1月16日(金)


お正月にのんびりしすぎて1週間もブログが遅れたのに、その後も次から次にやってくる行事や事件についていくのが精いっぱい、一応下書きリストに簡略は残しているものの、2週間遅れで書くと、こんな大きな事件がもはや古ぼけたものに思えてくるから、やりきれません。

世間を震撼させ、そして感動させたUSAエアの不時着事故は、15日の午後、毎日パパがわたっているJWブリッジのほんの数マイル下流で起きました。今更、それについて詳しく書いたところで何にも珍しいことは出てきません。ただただ、サレンバーガー機長の素晴らしいプロフェッショナリズムと、殆ど独自の判断で救援に駆け付けたハドソン川のフェリーの乗員や凍るようなハドソン川に半ば投げ出されたような状況でパニックにならず女性・子供を優先して粛々と避難を成し遂げた乗客たちの、それぞれの小さなリーダーシップにとても感動しました。

それにしても、鳥が航空機にぶつかる事件は2000年以降486件も起きていて、そのうち166件は緊急着陸、66件は離陸不能になったというのだから、一か月に1回以上のペースで米国内出張を繰り広げるうちのパパには他人事ではありません。正に、事故の起こった翌日のこの日、パパは同じラ・ガーディア空港からダラスに飛びだって行きました。さすがに、今朝は何年も前からかけっぱなしになっている生命保険を二人で確認しあい、それから、「落ちそうになったら母子3人元気に明るく生きていけるような遺書を書いてね。」とお願いしました。


さて、こんな大事件の翌日のThe New York Timesの一面は当然、ハドソン川に浮かぶAirbus A320の大写真で占められていました。一面のその他の記事は、イスラエルによる国連施設攻撃(まだ停戦前だったのね)、第2次緊急支援基金法案及びグアンタナモ監獄問題に対する”次期”オバマ政権の対応、そして、何と、"Japan''s Outcasts Still Wait for Society's Embrace"という記事でした。実は、前日、ブッシュがホワイトハウスで国民に向けて"final address"を行ったので、それが今朝の紙面でどう扱われるのか興味津々だったのですが、その記事はなんとようやく21面に掲載されていました。西海岸でも日本を扱う新聞記事はとても少なくて、アメリカにとって日本なんて大した存在じゃないってことを実感したのですが、東海岸では、更に日本を取り扱う記事なんてめったに載りません。それが、こんな大きな事件のあった翌日に、しかも、曲がりなりにも大統領を8年も務めたブッシュを押し分けてまで、一面を飾ったその内容とは・・・。勢い込んで読み始めてがく然としました。


この記事 は、もし野中広務氏がトップ・リーダーになっていたら、アメリカで黒人大統領が実現したのと同じくらい画期的なことだっただろう、被差別部落出身者である野中氏は様々な社会的差別を受けてきたにもかかわらず、2001年時点では最も首相の地位に近い位置にいたのだが、それを快く思わない政敵がいなかったわけではない、その一人、日本の典型的な支配階級出身で現首相の麻生太郎は当時密室で「そのような人物を日本のリーダーにしてよいのだろうか。」と発言し、その発言がリークされて物議を醸している。結局、野中氏は、内閣官房長官まで上り詰めたが、"a class of outcasts"の出身であるために、それ以上のポストへの道はブロックされた、と書いています。そして、日本での被差別部落の発祥について丁寧に説明し、同和運動をアメリカでの公民権運動になぞらえて説明しています。そして、何人かの"buraku"出身者の、麻生首相に対する怒りのコメントや、いつかは"buraku"出身の首相が出現する可能性もあるという希望のコメントを紹介して結んでいます。小渕内閣の閣僚写真と野中氏のアップの写真付きで8面にジャンプするというなかなかおおがかりな記事でした。内容は、かなり断定的、誇張的で、アメリカ人が読めば全てをこのまま信じ込んでしまいそうです。


驚くことに、writerは明らかなる日本名。この方、この時期に何の目的でこの記事を書かれたのでしょうか。きっと庶民にはわからない壮大な背景があってのことだとは思うのですが、このNew York Timesがアメリカの小学校で毎日教材として使われて10歳、11歳の多感な子どもたちが何か面白い記事はないかと躍起になって探していること、そして、そのクラスには、時には、何人かの日本人の子供もいて、太平洋戦争の責任まで背負って戦っているんだってこと、彼の頭の中には絶対にないよなぁ。

