『2020年の鹿児島国体で鹿児島代表として戦って貰えないだろうか?』
2019年の年末にかかってきたある1本の電話。
忘れるはずもない、東京五輪の選考で敗れて約1週間後の出来事でした。
国体には故郷である長崎県からしか出場しないと密かに決めていた私。
だけど『鹿児島国体の鹿児島県チームは鹿児島にゆかりのある選手だけで創り上げたい』との思いがある上で私に声をかけてくれたのが本当に嬉しかったのを昨日の事のように覚えています。
大学進学を機に鹿児島に来て、色々な経験、さまざまな出会いを経て、もっと強くなりたい!!と自分を高めるために奮起出来る人間に育てて貰った、私にとって鹿児島はそう言う場所。
そんな第二の故郷の代表として、もう一度大きな舞台で戦うチャンスがあるなら頑張ってみたい。。。
決意したのは2020年に突入してすぐ、32歳の誕生日でした。
気づけばそれから3年10ヶ月。
決して短くはない時間を戦い続けて、先日無事に鹿児島国体を終える事が出来ました。
コロナの影響で当初2020年開催の予定だったのが3年延期になり、本当に開催出来るのだろうか?と不安を抱えながらもなんとか乗り越え、無事に当日を迎えられた事、無事に終えられた事、ずっと楽しみにしていたイベントが終わってしまった事、すごく色んな感情が織り混ざっています。
この3年10ヶ月、優勝することは目標じゃなくてノルマだと自分に課して活動し続けて来ました。
結果は2位
なんだかとっても私らしい終わり方。笑
ノルマ達成できずだったけど、『会場にいる誰よりも1番楽しむ』という目標は達成出来たかなと思います!!
それくらい全部出し切ったし、悔いは何もありません^_^
一緒に苦楽を共にしてきたチームメイトがSSで優勝してくれたおかげで、皇后杯3位、天皇杯7位というご褒美をもらう事も出来ました!
ずっと一緒に練習してきて、私のことを師匠と慕ってくれる少年選手を入賞させてあげられなかった事は少し心残りだけど、これからの弟子の活動に繋がる経験になっていたら嬉しいな。。。
今後に期待!!!
国体が鹿児島で開催されるという事で張り切って出場されていた大学の先輩、後輩も沢山いて、成年種目では全種目に鹿屋体育大の関係者が入賞するという、とても嬉しいニュースもありました!
選手だけじゃなくて、チームの監督・スタッフ、そして運営にも沢山の大学関係者が協力してくださり、とても暖かい空気感の中で戦う事が出来、感謝の気持ちでいっぱいです!
大会期間中は鹿児島の人だけでなく、県外の方々からも沢山応援の声を頂きました。
わざわざ県外から応援に駆けつけてくれるお友達もいて🥹
最終日海面に向かっている時に、プロテストボートから『小夜子頑張れーーー!!!』と応援頂いた時には思わず笑っちゃったな。笑
それもこれも小学6年生でセーリングを始めて24年間で培って来たものがあってこそ。
人に、環境に、本当に恵まれた24年間でした✨
今だから言える事だけど大会直前に突然の体調不良(コロナ、インフルは陰性でした😅)に見舞われ、期間中も突然の腰痛再発で痛み止めを飲みながらレースしてました。笑
さすが前厄!!
と笑い話に出来るくらい余裕のメンタルで戦えた自分に成長を感じたし、動じずサポートしてくれた周りの方々も最強だなと思った😎笑
24年に感謝!!!
さて。
そんなこんなでここで一旦選手活動はお休みしたいと思います。
とはいえ弟子の大会にコーチで行く予定もあるし、いつかお父さんやお兄ちゃんと一緒にレースに出てみたい気もするし、SSの大会にもまた出たいし、気づけばマスターズに出場出来る年齢にもなってるし笑
フラッとまたどこかでお会いすると思いますので、その時はどうぞ宜しくお願い致します🙇♀️
ひとまずしばらく我慢していたので乾杯🍻!!
うぃ〜〜