私が入院した話 (どーでもいい )
4月から就職もして仕事も始まり
一ヶ月が経とうとしていました。
なんとなく、両手の指の爪の先がピリピリと
痺れているような感覚がありました。
思えばそれが始まりだったんですが
この時は疲れてるんだろう…
仕事してれば気にならないし大丈夫
そんな風に放っておきました。
しかしその指先の痺れは
一週間経っても治りませんでした。
そして4月がおわりに近づいた頃
両目の見えにくさに気付きました。
もともと視力は良くありませんが
それにしても、霞むことが多くなりました。
しかし、これについても
疲れだろう…
寝れば治る。
もうすぐGWだし頑張ろう。
そんな気持ちでいました。
そして4/29。
この日は休みの日でした。
あさ、眼が覚めると、
焦点が合わないことに気付きました。
最初はメガネをかけていないからだと
思いましたが、
メガネをかけてもなおらない事に驚き
いつも通りベッドから降りて
病院に電話をかけようと思いました。
しかし、立ち上がろうとした途端、
膝に力が入らず、その場に座り込みました。
何があったのか一瞬訳がわかりませんでしたが
何度立とうとしても、歩こうと膝を曲げると
膝カックンされたように力が抜けました。
驚きです。びっくりしました!!
幸い実家暮らしだった私は、
親に助けを求め、近くの病院に行きました。
採血やら点滴やらCTやら色々と検査して
MRIを動かせる技師さんが
休みでいないため、検査入院となりました。
しかし、入院する部屋に行くと
神経科の先生(後の担当医)がおり、
そこで初めて
フィッシャー症候群の疑いがあると
告げられました。
またフィッシャー症候群だった場合
一ヶ月位は入院する事になると告げられました。
フィッシャー症候群とは、どんな病気かは
https://welq.jp/7428
良かったら、見てくださいな。
難病指定されてる病気でした。
なる人が少ないからで、
治らないからではないです!
さて、
フィッシャー症候群の疑いを確実にするために
私は次の日から検査検査の毎日でした。
一番嫌だったのは、髄液検査です。
背中に注射器を指すあれです。そうあれ。
痛いとかぜのうわさで聞いていたし、
想像するだけでも嫌でした。
実際は…私の場合は麻酔を2回打ちました。
皮膚?の麻酔とおそらくその下の骨髄の麻酔
もちろんそのおかげで痛くはないんですが、
髄液を抜くときに、骨盤が注射器を指しているであろうところから吸引されるような…そんな感覚でした。痛いというよりは不思議な感覚でした。
それよりも、看護師さんに抱えられ、
背中を見れない、身動きの取れない状況というのが、何より恐怖感がありました。
やった検査は幾つかありますが、
それ以上にいやなものはありませんでした。
疑いが確定し、初めの一週間は
自分で歩けずほぼベッドから出ず
検査を受ける毎日でした。
次の一週間は、治療のため
免疫グロブリンの大量静注療法を選び
1日何時間かの点滴を一週間?続けました。
おかげで3週目からはリハビリが始まり
4週目には軽く病院から脱走できるくらい
元気になりました。
フィッシャー症候群になって初めの1、2週間は
車椅子や点滴棒がないと歩けませんでした。
トイレに行くのにも必死だし
お風呂は看護助手さん?に手伝ってもらいました。日々一人で生活していけることに
ありがたみを感じました。
そして、入院をしていると当然
誰にも会わない日があると思います。
しかし私が入院していた1ヶ月間
毎日誰かしらがお見舞いに来てくれました。
みんな時間を工面して
私に会いに来てくれてるんだと思ったら
なんて温かい人達に囲まれてるんだろう。
友達は大切にしていきたいと
改めて思いました。
どんなに忙しくても仕事帰りに
毎日顔を出してくれた
両親にも頭が上がりません。
祖母の介護もあり大変なのに、
必ず、父が母どちらかが病院に来てくれました。
何をするでもなく着替えを持ってきてくれたり
暇つぶしの塗り絵や、漫画を持ってきてくれたり
たまには車椅子を押してくれ
近くまで散歩しに行ってくれたり
感謝しかありません。
私の場合は1ヶ月で入院が終わり
仕事が保育士とハードな事もあり
もう1ヶ月は自宅療養でお休みを頂きました。
フィッシャー症候群と聞いたときは
健康しか取り柄のない私が何故ー?と
思いましたが(高校から大学まで皆勤)
人生いつ何があるか本当にわからないと思いました。
しかし、この病気は必ず治るものですし、
なってしまった以上ゆっくりと休むしかないし
この機会逃さん!と思い、
じっくりゆっくり休ませてもらいました。
この経験を経て
異常があったらすぐに誰かに伝えること
疲れだろう…は、危険だと感じました。
働くことも大事ですが!
自分の体はもっと大切。
健康が資本ですね!
お疲れ様でした!!!!