10日ほど前から、また父が入院しています。私は相変わらず、息子(名古屋)

 

と夫(新城)と父(病院)と母(実家・遠江)の間を行ったり来たりで、正直なとこ

 

ろ体がきつくて、いったいいつまで続くのだろうと、台風の近づく空を眺めなが

 

ら思わず溜息が出ています。

 

 

祖母の生前から数えると、入院騒ぎはもう何度目でしょうか。救急車のお世話

 

になったのだけでも、すでに5回目です。家族のことで苦労の絶えなかった母

 

はよく、自分には何かバチが当たっているのだと言います。

 

「そんなことではないよ。それに、なんとか乗り越えてこられたんだから、そんな

 

に悪くはないじゃないの」と母に笑いかけながら、私もふと、(前世で私は何か

 

悪いことでもしたんだろうか?)と思ってしまうことがあります。

 

でも、そんなはずはないですよね。この世界はもともと非情で、ちょっとした偶

 

然の組み合わせで、とってもいい人がとんでもない苦しみを背負っていたりす

 

るものです。生きているとは、もともと苦界にいるということなのでしょう。

 

ですから、苦を気にしていてもしかたがありません。もし神様というようなもの

 

がいるとすれば、神様はきっと、この苦界の中から何か光あるものを、自分に

 

しか見つけられない光を見つけ出しなさい、と言っているような気がします。

 

 

そのほんの小さな、ささやかな光は、このごろでは茗荷と紫蘇の実にありまし

 

た。え!茗荷と紫蘇の実? そんなものが光? と思われた方、いらっしゃる

 

のではないですか?  そうですよ。光というのは大げさなものじゃないんで

 

す。光は雨上がりの草花につく水滴のように、いろんな所にほんの少しずつ隠

 

れているものなんです。それは私がここまで生きてきてやっと分かった、数少

 

ないことのうちの一つです。小さな不幸の偶然が重なって悲劇を生むように、

 

ささやかな光がたくさん集まって、自分の周りを明るく温かく包んでくれるので

 

す。

 

 

私の実家は農家でした。今は母が家で食べるだけの野菜を作っていますが、

 

いつの頃に植えたものか分からない茗荷と紫蘇が、何の世話もしないのに毎

 

年勝手に生えてきてくれます。病院通いの間を縫って、その茗荷を先日母と一

 

緒に収穫しました。それを250グラムずつ小袋に入れて、一袋100円で直売場

 

に出すのです。あの『沙羅と明日香の夏』に登場した直売場です。老いてすっ

 

かり愚痴や弱音ばかりになった母ですが、畑仕事が好きで、畑で育った野菜

 

が可愛くてしかたのない母は、その茗荷採りの間中、実に朗らかで、きびきび

 

と私を指導してくれて、若い私の倍以上も収穫するという達者な働きぶりでし

 

た。(私、畑仕事って苦手なんですよね 

 

それを直売場に並べると、まだ並べ終わらないうちに車から降りてきたお客さ

 

んが、「お!茗荷だ!」と近寄ってきて、その奥さんらしき人が、「これで100円!

 

」と驚きの声をあげました。母は嬉しそうに、「今朝採ってきたばっかりですよ」

 

と笑顔で言い、「そうでしょう。見れば分かります。いい茗荷ですねえ」と言われ

 

ると、「そうですか?」と満面の笑顔に。ああその顔!その顔が私の光です。

 

私の心はその瞬間ぽっと明るく温かくなりました。

 

 

紫蘇の実もたくさんありますが、もう力尽きたので出荷はやめ、家で母とふたり

 

だけで食べることにしました。つゆの素に一晩漬けておくだけで、とっても美味

 

しいご飯のふりかけになります。その紫蘇の実の摘み方や漬け方にも母流の

 

コツがあって、それを私に伝授しようとする母の生き生きしていることといった

 

ら! 実は何度も 「ダメ、ダメ、そうじゃない」とか「これでいいのに」といった言

 

い合いがあったのですが、その時の母の生き生きの中にも、私は光を見た思

 

いがしました。

 

 

父の命の蝋燭がずいぶん短くなって、遠からず消えようとしています。母は一人

 

で父を看ていると、どうしても鬱気味になってきます。来し方を振り返って後悔と

 

愚痴ばかりに。行く末を想像して不安と恐怖に駆られ。

 

そんな母に日々接している私も、暗澹とした気分に落ち込むことがあります。そ

 

れでも母にも光はあったのです。その光を目にすることが、私の光です。

 

 

茗荷も紫蘇の実も癖の強いやつなので、十人好きはしないかもしれませんが、

 

嵌る人は嵌る味です。うちの家族はみんな、と~っても美味しい!と言っていま

 

す。皆様もお試しあれ。