4月15日(水)


日付は前後しますが。


日本に帰っていた2年の間で、もっとも嬉しい出来事のひとつに、小学校時代の同窓生たちとの再会がありました。年がばれちゃうけれど、故郷の町には厄年の男子がふんどしひとつで川に飛び込む祭事があって、これがきっかけで同窓会が立ち上がりました。scamamは、中学生の時に転校してしまったので、ずっと長い間疎遠になっていたのですが、細い手がかりをたどって知らせてくださった方がいて、何十年ぶりに懐かしい人々との再会を果たすことが出来たのです。その後も、ブログを管理してくれる人がいて、飲み会などいろいろ盛んな様子、アメリカに来てからも連絡を取り合っています。


ある日、突然メールが(メールはいつも突然ですが)、届きました。当時住んでいたマンションの隣にいた男の子(当時は)からです。日本にいる間に行われた同窓会では会えなかったけれど、その後の飲み会に参加して、scamamがこちらに来ていることを知ったのだとか、今度出張でコネチカットからニュージャージーに抜けるから寄ってもいいか、という内容です。隣同士だったとはいえ、ほんの一時期だったし、男子と女子、特に彼は中学校に入ってからはラグビー一筋ですごく忙しそうだったから、特別の交流があったわけではありません。記憶に残る彼は、日焼けして小柄ですばしこく走り回っていた人懐こい顔だけです。彼は、その後花園にも行ったんだったっけ。

一体どんな話をしたらいいのだろう、遠路はるばる来てくれるのだからと、ドキドキしてお待ちしていました。同僚も4人一緒だからよろしく、とは聞いていましたが、ピンポーンとなってドアを開けてみると、そこには山のような大男のアメリカ人が二人、その陰からひょいと彼と彼の日本人の同僚2人が顔を出しました。そういう訳で30年ぶりの再会は英語と日本語が入り交ざった奇妙なものになりました。でも、そのおかげで少し恥ずかしさが紛れたかな。大して覚えていないようで、顔を見合わせてみるといろんなことを思い出し、お互いの家族の消息など、きりがありませんでした。お互いすごくエネルギッシュな母親を持っていましたが、二人ともずいぶん前に亡くなったと知らせあってびっくりもしました。あの二人、草葉の陰で子供たちがこんなところで再会を果たしていると知ってどんな話をしているのでしょう。顔を見てみたいものです。


ほんの30分ほどで彼らは風のように去っていきましたけれども、何だかほんのり温かいものが残って、嬉しい訪問でした。


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5月7日(木)


今回は、太郎君の療育に関するお話。


3月から、太郎君は土曜日にH先生という日本人のコミュニケーション・セラピストの所に通い始めました。H先生は1960年代にアメリカに留学されてから、臨床教育一筋、引退後は海外生活でストレスを抱える日本人の子供たちや、太郎君のようにハンディを持つ子供たちのセラピストとして活躍されていて、このあたりでは知る人ぞ知る有名人です。太郎君のお友達のY君のママから紹介を受けました。Y君のママは、日本に帰ればバリバリのキャリアウーマンですが、H先生の厳しい指導に泣かされることも多いのだとか。ドキドキのスタートです。

とはいうものの、scamamは土曜日は花子ちゃん担当なので初日はパパが太郎君を連れて行ってくれました。ところが、太郎君、1時間の間、なかなか先生に心を開こうとせず、パパのお膝から離れられなかったのだとか。散々だった、とパパはがっかりして帰宅しました。太郎君にとっては、カリフォルニアのジョニーと同じく、にっこりする笑顔に「かわいい!」と反応してくれない数少ない年配女性の一人だったらしく、ずいぶんへそを曲げた様子。そんなんじゃ、セラピーにならないわ、と、翌週はscamamもついて行くことにしました。

2週目は、比較的すんなりとH先生の前の席に座った太郎君ですが、そのあとが大変でした。H先生が示すカードにちゃんとした反応をしません。カードには絵とその名称がひらがなで書いてあって、scamamが家で見せれば自慢そうに読み上げてくれるのに、H先生がいくらやっても、{あ~」とか「う~」とか全然関係のない音を発し、最後には「ちがう!」「ちがう!」を繰り返すようになりました。H先生は、「お母さん、これは戦いですよ。太郎君は私を試していますからね。私は負けませんっ!」と、太郎君の肩を両手でむんずとつかみ、「太郎君、何が違いますか。違いませんよっ。」と揺さぶります。太郎君は、「ちがう」というのを止めましたが、今度はぷいっと横を向いたままふんぞり返ります。わが息子のこんな反抗的な態度を見たのはこれがはじめて。反抗的な横顔が妙に大人っぽく、男っぽくって、あれっ、かわいい、かわいい、って言ってたけどこんな一面もあるんだと驚きました。先生は、「これだけ反抗していても、太郎君は席を立ちませんね。やらなきゃいけないことはわかっているんですよ。」と徹底的に付き合います。1時間近く反抗し続けた太郎君は、最後に熊さんのクッキーをもらって機嫌を直し、大好きな恐竜のカードを「きょおーりゅー」と読んでウァッと泣き出して、先生に抱っこしてもらって終わりました。先生は勝利の満足顔です。すばらしいお手並みでした。そして、今まで、我が家がいかに太郎君を赤ちゃん扱いしてきたか、またその場しのぎの対応をしてきたかについて、厳しいご指導がありました。

