ここ数日雨がちな日が続いて、私は、書物の世界に耽溺しています。
センプルン、リカドゥ、ファイユ、ボーボワール、べルジュ、サルトル・・・各々が勝手
勝手な文学論を展開するのが面白くて、彼らの言葉の意味するところをできるだけ
正確に辿ろうとしてみたり、それらに同意したり、疑問を投げかけたり、彼らの言
葉を私自身の言葉に置き換えてみたりすることで、私自身の文学観を彫琢している
わけですが、一人でそんなことばかりしていますと、なんだかこの世には自分と書
物の中の人以外には誰もいないような、妙な気分になってきます。
窓の外の物音も、出来事も、すべて雨の底に沈んでしまって、ただこの部屋の中だ
けがあって、途方もなく深い言葉の森と化したこの部屋の中で、今はもう過去とな
った人々と向かい合っている自分がいる。それだけが自分の現実で、向かい合って
いる書物の中の人々だけが、私の現実の中で真に生きて、私に向かって喋っている
のです。
吉田兼好が、「あやしうこそものぐるほしけれ」 と表現したのも、こんな心境のことか
もしれません。
さて、そろそろ雨も上がりそうです。いったん言葉の森から出ていくことにしましょう
か。
センプルン、リカドゥ、ファイユ、ボーボワール、べルジュ、サルトル・・・各々が勝手
勝手な文学論を展開するのが面白くて、彼らの言葉の意味するところをできるだけ
正確に辿ろうとしてみたり、それらに同意したり、疑問を投げかけたり、彼らの言
葉を私自身の言葉に置き換えてみたりすることで、私自身の文学観を彫琢している
わけですが、一人でそんなことばかりしていますと、なんだかこの世には自分と書
物の中の人以外には誰もいないような、妙な気分になってきます。
窓の外の物音も、出来事も、すべて雨の底に沈んでしまって、ただこの部屋の中だ
けがあって、途方もなく深い言葉の森と化したこの部屋の中で、今はもう過去とな
った人々と向かい合っている自分がいる。それだけが自分の現実で、向かい合って
いる書物の中の人々だけが、私の現実の中で真に生きて、私に向かって喋っている
のです。
吉田兼好が、「あやしうこそものぐるほしけれ」 と表現したのも、こんな心境のことか
もしれません。
さて、そろそろ雨も上がりそうです。いったん言葉の森から出ていくことにしましょう
か。