ぱんの生き方(4) | PANSAKUのブログ

ぱんの生き方(4)

PANSAKUのブログ-あさ

ぱんの生き方(3)の続きより


家に帰った私は、

布団にもぐりこんだ。


・・・隠れてた。



放心状態の私に対して、

父と母と姉は、

まるで何事もなかったかのように

振る舞った。



事件に遭ったことなんて、

まるで知らないよっていうような感じ。



・・・このなんとも言えない

微妙な距離感に、

なぜだかひどく孤独を感じた。




『壊れ物を扱うように』でもなく、

『否定する』でもなく、

『励ます』でもなく、



ただ『ふつう』を演じた父と母と姉。


だから、私も、家族の前では、

『ふつう』を演じた。


・・・

このことは、忘れよう。。。

決して口には出すまい。

思い出さないように、静かに、静かに、

傷が時間と共に癒されるのを待とう。。




家族は、きっとこんな気持ちだったんだと思う。




きっと、今思えば、私と同じくらい、

家族もショックで動揺していたに違いない。。。




でも、実は私、

この時の家族とは全く違う、

別の形の優しさに心を救われたおかげで、

傷がひどくならずに済んだと思うことがあるんだ。




布団にもぐってふるえていた私に、

事情を知ったさくちゃんのお父さんが

すぐに電話をくれたこと。



さくパパは、

言葉にならないほど放心状態の

傷ついた私をまるごと受け止め、

『ぱん、おまえは悪くないからね』と

何度も何度も繰り返し、


『ちくしょう!ぱんを傷つけやがって!!

 犯人の大ばかやろう!!』と、


まるで自分の娘のように泣いてくれた。


『・・・』

受話器の向こうから聞こえる声に、

身体がカラカラになるほど泣いた。



声を出さずに布団の中で隠れて泣いた。



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さくパパや、親しい友人たちに

傷をありのまま受け止められ、

家族も私を励まそうと明るく振る舞い、


私は、あまり時間も経たずに

再び仕事と音楽の日常に戻ることができた。





時々、ふっと思い出すことはあっても、

親しい友人以外は、決して口にはしなかったし、

毎日の忙しさで気が紛れ、

そのうちだんだん忘れるくらいに回復してた。。



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事件から1年が経ったくらいから、


何のきっかけもなく、時々

突然フラッシュバックが始まるようになった。


思い出すつもりがないのに、

頭と感覚的な意識の中で

あの時のことが再現されて、


手足がガタガタふるえたり、

涙が止まらなくなったり、

朝まで眠れなかったりした。



その度に、友人たちに支えてもらったり、

カウンセリングで向き合った。



家族にはトラウマで苦しんでいることを

言えなかったある日のこと。



悩んだあげくに

数年の沈黙を破って、

お母さんに打ち明けてみたことがある。



すると、

『恵子、あのことはもう終わったことだよ。

 前向いて行こう!振り向くな!

 過去は過去。忘れるように努力しんさい。』



返ってきた言葉は、

残酷なほど、笑顔の叱咤激励だった。。




・・・やっぱり、言わなければよかった。



この時の私は、

涙が滝のように止まらなくなり、


『なんで?なんでそんなこというの?

 なんで、家族みんな何もないふりするの?

 忘れたいのに、忘れられないから

 苦しいのに』


と精一杯気持ちを訴えた。



・・・気がつくと、お母さんも泣いてた。




『ごめん。。ごめん。。。

おかあさん、、、うまく言えないけど、

代われるもんなら、

本当に代わってやりたいよ・・』




悲しみと罪責感の堂々巡り。


性被害は、自分が傷つけられた傷で、

周りの大切な人も傷つけてしまう。



自分だけの問題じゃない。



だからこそ、自分を責める。

だから、言えずに苦しむ。

だから、大抵の人は隠してしまう。


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私は、たくさんの時間と、

たくさんの優しさのおかげで、

乗り越えられた今がある。




分かりあえる親しい友人たちの存在、

毎日一緒にパンを作り続けた仕事仲間、

毎日共に笑いあった障害者の仲間たち、

いつも互いの感性を奏でて会話しあえる音楽仲間。。。



そして、先週の金曜日、

私は、本当にこの暗闇を克服することができたよ。

大切なパートナーと。


(完結編につづく)