おはようございます。心屋智子です。



先日、質問をもらったので


かいてみます。



「守られるっていう気持ちはどんな感じなのか知りたい。」



「誰かのためには力を発揮できるんだけど


守られてる側ってどういう気持ちなのだろう」




どんな気持ちになるのか、というのは


その人個人個人の内側で起こることだから


自分が体験しない限り


それは「イメージ」でしかありません。


イメージは、ときどき


「理想」や「期待」となって、自分を縛る材料にもなりますので


仲良く付き合ってく前提で。(*^。^*)





大大前提として


わたしたちは、みんな、どんなひとも


守られて生きています。



日本国民として


国に守られてる。(ぜんぶじゃなくてもね。)



社会の法制度に守られてる。



誰も法を守らなかったら


赤信号でも止まらないし、裸で歩いている人がいっぱいいることになる。



いま所属している社会に


守られています。



家族や友達や会社の人にも


たくさん守ってもらっている。



目に見えない神様にも


守ってもらっているだろうし



守られまくりです。(笑)


自覚がないだけで(笑)





まずは、そういう自分の現状を


頭で理解して


「守られてるんだなあ、私」という目で見てみるのがひとつですね。




つまり、守られてる感じを自覚できるときは



空気みたいに当たり前にそこにあるものが


とてもありがたく、たいせつに感じる



そういう感覚もあるかもしれません。






あとはね


自分が弱くて弱くてダメダメなとき


人に弱さを見せられたとき



守られてるんだなーって


思えたりします。





こんなダメダメな自分でも


「そこにいていいんです」ってことです。






人に弱さを見せられない人は


なかなか、「守られてる」感じは分からないかもね。




人に弱さを見せることは


自分も


人も


信頼していないと


なかなかできないようです。





「相手を守ることはできるのに」って言っていたけど


実はその相手に


「実は自分も守られている」んですよ。




そういう目で


その相手のことや


自分の周りのことを


見てみてほしい。



自分がいま見えている世界は


ほんとうにほんとうに


小さな一部分でしかないのです。




新しい、違った世界が確実に、そこに広がっています。


それに気づくことができます。




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