別に臭いものにふたをするつもりはないので、social studiesでdiscriminationの話が出てきたときには、日本にもアイヌ問題や部落問題があることは花子ちゃんに話しています。だから、インディアンの迫害について説明していたESLのおばあちゃんチューターが「こういう悪いことをしたのはアメリカ人だけじゃあないんだよ。日本人もやっていたんだよ。」と意地悪を言った時も花子ちゃんは平然と、「知っています。アイヌ問題でしょ。」って言ってのけました。そのおばあちゃんとはそのレッスンで終わりにしましたけれど。

でも、日本人なのか、日系アメリカ人なのか、わからないけれど、The New York Timesの一面をとれる程の実力のあるwriterなら、日本にfavorな記事も書いてほしいです。数週間前に載った日本関連記事も確か彼の名前で、渡部氏離党で自民政権ぐらぐら、っていう内容だったと思う。一面じゃなかったけれど。


それにしても、ブッシュの扱いは露骨です。寂しいそうな後姿で歩き去る写真と、今では馴染み深いあの薄ら〇カ笑いで取り巻きと握手する写真。やったことがどんなんにお粗末でも、とにかく8年間も、病気にもならず、政権を投げ出さなかったのは、同じ二世政治家でも随分違う、大したものだと思っていましたので、アメリカ人も去りゆく老兵にはそれなりに礼を尽くして送り出すのかと思っていましたが、やはりブッシュは本当に嫌われ者なんだなぁ、と実感した次第です。

1月15日(木)


Singapore Math については、その後特に大きな動きはなく、どうしているのかな、と思っていたら、今日はNJの"プロフェッサー"が視察に来たのだそうです。どういうバックグラウンドの方かはわかりません。ただ花子ちゃんから”プロフェッサー”と聞いただけです。でも、校長先生が妙に神妙な顔でクラシック・カフェにまでアテンドしていました。一日かけてあちらこちらの教室をまわったようです。

花子ちゃんのクラスにやってきたときには、

「ケンは125ドル持っていましたが、2/5を使い3/5を貯金しました。彼はいくら貯金したのでしょう。」

という問題を皆に解かせたのだそうです。全員の解答を見て回った後、「良い」解き方をした3人を選んで黒板を使って説明をさせたのですが、その中に花子ちゃんが入っていたので、算数でこんな扱いを受けたことがいまだかつてない花子ちゃんは大喜びでした。花子ちゃんは、

「割合は、部分÷全体=割合で出せます。だから、部分がほしい時には、部分=全体×割合、全体が欲しい時には全体=部分÷割合、となります。この場合は、部分ですから、125X3/5です。」

と黒板に式を書きながら説明したのだそうです。プロフェッサーはとても気に入って、mathのデータベースにこの解答を載せて、皆が閲覧できるようにしてくれる、と言ったのだそうですが、これは、予習シリーズの割合の章の最初の1ページ目そのままですね。

それほどのことか、と思うのですが、本当に気に入ってくれたらしく、実はクラシック・カフェの始まる前に、入口に貼ってある出演者の写真の中で、花子ちゃんの写真がゆがんでいたので直しているところに、さっき書いたように、校長先生とscamamにとっては誰だか知らないお客様がやって来て立ち止まってしまったので、「これはうちの娘よ。今日、これから演奏するんですよ。」と申し上げたら、「おお、ハナコ、彼女を知っているよ。彼女はすごく算数が得意だね。」って言われて、そんなことがあったとは知らないscamamは、たじろいだのでした。更に、その後、念を押すように、担任の先生から花子ちゃんを通して、「プロフェッサーは、花子は算数もできるのに、ピアノもすばらしい、と言っていた、とお母さんに伝えてね。」というメッセージが伝えられました。

先生に子供が褒められれば親としては嬉しいけれど、本当にこれでいいのかねぇ、って逆に心配になってしまいました。いったい、アメリカの算数はどんなことになっているのでしょう。花子ちゃんが日本にいたとき、算数にどれだけ苦労したことか。こんな問題で「スーパー!」とか言われてしまうと、お調子者の花子ちゃんならいい気持ちになってしまうのではないかと、恐れをなすほどです。でも、そんな花子ちゃんでさえ、さすがに日本でのことは忘れていないらしく、「中学校からは日本人学校にしようかな。日本に帰るのが心配。」なんて言ったりしたので、少しはわかっているのかな、と安心しました。あっ、もちろんその後すぐに発言を撤回していましたが。


1月15日(木)


