2005年の出来事。当時、新日本プロレスの長州力現場監督はよくキレていた。
長州力も昭和のプロレス黄金期を知っているレスラーなので、低迷するプロレス業界を立て直そうと必死だったのかもしれない。
80年代を知らないレスラーは、長州力の激怒の理由もわからなかった可能性はある。
「プロレスの底力はこんなもんじゃない」という思いが長州力にあったのではないだろうか。
しかし時代の荒波は厳しい。2005年といえば、K-IやPRIDEなど、プロレスに代わる格闘技イベントが人気を集めていた。
プロレスとボクシングしかなかった昭和の時代よりも今のほうが厳しいかもしれない。
そんななか、新日本プロレスに中邑真輔という逸材が誕生する。
長州力は中邑真輔を凄く買っていた。新たなヒーローになり得る一筋の光明を見出したのではないだろうか。
私も、関節技が得意な中邑真輔には才能を感じていたし、プロレス復活の大いなる希望でもあった。
そういう時代背景で事件は起きた。
事件といっても、カメラが回っているところで起きた蹴り合い怒鳴り合いなので、ある意味ファンが喜ぶプロレス的パフォーマンスにも見える。
試合後のリング上で、蝶野正洋がマイクパフォーマンス。
長州力が推す中邑真輔と棚橋弘至を「ひよっこども」と罵倒した蝶野正洋は、IWGPタッグ王者の二人を挑発する。
「中邑、棚橋、怖くなかったらベルトかけろこら!」
そして、意気揚々と退場する蝶野正洋と天山広吉だが、ハチマキを頭に巻いた怒りの形相の長州力現場監督が二人を怒鳴りながら歩いて来る。
「おい、テメー何このヤロー、調子のいいこと抜かしてんじゃねえぞこらあ!」と天山広吉のボディにキック!
怒った天山広吉も怒鳴りながら蹴り返す。勇者だ。
長州力の怒りはおさまらない。「オイこらあ、調子のいいこと抜かしてんじゃねえぞこらあ!」
レフェリーやレスラーが止めに入るが、蝶野正洋と天山広吉が、長州力と激しい口論になる。
ついに天山広吉が「オイ、やったろうやないか!」と言ってしまうと、長州力がマジギレ。「何こらあ! やんならやってみろこらあ!」
天山広吉は「好きなようにはさせねえぞタコ!」
タコはまずかった。長州力は「このヤロー、とっとと死ね!」と天山広吉のボディにキック!
平田淳嗣が止めに入ると、長州力は平田淳嗣にも「テメーも死ね!」とキックを見舞い「どれだけ今までこんな状態にしてんだこらあ!」
蝶野正洋が長州力に、中邑、棚橋に気を遣っているのかと指摘するが、エキサイトしている長州力は怒鳴り返す。
「言っとくけどなあ、もっとしんどい目にあわせてやるからな!」
「うるせえこらあ!」と怒鳴り返す蝶野正洋に、長州力は「覚悟しとけこらあ!」
ムッとした顔でその場を去る長州力現場監督に、マスコミが「長州さん」と声をかけると、記者やカメラマンにも八つ当たり。
「どけこらあ! ぶっ飛ばすぞ!」
今、面白い長州力が受けてしまっているが、昭和ファンは複雑な思いで見ている。
1,4東京ドームでパワーホールが鳴り響いた時は興奮したが、孫を抱いて入場した時は、トーンダウン。
怖い長州力を知っている世代としては、やはり殺気に満ちた革命戦士の雄姿が懐かしい。
現場監督時代も存在感が凄い。どこまでがパフォーマンスで、どこからマジギレか区別がつかないから怖い。
激しい口論であちこち蹴りまくりながら、一度も蝶野正洋を蹴らなかったところを見ると、キレてないかもしれない。
天山広吉に「タコ」と言われた時はキレたと思う。「オイ」「こらあ」まではいいが「タコ」は勇気ある。
長州力は現役時代からファンをエキサイトさせる天才だったから、自分がどう動けば盛り上がるかを熟知していたと思う。
だからリングの外でもエキサイティングなサイドストーリーを演出していたのだろう。