から「政権は何でも都合の悪いものを隠し、マスコミもそれを追認している」と考えて、とにかく安倍が悪いというネタを一生懸命探してい広めようとしていると考えられます。

 

 どちらも既にかなり道を外れてしまっている状態、デマ指摘を『バイト呼ばわり』する人と同じ状態で危ないと思いますが、とりあえず話の範囲外なのでそれは横に置くとして、こうした政治的スタンスで言えば真逆、本来ならSNS上などで罵り合っているであろう人たちが、結果的に「マスコミ不信」という点で、意味合いは真逆なのに結託したような形になり、普段なら片方のコミュニティーで広まる情報が両方で広まったため、余計に大きく広がったのではないか、と想像します。

(ちなみに、上級国民はデマだ、とすごく冷静な口調で書いていながら、別の場所で政権に批判的なコメントをした人に対して「工作員」「反日」と別人のようなトーンで書いている人もいました。当然ながら、上記は大まかに分かりやすく書いた類型であり、全てこのどちらかに属するものではありません)

 

 いずれのケースの方でも、『上級国民はデマだ』と指摘すると、「朝日新聞に味方している」「安倍政権に味方している」といった感じで、「自分から見て敵である」という考えてしまい、攻撃的な反論や嘲笑と言った行動に走りやすいように思います。敵味方の二元論は、とにかく敵とするものを攻撃しておいて、自分は同じ意見の人と仲良くしておけば良いので気楽なのかもしれませんが、放っておくとどんどん人の話を聞かなくなったり、その内容次第ではカルト化してしまう可能性もあります。

 

 デマを広げるのが危ないものである、ということの次に心がけていただきたいのが、物事を敵味方に分けて単純化してはいけない、ということです。さらに言えば、この2つが混ざって大規模に膨れ上がるとどうなるか、ということで、それは最悪戦争にもつながりかねません。

 

・問題は切り分けて考えましょう

 

 今回の件では、騒動が大きくなった根本的問題点として、これまでに築き上げられてきたマスコミや刑事司法、政治に対する不信というものがあるのは間違いありません。もちろんそれは私も思います。ですが、それはデマを広めて良いことにはなりません。

 これもまた傾向として感じることですが、何か物事が起こった際に、問題点を切り分けて考えられず、何もかもひっくるめて批判や侮辱をしたり、あるいは「疑われるようなことを過去にしているんだからデマぐらい流されても仕方ない」といった全く的を射ていない開き直りをする人も増えているように思います。

 

 問題の切り分け、というのは、パソコンなんかの調子が悪いときに、どこが原因、何をきっかけにそうなったのか知る時によく使う言葉ですが、例えばPS4を起動したけどサインインできなくてGT SPORTで遊べない、てなことがあったとしましょう。実は原因は使い古したLANケーブルだったとして、切り分けて色々順番に考えて行けば解決できたかもしれないし、分からなくて人に聞くこともあるかもしれません。

 しかしそれらをすっ飛ばして、「PS4が壊れた!ソニーが不良品を売っている!」「GT SPORTの容量が大きすぎてPS4が壊れた!ポリフォ死ね!」とか騒ぎだしたらどうでしょうか?そして、間違いを指摘されて「でもソニー製品はよく壊れるからそれぐらい言われても仕方ない」「GTはバグが多いんだから疑われて当然」などと言われたらどうでしょう?とりわけ社員側の立場で考えたら、こんなデマ許せるわけがないですよね。

 荒唐無稽で普通はこんな話相手にしないと思いますが、現実には、例えばネット上で「在日朝鮮人の生活保護2兆3000億円」などという荒唐無稽なデマが何度も拡散されています。いいねや賛同コメント数が増えたり、たまたまフォロワーが多い人が広めたりすると、荒唐無稽なものでも鵜呑みにする人が現れてどんどん広まり、挙句の果てにまるで事実かのように扱われ始めるのです。

 

 話がまたデマの方に戻りましたが、物事を考える際には筋道を立てて、何が問題で、何は問題で無いのか、きちんと整理する必要があります。ましてや、SNSなんかの場合少ない文字数しか使えず、場合によってはものの数分で広まるわけですから、投稿に際してはじゅうぶん考える必要があります。何を問わず、問題点が何かしっかり考える、ということは大事です。

 

・"免許"という意味を今一度考えてみましょう

 

 今回の事故、被害状況から考えれば、実刑判決の可能性がありますが、仮に実刑判決が出ても刑が執行されない可能性が指摘されています。刑事訴訟法第482条に、刑の執行停止に関する規定があり、その中で70歳以上の場合に執行停止の理由に該当すると規定されています。もちろん、70歳以上は執行しない、という規定ではないですが、裁判が結審するころにさらに年齢を重ねている可能性がある被告に対しては、その可能性が指摘されています。