花子ちゃんがピアノのレッスンを始めたのは保育園の年長さんの時。当時はブリブリ共働きだったから、とにかくレッスンを受けさえすれば、ってな感じで、同じマンションに住む声楽の先生につきました。夜7時過ぎにバタバタと家に帰って来て夕飯を食べて、8時からのレッスン、練習もちゃんと見てあげられなかったし、声楽家の先生は音楽が好きになるのが一番、っていうポリシーだったし、花子ちゃんのピアノのいろは、はそれはもう適当に始まってしまいました。1年もしないうちにカリフォルニアに移転して、最初の一年はピアノどころではなく、2年目になって見つけた先生はアメリカのとても有名な音楽大学を出たピアノの専門家だったのだけれど、なぜだかロシア人のカバロフスキーという作曲家の、とても繊細で悲しげな曲ばかり頂いて、花子ちゃんの性格とは正反対なので、練習させるのに苦労しました。しかも、日本に帰ってついたピアノの先生には「あら、バイエルやっていないの!」って言われてぐんと後戻りしてバイエルから始めることになり、ますます花子ちゃんは気乗りしなくなっちゃいました。日本にいる間は取りあえず続けていたけれど、今回の渡米の際には、親も子もせいせいして、うん、ピアノをやめるいい機会だね、せっかくパパのサックスがあるし、NYはジャズの本場だし、これからはサックスだよね~、ときっぱりピアノに別れを告げたのでした。


花子ちゃんには内緒ですが、花子ちゃんがピアノの練習に打ち込めなかったことは完全に親の責任だと思っています(反省・・・)。でも、それでも、どんなに練習が嫌いでも、花子ちゃんは小さなころから舞台好き。こちらの学校に、月に1回、ランチタイムに、ミーティングルームで、ランチを食べに集まってくる子どもたちの前で、何人かの子どもたちが得意な演奏を披露する、という企画があるのを知った花子ちゃんは黙って見てはいられません。まずは、音楽の先生に放課後音楽室でピアノを弾かせてもらう 交渉をして(「日本から来たばっかりで家にはピアノがないんです~。ピアノがなくて寂しいです~。」と訴えたそうです)、次に、もう絶対パパだと知っているくせに、サンタさんにキーボードをお願いしてゲットしました。そして渡米直前の日本でのコンサートで弾いた「エリーゼのために」を猛特訓。とうとう、今日、クラシック・カフェで演奏するチャンスを得たのです。


何事もお祭り騒ぎの好きなアメリカ人は、こういうことの企画が本当に上手です。入口には、ジャズ・バーの入口によくあるように、演奏する子供の顔写真とプロフィールがボードに飾ってあります。この日は、特別にポップコーンとアイスクリームが観客全員にサーブされるのですが、サーブするウェイターとウェイトレスもみんながやってみたい役割で、選ばれた子どもたちはちょっぴりおしゃれして、少し気取って、「ポップコーンはいかがですか。」と各テーブルをまわります。演奏する子供のparentsが特別ゲストで招待されて、子供たちのランチ席の隣に特別席を与えられます。今日は、花子ちゃんの友達のタビーとレイチェルも演奏するので、parents席も和気あいあいです。教頭先生が、"Boys and girls!"と司会を始め、一人ひとり演奏者を前に呼んであたかもスター演奏家のように紹介してくれます。なるほどね、何回か聞く側でクラシック・カフェに参加した(もちろんウェイトレスはとっくにやってます)花子ちゃんが、指をくわえて見ているはずがないわ、と納得です。演奏自体は、間違えないようにテンポを落としすぎて、しかもいくつもミスをして、「どう、これ恥ずかしいよね。」というような出来でしたが、唯一良かったのは、間違えても平然と引き続けたところでしょうか。ラッキーなことに、日本では「エリーゼのために」はピアノを始めて数年のバイエル終わったか終らないかの子供が弾きますが、こちらでは、「ベートーベン」の「エリーゼのために」ですから、かなりピアノを一生懸命何年もやっている子供が弾く、ということ。少し、はったりがきいたかな。でも、実際に演奏を聴けばお里が知れますよね。


まあ、とにかく少々の失敗はアメリカ人も花子ちゃんもちっとも気にせず、最後は教頭先生から真紅の薔薇の花を一輪ずつ手渡されて、皆晴れやかな顔をしていました。この演奏は、学校のホームページにアップされて数年の間、おいておかれます。良い記念になりました。苦しみながらもピアノやっておいてよかったね、って、今度こそピアノと本当の「「さようなら」です。



米国東海岸子連れ生活日記