翌週からは、太郎君は打って変わって優等生。飲み込みが早い、こういう子にはどんどんやらせなければいけないのに親がやることをやっていないと、また厳しいお叱りがありました。

太郎君にも、花子ちゃんにとってのG先生のような先生が見つかってよかった。scamamは泣きませんよ。G先生に叱られ慣れていますから。


太郎君には、もう一人新しい先生が現れました。特別支援学級の担任の先生が一人入れ替わったのです。今度の先生は日本で最先端を行く療育カリキュラムが整備されていると定評のある学区からいらっしゃいました。どんな先生かとわくわくドキドキで授業参観に伺いました。太郎君は、認知能力の問題から言葉の発達が遅れていますが、言葉の発達を刺激する方法として、カリフォルニア時代にはicon(絵カード)、日本では望み発達クリニックでマカトン法という手話が使われていました。そして今いる東海岸の街のスピーチセラピーでもやはりiconが使われています。iconも手話も、対象物を抽象化することによって言葉への転換を促すという意味で、目的は同じ、でも、日本で3ヶ月通った小学校でも、こちらの特別支援学級でも日本の学校の先生たちは、このような手段をお使いになっていませんでした。そこで、街のスピーチセラピストがiconを山ほど作ってくれて、これを日本の学校でも使うように、と持たせてくれたのですが、その使用方法についてまた最初からお話しなければいけない、ご理解いただけるだろうか、と少し不安もありました。ところが、びっくり、新しい先生は、自前のiconをリングで束にしたものを片手に握り、小気味のいいタイミングでそのiconによる指示を出していきます。iconはものの名称だけでなく、「座る」とか「書く」とか「読む」といった動作もとても抽象的な図柄にされているのですが、ローカルのスピーチセラピストが用意したものと酷似したものを使っていらっしゃいます。さらに、iconと同時に手話もお使いになっている!そして、scamamが話し出す前に、「お母さん、手話もカードもね、目的は同じですからね、僕は両方使うんですよ!」って。こんな先生もいるんだ、って、涙ちょちょぎりそうになりました。その後いろいろとお話していると、そのご見識、ご経験とも敬服するものばかり。この先生をこれから2年間、太郎君はほぼ独占できるのかと思うと、天にも昇る気持ちになりました。見た目は日に焼けて遊び人、って感じなんだけどね。ただひとつ問題というほど困ったことではないのですがしいて問題といえば、字が・・・。アメリカ人のセラピストはとても勉強家でインターネットで太郎君のために五十音表を入手して太郎君のhand writingをトレーニングしてくれているのですが、彼女が新任先生の自筆による教材を見て、これはひらがなとは違う字か、と怪訝そうな顔をし何とかしてくれ、と助けを求められました。うん、そんなことは、太郎君はちっともお構いなしだけどね。


太郎君は、この春、良い先生を二人も得て、躍進、乞ご期待!

5月6日(木)


今週は、太郎君がお熱を出して、今日で3日家にいます。こんなときでも、パパはカリフォルニア出張。仕事があるっていいなぁ、と羨ましいです。こういうときには、子供が熱を出す度に、どうしのぐか きりきりしていた共働き時代を思い出します。熱を出した子供を誰かに預けて外に出る、ということ、もうできないなぁ。「こんなことは年に数回!」と歯をくいしばって凌いだ経験のある自分でさえ思うのだから、外で働いたことのない義母が「かわいそう」と涙ぐんだのも、今になってはよくわかります。それにしても専業主婦は、辛抱強くてえらいな。こうして、家族に何かあったときのために常にスタンバイしているのだから。専業主婦はカリフォルニア時代を入れればこれで3年目ですが、まだまだ覚悟が定まりません。まあ、ともかく有り余る時間があるので、アップデイトのチャンスです。


さて、3学期(4月~6月)まで、花子ちゃん達5th graderはCapstone Projectに取り組んでいます。これは、小学校6年間(kinder~5th)までの総まとめ的プロジェクトで、子供たちはそれぞれ自分の関心のあるテーマを選びリサーチをしてまとめ、発表します。学校から親あてに来た"Capstone Project Overview"というパケットから引用すると;

The final project of the elementary social studies curriculum is known as The Capstone Inquiry Research Project. In the course of exploring the Capstone Project, fifth grade students gather together the computer, study, abd research skills that they have learned throughtout elementary school to create a research project of their own design. Students are quided through the research and design process with the help of their classroom teachers, school librarioans, computer staff and other building and district professionals. They are taught to use "The Big 6" process which is a proven tool to aide elementary students in the successful conduct of independent research.


