おはようございます。

 

昨日19時からブライトン×鹿島アントラーズの試合が行われた。

生粋の日本人応援人間の私はある程度ブライトンの試合を見ている。

ただ、三笘薫が出場している時だけであったが。。。

 

新潟に住んでいれば嫌でもアルビが近くにあるものだ。

アルビ自体好きではないがチケット無料が無料で配られることが多々あるので、当選したら試合観戦に行く。

というのを今年から始めた。掛かる料金は駐車料金だけだ。

個人的にいくわけではない。子供と見にいくというのを大事にしているのだ。

私は大変貧しい家庭に育ったし、片親で、母親にほぼ育てられていない。

物心がついたくらいの保育園の記憶には、母親と遊んだ記憶がないのだ。

基本日曜のみの休みだった母親は、パチンコにいく。

当然我々兄弟は放置。それが当たり前だった。

その代わりに祖母に付きっきりで構ってもらっていた。車の免許がないためいつも自転車での移動。

私が小さい時には、ママチャリの後ろに乗って足の踵を車輪に巻き込まれ血だらけになったこともある。

自転車に乗ることができたころには、歩いてはいけないくらいの公園に一緒に遊びに行った。

それも毎週。そして5年以上。朝早くに起こしてだ。

当時の私は、夜寝る時間は21時には寝ていた。起きるのは6時くらい。

日曜日なんて朝から釣りの番組をなぜか見ていた。

その後無理矢理起こして一緒に遊んでもらっていたのだ。

いろんなところに連れて行ってもらった。公園はもちろん、職場にも、よくわからないオッサンの家にも。

そのオッサンはきっと祖母の男みたいなものだったのであろう。

彼は車を持っていたのでほんとにプチ旅行みたいに連れてってもらった。

宮城のお釜とか、どこだかの忍者村的なところ、長野県にも行ったこともある。

今の自分では考えられないなかなかアクティブで、魅力を感じるにはまだ早いくらいだ。

この彼はラジコンの飛行機が好きで、家になかなか大きい飛行機があった。

日曜日の夜に彼の家に伺うことがけっこうあった。

特にこれといった会話をした記憶はないが、むこうにとってもそれが当たり前になっていたのかもしれない。

紙パックの日本酒を好んで飲んでいて、鼻が利く私はすごくその匂いが嫌いだ。

おかげで、飲酒するようになっても日本酒は飲めない。

朝公園昼近所に飯食べに行く夜飛行機じじい

と、ほんとにずっと一緒にいた。

育ての親というよりもはや親なのだ。

ここまでくると勘のいい人は気付くだろうが、母親にも、祖母にも、その上にも私の家には男性がいなかった。

女ばかりの家庭なのだ。

初の男児として私が生まれ、次に弟が出来た。

ある程度大きくなった私は、スポーツに目覚めた。

サッカーやら野球をやりたいと。

サッカーボールはなんとか入手できたが、問題はグローブだった。

今となっては中古ショップや安いグローブはあるが、当時にあったのだろうか?

こんな時、名ばかりの父親の父親(祖父)が名を挙げてくれる。

祖父は根っからの阪神ファンだったのだ。

読売しか通常のテレビで放送されていない中、特別回線引っ張って阪神をみていたのだ。

しかも新潟でだ。ここまでくるとガチ勢だろう。

グローブが欲しいというと、喜んで購入してくれた。

ちゃんとした駅前にあった個人経営スポーツショップで。

ミズノのグローブを買ってもらいそこからは野球三昧だった。

新品の硬いグローブはあっという間に形が出来てきた。

今でも手が小さい私だが、当時はもっと小さかっただろう。グローブは当然少し大きい。

少年用とはいっても、中学生も使うくらいだから。

「グローブの形」なんて概念がなかったため、最悪の形だったなんて当時はなにも思わなかった。

教えてくれる人がいないから。形が悪いと捕球しづらいなんて少年は気付かない。

ましてやクラブみたいなのに所属している訳でもない。

ほんとに個人的に野球とサッカーをしていたのだ。

祖父は地元のお祭りが行われる4月と8月に5000円くれた。

祭りに使ってとのことだろうが、4月生まれの弟と9月生まれの私であるため、それもかねていたんだろう。

もらったら富豪気分になりすぐ使っていた私。使わなかった弟。

今でも本当に変わらないものだ。

三つ子の魂百まで、とはよく言ったものなのかもしれない。

ある一時からその5000円ももらえなくなっていた。

それでも私たちはなにも思っていなかった。

母親が育てなくとも、周りの協力で生かされていた。と思う。

母親にどこか連れて行ってもらったかといわれると、近所にウインドウショッピングが数ヶ月に一回あるかないかとか、

寺泊にカニを買いにが数年に一度。

これはおそらく母親カップルの気分でしかないのだ。

こんな母親でも私はとても感謝している。

むしろ来世でも、この母親からうまれたいと思っている。

18で私を生んでくれてありがとう。

寂しい思いもたくさんした(まじで微塵も思ってない)けど、本当に感謝している。

 

こんな想いもあって自分の子供にはいろんなところに連れていきたいし、夢のキャッチボールもしたい。

親子でキャッチボールはしてこなかった人間からすると「夢」なのだ。

いろんなことに興味を持ってほしいし挑戦してほしい。

そのためのアルビ観戦なのだ。

私は自分発信で行動していた。自ら考えていた。

はたして幼少期の自分みたいに、私の子供は考えられるのか。と、思うときっとむずかしいだろう。

ほんとにいつもボーッとしているから。

そこまで深刻に考えずとも子供は勝手に成長していくのだろうな。

 

5歳の息子と1歳の娘がいる私でした。