 

 そうすると出て来るのが「だったら高齢者は人を撥ねても実質何の罰も受けないのか」という声であり、そして「だったら高齢者に車を運転させるな」というものです。これに関しては、私も重要な点であると思います。

 

 池袋暴走事故から約2か月後、本人立ち合いでの実況見分が行われた、というニュースに際し、杖をついてゆっくりと歩く被疑者の姿を見て「こんな状態で運転するなんておかしい!」という声が多くありました。実際は、90近い高齢者が一か月も入院すれば足腰が弱っても不思議ではないので、事故前からこの状況だったのかは分かりません。ですので、この映像だけで「車を運転できるような状態では無かった」とするのは根拠に乏しいと思います。しかしながら、医師から運転を控えるよう言われていたとされること、実際に事故を起こしたことからも、運転をするだけの状況ではなったのではないか?と考えるのは当然だと思います。

 

 ここでまたそもそも論ですが(私こういうの多いんです)、『免許』というものは、本来は使用してはいけないものを、特別に使用することを許可するために与えらえるものです。そのために、運転免許でも難しい試験やらなんやらをこなして、自動車を使用する許可を貰っているわけです。

 しかしながら、今の制度では基本的に貰ってしまうと、高齢になって身体や認知機能が低下しても、基本的に免許は保有し続けることができます。近年は免許更新の際の検査や講習が追加されてややハードルが上がり、また高齢者の事故が相次いだことで自主返納する人も増加傾向ではありますが、基本は変わりません。

 

 しかしながら、かなり判断力が落ちている人に対して、本当に「本来使ってはいけないものを特別に使用できる許可」を与えて良いものか、というのは私は中学生の頃から疑問点です。運転免許というのは、日本では保有率がおおよそ75%と大多数の人が持っているもので、ある種『持っていて当たり前』みたいな印象を受けてしまいますが、みんなが持っているからお手軽な存在になるわけでは、本来はないはずです。

 自動車運転は『一歩間違えば簡単に他人の命を奪いかねないもの』です。自動車運転による事故が過失とされるのは、簡単に言えば「人間はミスするものである」という考えによるものですが、ミスする可能性が客観的に見て高いと考えられる人が、そうでない人と同様の立場で免許を保有することが当たり前で本当に良いのか、既に議論になっているものではありますが、考えるべき点ではあると思います。

 

 ただ、これって高齢者に限った問題ではないく、いわゆるペーパー ドライバーと呼ばれる人も該当する可能性があります。また、例えば、横断歩道を高齢者がゆっくりと横断しているのに、ホーンを鳴らして威嚇したり、あるいは加速して相手がこちらの車線まで渡ってくる前に猛スピードで先に通過しようとする、こういったドライバーも、免許を持つにふさわしいとは私には到底思えません。もちろん、荒っぽい人とペーパードライバーと高齢者ではそれぞれ事情が異なるので別々に考える話ではありますが、高齢者だけが自動車で社会に危険を与えているわけではないと思います。免許を持つすべての人は、免許とはいったいどういうものなのか、その意味を理解した上で自動車を運転していただきたいと思います。

 

 そしてもう1つ、今回の事故は首都圏のど真ん中ですので、お金さえあれば代替の交通手段はいくらでも手に入ったと思います。しかし、自動車が必須であるような地方や農家の方など、安易に免許をはく奪すれば、生活に重大な影響を受けてしまう人がいるのも事実です。安全性を鑑みれば、個人の事情よりも免許不交付が確実かもしれませんが、そうした方々に生活における代替手段は用意する必要があると思います。

 民間でできて事業として成り立つなら新たなビジネスも生まれて一石二鳥ですが、実際は儲からないから誰もそんなことしない、というのが大抵の場合は現実で、税金を投入することになるというのは想像に難くありません。つまり、高齢者には運転させるな、という流れを受け入れるには、同時に、我々は税金を払ってそれらの人々のインフラ整備に寄与しなければならない、ということになってくると思います。

 高齢者だけの問題ではなく、みんなで考えなければいけない問題だと思うので、誰もが当事者意識を持たないといけないと個人的には思います。

 

 大変長くなりましたが、今回の事故には、デマ、誤解、社会の分断等々、事故そのもの以外に、私たちが考えておくべき大事な物事が、結果的にではありますが含まれた出来事だと思います。被告を許せない、という思いを持つのは当然でしょうしそれは構わないと思いますが、デマや陰謀論に傾倒したり、敵とみなしたものを攻撃したり、そういった本来起こるべきではない問題で被害を拡大させることがないように、もちろん私自身も気を付けないといけません。長文を最後まで読んでくださった方、何人いるか分かりませんが、ありがとうございました。