Capstoneのネーミングのもとはこれ。
米国東海岸子連れ生活日記

この屋根の部分がcapstoneで、keystoneとも言うのだそうです。この石は、その下の垂直にたっている石達を自分の重みとデザインでしっかりと支えている、

このことから伝統的にcapstoneは、"completeness"、""prominence"及び"glory"のシンボルである。教育はしばしばしば、建築の過程にたとえられるが、その意味で、それぞれの子供にとっての教育上のcapstoneとは、"culminating event"或いは"crowning achivement"である、という説明が添えられています。日本でいう「自由研究」ですが、こんな風に説明されるとすごく意味のあるものに感じられます。


定義の中に出てきたBig 6 プロセスとは、

Task1 Define the topic and scope of independent study

Task2 Rsearch possible cources of information

Task3 Locate information sources

Task4 Gather information

Task5 Organize information from multiple sources

Task6 Evaluate, reflect and present


全てのステップにparentsはしっかり関わり子供をsupportするように、というお達しもついていました。


さて、花子ちゃんはどんな課題を選んだのでしょうか。


その前に、immigrant projectでの苦い経験があります。日系アメリカ人について没頭した花子ちゃんについては以前にも書きましたが 、最後のまとめの段階になって、「書くことが多すぎる。どうまとめたらいいかわからない。」と泣きが入りました。ちょうど、G先生の課題が自由題のエッセーだったこともあって、「それじゃあ、日本語でエッセーを書いてみて、それを訳してみたら。」と浅はかなアドバイスをしてしまったのが間違いでした。花子ちゃんは、日本語で延々とエッセーを書きあげた後、それをコツコツと辞書やウィキペディアやその他もろもろ資料を参考にして訳し上げました。それなのに、完成したレポートを見た担任の先生から、「これは誰か他の人が書いたに違いない。」って物言いが付きました。レポートの最初(日系移民を選んだ理由)と最後(感想)の部分はハナコの言葉で書いているけれど、レポートの中に、"industrialized"や"California Alien Land Law"等の"big words"がたくさん出てくるからだというのです。驚いて、廊下に貼ってあるレポートの中から花子ちゃんの分を探し出し、初めて花子ちゃんのレポートを読んでみました。アメリカ人の子供よりも長いレポートです。3単元のSも抜けまくり、時制の一致なんかも相変わらず、めちゃくちゃ。それでも、花子ちゃんの日系移民への熱い思いが伝わってscamamはこの英語でよくもここまで、と涙ぐんでしまいました。先生がこの英語を親が書いたと思っているのなら、よっぽど親の英語が見くびられているんだわ、やっぱり会話能力ひどすぎるのかしら、なんて思ったりもして。大事件なので、パパも含めて一体どうしてこんなことになったのか、いろいろ考えてみましたが、結局、花子ちゃんの国語能力と英語能力にものすごいギャップがあって、日本語では当然知っているbig wordsを辞書を調べて英訳した李、ウィキペディアの英文から該当する表現を借りたりすると、先生にとってはハナコの知っているはずのない言葉が出てくることになるのだ、日本語でまず書いて英語に翻訳させたことが、そもそも間違いだったという結論に至りました。もちろん、夫婦で先生に説明しに行きました。先生は理解してくれましたが、これでは英語で考えることがいつまでもできない、capstone projectでは、日本語の資料をたくさん読まなければいけないトピックスは避けるように、というアドバイスを受けました。


花子ちゃんは、クラスでジャパン・バッシング を受けた経験から、日本とアメリカのことをもっと知って日本の良いところをアメリカ人に知らせる、ということをミッションにしているらしく(日系移民レポートの冒頭もこれから始まっていました)、今回のプロジェクトは「憲法9条」で行く、と息巻いていたものですから、課題の選択も最初からやり直しです。「じゃあさ、アメリカ人から見た日本人の姿の移り変わり」とかにしてみたら、なんて、あくまで米日にこだわったアドバイスをしていましたが、花子ちゃんの最終決定にびっくり。「マヤ文明は何故滅びたか。」なんだそうです。カンクン旅行の時に見たチェチェン・イッツァの技術の高さに感動したのだけれど、何故簡単にスペインに負けてしまったのかを知りたい、のだそうです。正直、マヤ文明なんてscamamは何にも知らないから、学校から親が関与するように、って言われたって何にも助けられない、「あなた一人でやることになるわよ。」って脅しましたが、「いいよ。」というので、もう全て○投げでお任せすることにしました。


その後、花子ちゃんがこの課題を進めるのを見ていて、とても奥が深いことがわかってきました。マヤ文明は、古典期と後古典期、大きく二つに分かれ、古典期がいったん9世紀に滅んだあと、場所を移動して後古典期文明が再興し16世紀のスペインによる征服に至ります。9世紀の滅亡は、文明あるいは社会の成立基盤について考えさせられるポイントがいくつもあるし、スペインの征服についてはスペイン側の事情を考えればムスリム侵攻やレコンキスタまで行きつくので壮大です。いったんは、「何も助けられないわよ。」と言い放ってみたものの、口が出したくてうっとうしがられている今日この頃です。